51 哀れなる者
ちょっと長めです。
その日の真夜中。
僕は奇妙な夢を見た。
沼からたくさんの骸骨たちがせり上がって歩いてくる夢。
パシャ、パシャ、ザブ、ピシャン…
という音。
ウオォォォォ…
遠くから、うなり声。
やけにリアルだな。それに魔素の流れも変だ…。
『おい!サキ、起きろ!』
というシンハの緊張した声に、はっとして僕は反射的に飛び起きた。
すでにカエルたちの声は全く聞こえない。
「なっ、なに!?」
『むう。沼坊主だ。どうやら奴が「いろいろ連れてきた」ようだ。』
「連れてきた?何を?」
『沼に潜む怨霊たち。アンデッドたちだな。』
「げっ!怨霊にアンデッド!?」
ウォオオオオオオオオオオ!…
さっきの声は現実だったらしい。さっきより近くなっている気がする。
いや、気のせいではない。確かに、はっきり聞こえるようになった。
同時にパシャ、ザバ、ベシャ…と何かが水をかき分けてくるような水音。
「こっちにくるよ。」
『このままおとなしく通り過ぎてはくれんだろう。サキ、戦うぞ。覚悟を決めろ。』
「わ、わかった。」
シンハとともに、テントの入り口から外をうかがうと、暗い沼の中を白い骨たちが、行進してくる。それらはかつて魔鹿だったり、魔熊だったりしたような骨だ。大きなエイプもいる。おそらく、この沼のどこかで命を落とした魔物たち、ということだ。
それらの後方、真っ暗な湿地帯の奥から、大型の何者かがウォォォォとうなる声が聞こえてくる。
シンハとともにテントを出て、テントは亜空間収納にさっと仕舞う。
「アンデッドなの?」
『ああ。怨霊がアンデッドになり、沼に住み着くと、やがて力を増して沼坊主になると言われている。』
「げ。怨霊!?お化け、僕は苦手だ。」
『まだレイスよりはいい。物理で倒せるからな。』
「へえ、物理、効くんだ。」
『ああ。聖なる光の矢がいいだろう。準備しろ。』
「わ、わかった。」
僕はシンハが冷静なので、少し安心すると、言われたとおり聖属性魔法で光の矢を準備。いつでも発射できるようにした。
だがドシィン、ドシィンという音が、少し早足になった。確実に我々に向かってきている。
『いいぞ。その光が目印になって向かってくる。』
「え、それ、良いの!?」
『予定どおりだ。お前は囮になれ。俺が脇からかみついて倒す。』
「なぬ!?」
『ああ、いっそのことお前自身、きらきらに光っておけ。大丈夫。お前ならいざとなれば、光属性で倒せるからな!』
「もう!シンハったら!」
こうなったらヤケだ。
シンハが言ったように、きらっきらに光り輝きながら、弓を構えた。
すると、アンデッドの沼坊主は、僕めがけて走ってきたが、なぜかきらきらな僕を見るとぴたりと止まった。
僕からも奴の姿がよく見えた。
身長3メル、人型で目は一つ目。頭には角が一つ。そう。よくお化け大図鑑なんかに載っている、一つ目の巨人だった。それの一角鬼バージョン。
ウォオオオオオオオオオオ!!!!!
大声で威嚇してくるが、ある一定以上、近づいてこない。
おそらく僕が聖属性を持っていて、それで光っていると用心しているのだろう。
アンデッドの弱点は光と聖属性だからだ。
『む。あれは…』
シンハが沼坊主を見て反応した。
「?知り合い、とか?まさかね。」
『…。知り合い、だな。』
「え!?」
『古代種の一角巨人だ。俺の知っている奴なら、あいつが最後の一人というか1匹、のはずだな。』
「えー…。」
それは…。僕も倒しにくい。
最後のひとり、とは。
「…倒しちゃって、いいの?」
『ああ。奴はすでにアンデッド。あの姿でこの世を彷徨い続けるのは哀れだ。地脈に帰してやろう。』
「…わかった。」
僕も決心すると、ますます聖属性を矢に込めた。
沼坊主は足元の岩を小石のように拾い上げると、僕に向かって投げてきた!
ブウウン!と風を切って岩が飛んでくる。
飛び退きながら、聖属性の矢を放つ。
ギャギャギャ!!
沼坊主は矢を振り払うようにしながら後ずさりした。
聖属性が相当恐いらしい。
1本目の矢は沼坊主に振り払われたが、2本目は奴の右てのひらを貫いていた。
ギャアアアア!
