375 図書室のラビリンス
それから『空間魔法の実際』。これは空間魔法が使えた魔術師が書いた本で、基本が記されていたので、少しは役に立つ実用本だった。
中身は初心者用で、物体を浮かせるにはとか、体を浮かせることができれば、あとは風魔法との併用で空を飛ぶことができるはずだという、的を得た理論が展開されていた。
事実、僕は重力に逆らい、かつ風魔法を駆使することで、空を飛ぶことを可能にしたんだけどね。
重力という概念がまだないようだから、なかなか「フライ」の分析ができないのだろう。でもこれは相当な科学的知識だから、軽く開示することはできない。
ただ重力を知らなくとも魔力さえ多ければフライはできるようなので、僕がわざわざ重力を教える必要はなかろう。
そういえば、何故かトア・ゲーゼマンはフライはしなかったな…。
出来るけれど魔力が足らないからしなかったのか、テレポートは出来ても、自分が浮くイメージが出来なかったのか。
「もしかしたら、高所恐怖症とか?」
などと、余計なことまで考えてしまった。
あいつは魔術師としてはスゴイ奴なのに、剣術は全くのド素人だった…。
おそらく、いろいろな意味で、アンバランスな成長をしたのだろう。
あとは「寿命を奪う」という言い方。
あのあと、アカシックで調べると、相手のHPを奪い自分のHPとする、「ドレイン」のさらに上位スキルで、「ライフドレイン」らしい。
相手の生命力を奪い、それを自分の寿命に追加するというもの。
これは魔法で行うのは難しいが、サキュバスのスキルというから、おそらく母親から遺伝で得た力だろう。
ただし、相手の10才分を奪っても、自分の寿命10年分とはならず、効率はかなり悪いようだが。
いずれにせよ恐ろしい能力だ。
思考を本に戻す。
『空間魔法の実際』には、亜空間収納についても記されていた。
亜空間収納はそういう魔道具「マジックバッグ」や「マジックボックス」がダンジョンで見つかっており、その理論を述べようとしたものだ。だが、亜空間収納の魔道具は、時間の経過により物質は変化してしまうのがこの世界の常識だ。
熱い串焼きを入れても、夕方に取り出してみるとすっかり冷めている。なので亜空間収納と言っても、時間という概念にはしばられている、というのが定説らしい。
亜空間収納の魔道具によっては、優秀なものは時間経過が極めてゆっくりで、夕方取り出してもまだあったかい串焼きが出てくるそうだ。
もちろん、僕の亜空間収納は超優秀なものだから、時間が停止しており、熱いものは夕方出しても1年後に出しても、アツアツのままだ。
なお、収納物が意思で変化するなんてことは、僕だけのようだ。だからリンゴを入れてリンゴ酒を作るとか天然酵母を得るとか、羊の乳を入れてヨーグルトやチーズ、バターを作る、なんてことは普通はあり得ない。まして、想像すればミシンがけした服が出てくる、なんてことは、僕以外ではできないらしい。それだけ僕の亜空間収納がぶっ壊れスキルだということだ。
それから、テレポートについても少しだけ書いてあった。
テレポートをした魔族を見たとか、エルフの中にはそういうことができる者もいるとか、僕も気づいたように、ダンジョンの魔法陣で別室に飛ぶ罠はテレポートだとか、いろいろな体験談もまじえて書いてある。だが理論はあまりよく判っていないと書いてある。
A地点とB地点を単純にゲートでつないでいるだけなのだが、どうもこの本の筆者はA地点とB地点の間に亜空間があるはずだと主張している。
僕も亜空間説は否定しないが、実際は、ほんの一瞬も亜空間にいるという感じはない。
テレポートの瞬間、目を開けていても、ぱっと一瞬で風景が変わる。だからむしろA地点とB地点の時間軸と空間を、境界面でつなげているという、「どこ○も○ア」方式ではないかと考えている。
