471 侯爵令嬢の治療開始
「まあ!あのおとぎ話のような、国境の壁をあっという間に直してくださったという!?お目にかかれて光栄ですわ!」
とリリアーヌ嬢は目を輝かせた。
「少々誇張して世間に伝わっているだけです。」
「そんなことありませんわ。そうでなければ国王陛下も、子爵位など授与なさいませんもの。」
「そうであるな。」
と侯爵。
「恐れ入ります。たまたまうまく直せただけです。」
「くふん。」
シンハがわざと甘える声を出し、尻尾を振って令嬢に近づいた。
「かわいい!シンハちゃんというのね?撫でても?」
「どうぞ。」
「かわいいわあ!」
シンハは良い子でお座りして、令嬢に撫でられた。
メイドたちも微笑んでいる。
「(シンハ、この部屋にヤバイやつ、居る?)」
『大丈夫だ。侯爵含め、シロだな。』
「(了解。)」
シンハは皆に隙を作らせている間に、魂の黒いヤツがいないか確認していたのだ。
「こほん。そろそろお脈を拝見してもよろしいでしょうか?」
「よろしくお願いいたします。ランゲルス様。」
ようやく診察にはいる。
僕は師匠のアシスタントのように、脈拍数などをメモる。
金の葉っぱのネックレスは、少し色が鈍くなっていて、金から銅色に変わろうとしていた。
師匠もそれに気づいた。
「(サキ。世界樹の葉も変色してきている。どうやら限界ぎりぎりだったようだ。)」
「(そのようですね。)」
「リリアーヌ嬢、あなたの病ですが、これは古代黒魔術を用いた呪いです。今日はこれから、弟子と二人で解呪の施術を行います。痛くするつもりはありませんが、手強い呪いゆえ、魔法陣が暴れるかもしれません。どうか気を強くお持ちになり、我らの解呪にご協力を願います。」
と師匠はずばりと言った。
令嬢は真剣な顔になり、
「父からそのように聞いております。とても難しい呪いだそうで、少し恐いですが、どうぞよろしくお願いいたします。」
「では令嬢には眠っていただきます。サキ、お茶を。」
「はい。」
不安げな侯爵に
「これはカノコ草とサーモス茸にメルティアを加えたもので、安全な眠り薬です。毒味をするのであれば、どなたかどうぞ。」
「…では私が。」
と少し年長のメイドの一人が手をあげた。
責任感の強いメイドだから、きっといずれメイド長になるような人なのだろう。
恐れもせずこくりと飲む。
「たしかにカノコ草とサーモス茸の香りは幽かにしますが、美味しいですわ。」
とちょっとびっくりしている。
「美味しくないお薬は、誰も飲みたがらないですからね。」
と僕は笑顔で答えた。
「美味しいお薬なのね?ではエルザ、ちゃんと私の分も残しておいてちょうだいね。」
と令嬢はユーモアを交えて言った。
おそろしい黒魔術の呪いを受けているというのに。気丈な令嬢だ。
令嬢がお茶を飲むと、
「あら、本当に美味しいわ。お父様の不眠症も、これで良くなるんじゃないかしら。」
「…処方いたしましょうか?成分の弱いものでしたら、お医者様の許可無しでもお作りできますよ。」
「こほん。ではのちほど少しいただこうか。」
「わかりました。」
「さて。ではご令嬢がお休みになったら、始めます。見届け人は3名以内にしてください。」
師匠がそう言い、メイドたちの大部分が部屋から出たが、侯爵とエルザと呼ばれたメイド、そして侯爵の護衛の騎士1名のみが残った。
師匠は部屋の片隅に結界を作り、彼らをそこへ。
「この結界から出ないようにしてください。祓った呪いが飛ぶといけませんので。」
と説明した。
長時間になるので、侯爵とメイドには椅子に座って貰った。
騎士は立っているそうだ。
「それから…此処での解呪法については、相当特殊なので、他言無用でお願いします。」
と師匠が侯爵たちに言った。
「うむ。」
と侯爵は頷いた。エルザさんも騎士も、無言で頷いた。
そんなことをしている間に、令嬢は眠った。
エルザさんは一口飲んだだけなので、眠くはなっていないようだ。
「でははじめます。サキ、お前はリストの番号順に一つずつ凍結しろ。俺は凍結したものを解呪していく。どちらかがくたびれたら休憩だ。」
「わかりました。」
僕が長い杖を出し、いつものように横に構える。
師匠も同じような長い杖を出し、同じように横に構えた。
「では始める。イ・ハロヌ・セクエトー。ケレル・アルモーファ。出でませ、魔法陣!」
師匠が「顕現の魔術」を使い、侯爵たちにも呪いの魔法陣が空中に見えるようにした。
「おお!?」
「な、なんだあれは!?」
いびつで禍々しい呪いの輪が、回りながらぶわわぁ…と多数空中に現れたので、侯爵も騎士も、つい声を出した。
エルザさんは、あまりの恐ろしさに、逆に声も出なかったらしく、両手で口元を塞いで驚きまくっていた。
そうだよね。一般の人が見たら、そうなるだろうな。
呪いの魔法陣はゆっくり、時には速く、バチバチと火花を散らしながら回っている。
僕はすぐに凍結の準備に入った。
「行きます!イ・ハロヌ・セクエトー。フェディクス・ノル・グレイル…第1鐶凍結!」
すると、僕の呪文で、一瞬で一番外側の魔法陣が動きを止め、凍った。
「おお…。」
「凍結」は「フリーズ」の強いもの。呪文「フェディクス・ノル・グレイル」が必要。
そして直ちに師匠が唱える。
「イ・ハロヌ・セクエトー。ヒーリーヤ・ラ・プントス…解呪!」
停止した第1鐶がパリン!と音を立てて砕け、それからザァ…という音と共に崩れて消えた。
解呪も浄化と同じ呪文「ヒーリーヤ・ラ・プントス」を使う。浄化は解呪も兼ねるが、その場を清めることが主な目的。呪いを解くことを主眼とするなら、さらに「解呪!」と唱えるのだ。
「フェディクス・ノル・グレイル…第2鐶凍結!」
「ヒーリーヤ・ラ・プントス…解呪!」
パリン!ザァ…
「フェディクス・ノル・グレイル…第3鐶凍結!」
「ヒーリーヤ・ラ・プントス…解呪!」
パリン!ザァ…
順調に解呪が進む。
令嬢はこんこんと眠って居る。
表情に変化はなく、寝息もやすらかだ。
「フェディクス・ノル・グレイル…第20鐶凍結!」
「ヒーリーヤ・ラ・プントス…解呪!」
パリン!ザァ…
30鐶目を解呪した時だった。
「サキ。」
「!はい?」
「少し休憩だ。」
振り返ると、師匠が少し疲れた顔をしていた。
「…交代しましょう。」
「いや。まだいける。」
「まずはこれを。」
僕は師匠を椅子に座らせ、エリクサーを出した。
「…」
師匠はちろりと僕を見たが、何も言わずにそれを飲んだ。