悲鳴があがり、奴の右手が光の粒になって消える。手首から先がなくなっていた。
ガウ!!
そこにシンハが飛び出し、奴の喉笛にかみついた。
グギャギャギャ!!ヒイイイイ!
必死にシンハを振りほどこうともがくが、シンハは離れない。
僕は3本目の矢を、祈りを込めて放つ。
「(迷える魂よ。地脈に帰れ!)」
そう祈りながら。
3本目の矢は、ますます光り輝いた。
シュッと放つと、沼坊主の心臓に、見事に命中した。
キシャャァァァァ…!!
シンハはまだ奴の首元から離れない。
奴の断末魔の悲鳴はヒューヒューと声がかすれて息だけになった。
そしてドシィイン!と後に仰向けに倒れると、ただちに光の粒が大量に立ちのぼる。
沼坊主が魂を失った証拠だ。
シンハのとどめと僕の聖なる矢が効いたのだ。
沼坊主は黒い魔石を残して消えた。
その魔石も、沼にずぶずぶと沈んでいった。
ガオオオオオオンン!!!!
シンハが勝ち鬨の声をあげた。
それからは、骨ばかりの魔獣たちの掃討作戦に移行した。
大小数十体もいただろう。
僕は次々に聖なる光の矢を放ち、シンハは牙や爪を使って屠っていった。
致命傷を与えれば、皆光の粒になって立ち上り、骨もまた灰のようになって崩れ、沼に消えていった。
魔石はいくつか回収もしたが、大部分は沼に沈んでいった。
戦闘はさほど長い時間でもなかったが、もう朝方だった。
僕は結界の中でたき火を焚いた。暖かいスープを飲む。
ようやくカエルたちがまた鳴きはじめた。秋の虫たちも、何事もなかったかのように鳴きだしている。
「…シンハはいつあの沼坊主…いや、一つ目巨人と会ったの?」
と訊ねると、シンハは静かに語りはじめた。
『俺が奴に会ったのは、もう百年近く前だ。会ったのは、この森のもっと周辺部。人里からはかなり離れてはいたが、こんな奥地ではなかった。
俺が狩りをしていると、奴はちょうどこんなふうに、たき火をして飯の支度をしていた。
俺が狙っていた大魔猪を、奴は倒した直後だった。俺が追っていた獲物だとわかると、気まずそうに謝ってきた。神獣様の獲物だったのか、と。そして半分分けてくれるといいだした。こんな森の奥で、なんともお人よしな奴だ。
勝手にお供えなんぞしてくるものだから、俺も幾度かはお礼代わりに獲物をわけてやった。奴のたき火に呼ばれたこともある。
だが、あるとき奴は俺に別れを口にした。森の奥、沼地の近くに遺跡があって、そこに仲間がいるらしいから、探しに行くと言っていた。
俺は奴に似た奴は、他には見かけたことはない。だが絶対居ないとも言えないからな。軽く挨拶して別れた。
それきり、奴を見かけなかった。
まさか、沼池でアンデッドになっているとは。』
「…」
『おそらく、仲間など居なかったのだろう。もし誰かが見たとすれば、エイプかなにか、別な生き物のアンデッド。別の沼坊主だったのだろうと、俺は思う。一つ目巨人が他にいるとは、精霊達からも聞いたことはなかったからな。だが、希望に満ちた目をしている奴に、それは言えなかった。「会えるといいな。」と言って別れたと記憶している。まさかこんなふうに命を終えていたとは、俺も知らなかった。』
「…」
『お前に倒されて、きっと奴は静かに地脈に行けたと思う。お前は世界樹の加護持ちだからな。』
「とどめはシンハだよ。僕はお手伝いしただけだ。」
『まあ、そういうことにしておこう。』
「…」
すでに周囲は明るくなった。朝日が木々の間から沼地を照らし始めた。
カエルや虫たちの声は、相変わらずうるさいほどだ。それに朝の鳥たちの声も聞こえてきた。
「シンハ、この沼、できればもっと浄化しといたほうがいいよね。」
アンデッドが沈んだ沼だからね。
『やれるか?』
「やってみる。」
『あまり頑張るなよ。少しでいい。沈んだ魔石がまた穢れぬよう、祈ってくれれば。』
「わかった。」
それから僕は、指で印を作り、こもこもと祈りの言葉をつぶやいた。
それは心に自然に湧き上がってきた言葉。
