485 教会パニック
ケルーディア王国の王都教会から、神聖皇国の教会大本山に、その一報が入ったのは、レイモンド・ナゼル枢機卿がサキたちに滅ぼされた翌々日のことだった。
ドリーセット侯爵から、ナゼル枢機卿が魔物に侵食され、当家で暴れたため成敗した。承知おけとの文面と、黒灰まじりのナゼル枢機卿のわずかな遺骨と遺品が届いたのだ。
経緯を順番に話すと、まず遺骨と遺品は当然ながら侯爵から王都の中央教会に届いた。ナゼル枢機卿が所属していたところである。
そして、教会は何をやっていたのか。ここ数ヶ月の彼の動向から、穢れたるものが入り込んでいることが、解らなかったのかと、抗議たらたらの手紙も添えられていた。
慌てて王都教会が確認したところ、ナゼル枢機卿の部屋には黒魔術の研究書や生け贄の動物の死体やらがあって、黒魔術に関与していたことは決定的となった。
そして神聖皇国の教会本部へ報告と共に、いかがいたしましょうや、と直ちに伺いを立てたのである。
手紙は特殊な方法(転移魔法)で迅速に送られたので、翌々日、なのである。
当然、ドリーセット侯爵は、国王にも報告している。
娘が理不尽に呪われ、瀕死のところを魔塔の隠棲者ランゲルス師とその弟子サキ・エル・ユグディオ名誉子爵によって解呪され救われた。
そして次期教皇とも言われたレイモンド・ナゼル枢機卿が寄生獣エルゴスに浸食され、ランゲルス師とサキによって成敗された、ということも含め、国王には真実を伝えたのだ。
そしてナゼル枢機卿が今回の事件の、元凶であろうことも告げた。
侯爵は登城直前に、王都教会にすでに抗議の手紙を出している。
国王に報告してからでは、事の重大さから、まあ待て、と言われるかも知れないと、先に手を打ったのだった。そうでもしなければ、憤りを抑えられなかったからである。
国王の反応は、まず寄生獣エルゴスが王都に現れたことへの驚きだった。
人に寄生し、その人の知性を保ったまま内部から侵食していく恐ろしい寄生獣の存在は、半ば伝説と化していたのだから。
それが王都に出た。しかも聖なる存在であるはずの教会に。しかも、権威の象徴である王都の中央教会に!である。
さらに、多くの貴族に支持されていたナゼル枢機卿が、寄生獣に食われ、黒魔術にも関与したとみられることは、王国としても大きな問題だった。
ナゼル枢機卿の部屋の状況から、令嬢に呪いをかけたのはナゼルだと断定された。
しかしそれは正しくない。
令嬢が庭園で踏んだ魔法陣を設置にかかわったのは新人メイドであり、すでに殺され故人である。
メイドは魔法使いでもなかったので、おそらく黒魔術師に、魔法陣を設置する手引きをさせられただけなのだろう。
そして、身代わりと称してメイドのキキにも呪いをかけたのは、シンハの嗅覚によれば、謎の女性魔術師で、男性の老魔術師に化けていた。
ナゼルがどんな役割を果たしたのかははっきりしないが、居室には古代の黒魔術の写本もあったというから、一味であるのは疑いなかろう。おそらくは、難しい陣を編むのに手助けをしたのであろう。
そして、本当に陣が発動し、予想した効果が得られたのかを、確認に来た。あるいは、陣を強化して行ったのかも知れない。
ドリーセット侯爵が教会に相談した時、特にナゼルを指名した訳ではなかったが、実際侯爵邸にやってきたのはナゼルだった。
高名なナゼル枢機卿が来てくれたことをドリーセット侯爵は素直に喜び、歓待した。犯人(の一人)だとも知らずに。
神聖皇国は事の重大さをさらに認識した。
王都から遠く離れているヴィルドのレビエント枢機卿からも、同日内に手紙が届いたのだ。
内容は、王都にいる知り合いから報告されたが、これは一体どういうことかと問い合わせが来たのである。
そして、被害を受けた貴族への対応や、ナゼル枢機卿周辺を調査すべきこと、同時に、周囲の浄化を徹底することが、アドバイスとして書かれていた。
現在の教皇ミラン・エクセレードは、穏やかな人柄。悪く言うと臆病で事なかれ主義者だった。
けれど、稀ではあるが、世界樹の声を聞くことができたので、教皇となったのだ。
政治的能力は低かったが、周囲に助けられ、なんとか教皇をやっていた。
そんな教皇だから、影の教皇とさえ噂されるレビエント枢機卿からの正確な情報をつかんでいるという手紙と、ドリーセット侯爵の強い抗議文に、彼は寝込んでしまったほどだった。
全くもって使い物にならぬ教皇だ。そんな教皇の権威を守り、教会を円滑に運営している切れ者がいた。それが、神聖皇国で教皇の秘書長をしているローハン・アウグスタ枢機卿なのだった。
秘書長というと、一見権力がないように聞こえるが、神聖皇国における教皇の秘書長は、実質的には宰相のようなもの。教皇はお飾りで、実務の把握、差配は、特に当代ではすべてローハン・アウグスタ秘書長が行っている。最終決定権は教皇ではあるが、ほぼ秘書長の意見が通る。そういった状況だった。
この日和見教皇の長所を挙げるなら、己の力量をよくわきまえていることだ。
欲をかかず、民と我が身と教会の平穏を願う。そして周囲の言葉に耳を貸す。
平和な時代であれば賢王いや賢教皇と言われたかもしれない。そんな人物だった。
最近のエクセレード教皇の口癖は、「わしももう長くない。」だった。
確かにエクセレード教皇は人間族ながら100歳を越えており、そろそろ世代交代すべきであった。
しかし皇国のよろしくない習慣で、教皇はほぼ死ぬまで教皇なのだ。絶対ではないが、慣例としてそうなっていた。
だが今回の件はさすがに老体には堪えた。
そうでなくとも、一年ほど前はヴィルドの教会で起きた汚職事件で、レビエント枢機卿が、またまたここぞとばかりに降格を願い出て、それを説得するのに疲弊したばかり。
さらにアルムンド帝国とケルーディア王国間の「3日戦争」の情報や、ヴィルドのスタンピードの報告。教会が直接ダメージを受けたのは汚職事件以外にはないが、本当に最近は、驚く事が多い。
そして今回の事件である。
これまで、アウグスタ枢機卿と共に、教皇の両翼と呼ばれていたナゼル枢機卿の堕落は、ナゼルを頼りにしていただけに教皇にはショックが大きかった。
有能だが厳格で、特に教皇には厳しいローハン・アウグスタ枢機卿と違い、レイモンド・ナゼル枢機卿は、内心は権力欲が強いが、外面は、温厚で人当たりがよかったため、支持者も多かった。そんなナゼル枢機卿の堕落と死は、老教皇には衝撃が大きすぎたのだった。
しゃららん☆さん、いつも誤字報告、ありがとうございます!
(誤字報告って、感想と違って報告してくださった方にお礼書けないシステムだから、困ってたのよねぇ。こうやって書けばいいんだ、と思う今日この頃でした。)