しかも僕の場合は、最初はダンジョンにあったあの魔法陣を使用した訳だが、今ではそれも使わず呪文さえいらず、行きたい場所をイメージするのみで発動できるようになった。
つまるところ、魔法に理論などあってなきがごとしで、大切なのは強いイメージなのだと思い知っちゃっている僕としては、「惜しい、もう一息!」と筆者にエールを送りたいところである。
『世界樹の秘密』は、とある人間がエルフの国に迷い込み、そこで見聞きした世界樹や神話に関する話を中心に書いたファンタジー小説。あながち嘘ではないようだが、物語として広く知られているもので、少しばかり眉唾なエピソードも含まれているようだ。
まあ、これは安全だろう。
一通り読んだので、この本も図書室に戻そうと持ってきたのだが、ところどころ挿絵があったので、世界樹の絵をもう一度見ておこうとぱらぱらとめくっていた時だった。
「ん?」
最後のページに魔法陣が描かれているのに気づいた。
一読した時には見つけなかったものだ。
なんの魔法陣だろう。
そう思って、よくながめる。
かなり複雑のようで、5重の円の中にびっしりと古代語の呪文が記されている。
どうやら何かを解錠する呪文らしい。
「レム・ヤッハール・エト…」
僕は内側から順に読み始めた。
どこから読むかは簡単だ。内側から読むのが決まりだからだ。そこには必ず「冠詞」のようなはじまりの言葉…此処では「レム」ではじまる発動呪文が記されているからだ。
一重めを読み終わるとすぐ下の文字がまた冠詞。そこから二重めを読めばいい。
どうやらスペルは珍しく正しいようだ。
そうやって内側から順につぶやくように音読した。してしまった。
呪文はなぜか中身がよくわからない。いつも僕には、呪文内容が自然にわかるはずなのに、である。「解錠」とか「繋がる」とか「開く」といった部分しかわからない。
よくわからないから、音読してしまったのだ。
ただ、世界樹に関係する呪文だということはなんとなくわかったので、危険は感じなかった。
すると。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ…
急に周囲の本棚が動き始めた。僕の目の前に通路を開くように、左右にわかれて動いていく。
『!サキ!』
傍にいたシンハが、とっさに僕の前に飛び出し、どこから何かが襲いかかってもいいように身構えた。ウウーッとうなり、背中の毛が逆立っているのは、戦闘態勢である証拠。
キュピィ!
シンハに乗っていたスーリアは一緒にぶわっと羽根を広げ、戦闘態勢をとろうとしたようだが、僕が慌てて抱きしめてやめさせた。
おまえね。まだ赤ん坊なんだから。一緒に僕を守ろうとしなくて良いんだよ。
僕は咄嗟にシンハごと結界を張って有事に備えた。
ゴゴゴゴゴ……(シーン)。
音が止まった。
本箱がようやく動きを止めたのだ。
そして見たこともないのに、なぜか懐かしい感じのする大きな扉が現れ、それもキイという音を立てて開いた。
開いた途端。
ふわあーっと心地良い風が吹いてきて、図書室の中はぱああっと明るくなった。
扉の向こう側は、草原だった。良いお天気で、心地良い風が、こちら側まで吹いてくる…。
ほんと。まじで気持ち良い風だ。
草の香りがする。
『サキ。いったいお前、何をした。』
シンハに叱られた。
「えーと。魔法陣に書かれていた呪文をつぶやいただけなんだけど…。」
『お前なあ。無意識に魔力を込めなかったか?』
「え?そう、かな?」
抱っこしたスーリアを撫でながら答える。
『かな、じゃないぞ。馬鹿者。見ろ。見たことのないダンジョンが開いてしまったようだ。』
「えー。これ、僕のせいなの?」
『ああ。呪文を見たらつぶやいてしまうクセを治せ。いずれ危ない目に会うぞ。』
「う。すみません。これからは気をつけるよ。」
『これからは、か。で、これはどうするつもりだ?』
と草原をじっと見つめ、臨戦態勢のままで、シンハが尋ねてきた。




