473 暴れる魔法陣と山羊頭
ガウ!!
シンハが暴れ飛ぶ山羊頭を仕留めんと噛みつこうとするが、山羊頭の動きが速く、かつ令嬢を護りながらの室内での戦いでは、なかなかうまく立ち回れていない。
「しゃあねえな、手伝っちゃる!アルス!バインドしろ!おめえの鎖で奴らを縛れ!」
「あいよ!バインド!」
ところが陣のほうが強く、アルスが振り回される。
「うわあ!アニキ!ゴシュジン!なんとかしてくれー目が回るう!」
「サキ!タイマ・フィクサだ!呪文、わかるか!?」
とアルマンダルの声。
「たぶん!」
僕は世界樹の葉っぱのネックレスを取りだし、杖に巻いた。
そして
「シンハは魔力へ!」
と言って、シンハを一旦魔力に入れる。シンハまで止まっては困るからだ。
それから気合いで一気に早口で唱える。でも心を込めて。魔力を込めて。
「イ・ハロヌ・セクエトー!来たりて去りゆくもの、滔々と流れゆくもの、しばしその流れを止め、この場に留まりたゆとうて永らえ。セグンディウネッサ・バル・エクウトゥース・ネッルラ・フォム・レグニウスネス・エッケ・ユンディール…」
「「タイマ・フィクサ!!」」
杖を陣に向けると、同時に師匠も唱えつつ杖を山羊頭に向けていた。
まず音が止んだ。
振り返ると、師匠と僕だけが動いていて、あとは室内が時を止めていた。
はじけた花瓶から飛び出した花も、落下途中で止まっている。
「ふう。よくわかったな。初見で。」
「気合いで。」
「ふむ。いつもそうか?」
「ええ。まあ。」
「やはりな。」
おそらく師匠も同じなのだろう。
たとえ知らない魔法でも、本気で発動したいと願えば、その場に適した文言が出てくる。魔法語の意味ある言葉だったり、意味不明の(いや、僕には意味がわかる)呪文だったり。
「うん。よく「止まって」いる。よくやった。」
「ありがとうございます?」
「なんで疑問形なんだ。…アルマンダルと言ったか。タイマ・フィクサを指示するとは、さすが『ソロモンの魔術書』だな。」
そのアルマンダルも停止中。
「本物かどうか、本人も記憶が曖昧でわからないようですがね。」
それから僕は、
「シンハ、召喚!」
と言ってシンハを魔力から出した。
『急に魔力に入れられたから、少し驚いたぞ。』
「ごめん。君まで動けなくなるとまずいと思って。説明している時間が無かった。」
すると師匠が
「ふむ。なるほど。シンハまで動けなくなっていると、危険な時にやばいからな。
なんにせよ、時間稼ぎはできた。維持に魔力はどれくらい使っている?」
と言った。
「維持にはほぼゼロですね。でも前哨戦の凍結やらコレ(タイマ・フィクサ)の発動には結構使いましたが。今は世界樹の葉っぱのおかげで問題ないです。」
「そうか…。(こいつ、バケモンだな…)」
「…今、なんか失礼なこと、考えませんでしたか?」
「別に。気のせいだろう。こほん。」
そうかなあ。
気分を変えるためにも、僕はエリクサーを師匠に手渡し、僕自身も飲んだ。
「さて、仕上げだが。しかし何故暴走した?」
「仮説の域を出ませんが、他の陣は正確に書き写しましたけど、令嬢の背中にある山羊頭の実物を、僕は見ることができませんでした。こっそりトレースで実態の把握はしておきましたが。そのあたりが問題だったのではと考えます。」
「なるほど。…まずは2つの陣から解呪するぞ。」
「はい。同時ですね。」
「そうだ。」
僕と師匠は、2つの陣をわざと逆に重ね、それから先程と同じように、同時に呪文を唱えて解呪した。
2つの陣は見事に解呪され、空中で霧のように消えた。ふう。
「あとは山羊頭の陣だけですね。」
「ああ。では陣の実物を拝見しよう。」
この陣だけは、実体が空中に現れず幻影のみで、実体はまだ令嬢の背中に貼りついていたからだ。
「あーっと。その前に。あとで面倒なことになると行けないので、女性に立ち会って貰いましょう。」
「ふむ。妙な事を気にするのだな。」
「いやいや、相手は嫁入り前の高貴な女性ですからね。これくらい気を使うのは当然です。」
「そうか?」
まったく。本当に王宮筆頭魔術師だったの?と言いたくなった。
僕は師匠にお願いして、一旦侯爵様を連れて廊下に出た人たちのうち、エルザさんを呼んでもらった。
僕が言うより、師匠が言った方が説得力があるからだ。
どうしても令嬢の背中の山羊頭を見ないといけないから、念のため立ち会って欲しいと。
治癒のため、場合によっては触れたり、消毒した針を刺すこともあると、師匠から伝えてもらった。
エルザは廊下でヒソヒソと侯爵夫妻に告げた。侯爵夫妻は特に針を刺すことに懸念を持ったようだが、それでも即断してくれた。
「う、うむ。仕方あるまい。治癒のためだ。但しエルザが必ず見ているところで行うのが条件だ。」
と渋々ながら了解してくれた。
そういった、誤解から我らの身を守るコンプライアンス的なやりとりのあとで、ようやく令嬢の背中を見ることができることとなった。
師匠はパチンと指を鳴らした。
すると、令嬢の体がベッドからすうっと浮き上がった。
師匠がてのひらを返すと、令嬢の体は空中でうつ伏せに。
そしてベッドに降ろす。
「恥ずかしいなら、お前、見なくて良いぞ。」
と小声で師匠が冗談をかます。
「こほん。冗談はよしてください。今は患者を救うのが第一です。」
「よろしい。」
パチンとまた指を鳴らすと、令嬢の夜着がはだけ、背中があらわに。
すると、真っ白なやわ肌に、禍々しい逆さ山羊頭の模様が背中一面に広がっていた。
空中には相変わらず陣から飛び出した山羊頭が止まった時の中に居るのだが、本体はまだ背中に張り付いていたのだ。
しかも、閉じていたはずの山羊の目が、かっと開いているのがわかった。
「ひ!」
あまりにも禍々しく恐ろしい形相の山羊頭に、気丈なエルザもついたじろぎ、目を背けるほどだった。
そして、今は動きを止めているが、禍々しい魔法陣は、その一部の文字列は帯状になって、蛇のように背中だけでなく令嬢の全身に這い回っているのだった。
僕と師匠は治癒の方法を探ろうと必死だった。
特に中央の山羊頭に注目する。
「目が。」
「ああ。開いている。お前からの情報では、目は閉じていたよな。」
「はい。」
僕は、投影魔法で山羊頭の陣を空中に拡大して映し出した。
ちなみにこれはエルザさんには見えていない。
僕と師匠はそれを元に、状況を細かく観察する。