「イ・ハロヌ・セクエトー…。魂よ地脈に帰れ。そして安らかな眠りを。やがて時満ちたる時に、再び此の世に巡り来る。その時までゆっくりと、安らかに眠れ。世界樹よ。ユグディアルよ。汝の中へと彼らを迎えよ。イ・ハロヌ・セクエトー…。浄化。」
一心に祈り、右手を沼に向けて浄化の魔法を唱えると、僕自身が光を放ち、沼もまた僕の魔法を浴びて光った。
目を開けると、目の前の沼が、はるか遠くまでまだ虹色に光っていた。
『ほう。さすがだな。』
「浄化できたかな。」
『ああ。当分、ここからアンデッドが生まれることはあるまい。』
「そう。よかった。」
祈って良かったと、しみじみ思った。
孤独な一角巨人よ。今は静かに眠れ。
その日のうちに、僕とシンハは帰路についた。
目的の青ガエルもウナギのような魔ウツボもたっぷり狩った。珍しい湿原の薬草もいくつか手に入れた。
本当はもっと奥地に行って冒険をしたくもあったが、どうやらシンハは僕の今の実力では、これ以上洞窟から離れた場所に連れて行くのは、いいことではないと思ったようだ。
沼地を抜けてさらに東に進むと、話に出た古代遺跡もあるらしいが、それはまたいつの日か、あらためて攻略しようと話し合った。
沼地から帰る途中の夜。
僕は夢を見た。
あの一角巨人が、たき火で料理をしている。その傍にはシンハがくつろいでいた。一角巨人は穏やかな目をしていて、寝そべったシンハを見て微笑んでいた。穏やかな笑みは、あのアンデッドの沼坊主とは思えないものだった。
きっと、この夢は過去の現実なのだろう。
一角巨人がなにやら懐から小さなものを取りだし、口に当てた。
「(あ、オカリナだ。)」
と僕は思った。
案の定、音はあのオカリナそっくりの音だった。
土で作ったオカリナは、やわらかい音色だった。
ちょっと切ないメロディ。
一角巨人の、ふるさとの音楽なのだろうか。
僕は夢の中でその音楽を覚えた。
洞窟に到着すると、僕はさっそくオカリナを作り、吹いてみた。
曲はあの、夢の中で聞いた曲。
するとシンハが
『ああ、そういう音だった。』
とつぶやいた。
「彼のふるさとの曲なのかな。」
『昔育ててくれたひとが教えてくれたと言っていた。一角巨人に伝わった曲のはずだとは言っていたそうだが。育ての親は巨人族ではなく、エルフだったそうだ。
一つ目だと魔物として狩られてしまうからと、森に逃がしてくれたそうだ。
もうそのエルフは地脈に帰ったそうだ。昔のことだと言っていたから、相当古い昔のことなのだろう。』
「じゃあ、彼はずっとそれからひとりで生きていたの?」
『ああ。そのようだ。』
「…。つらいね。」
『…』
「彼、名前は?」
『オネ、と言っていた』
「オネ…ひとつ、という意味だね。」
『ああ。』
「そっか。」
一角巨人、一つ目、そしてたった一人、唯一の、とか。
いろいろな意味を込めた呼び名だったのだろう。
「シンハはオネにはなんて呼ばれてたの?」
『白いカミサマ。』
「ふうん。カミサマ、ね。」
『なんだ?』
「ふふ。いや。そのままなんだなと。」
『ふん。お前だけだぞ。俺を犬っころみたいにあつかう奴は。』
「えーそんなことないよう。ちゃんとお食事を「お供え」してるじゃん。」
『ふん。もっと敬ってもいいんだぞ。』
「はいはい。食いしん坊のカミサマ。ポムロル煮たの、食べる?」
『食べるに決まっている。』
「あはは。やっぱり食いしん坊のカミサマだ。」
僕は声を上げて笑い、わざとすました顔をしていながら、しっぽをぱたぱた振っているシンハに、煮上がったポムロルの蜂蜜煮を、風魔法でさましてあげながら「お供え」した。
『うむ。苦しゅうない。』
とシンハはわざと威張ってそういい、あとはがつがつと美味そうにポムロル煮を食べていた。
オネ…ONE です。親がわりの博識なエルフが、古代語から名付けました。異世界の古代語は地球語に似ていて、「ひとつ」は「オネ」だった、という想定です。