369 魔族
トア・ゲーゼマンによるスタンピード事件は、トアの死をもってひとまず終結した。
彼は魔族と人間族のハーフで、なんとザイツの最後の国王の息子だった。
彼の母は娼婦。しかもどうやらインキュバスだったらしい。
こうした情報は、意外なことに、帝国からの情報とのこと。
実はトア・ゲーゼマンの持ち物の中に、トア・「イルミナス」という名前の帝国アカデミーの会員証が発見された。
帝国アカデミーはこの国の魔塔に相当する、魔術の権威ある組織だ。
そのため、国王は公然と向こうの皇室および帝国アカデミーに照会をかけた。
すると、確かに数年前まではトア・イルミナスと称する学者が、アカデミーに所属し、皇城にも出入りし、皇族とも親交を持っていたという。
だが、すでに数年前に、禁忌の黒魔術を行おうとしたとして、アカデミーは除名、皇室からも出入りを禁じられ、以後は行方不明とのこと。
つまり、帝国は一切関わっていない、という回答だった。
いやいや、合成獣を作ったりするのに、絶対帝国のどこかで、研究と実験が最近まで行われていたはずだ。
つまり、公的には除名でも、皇族とか有力貴族が、裏でトアのバックアップをしていたはずなのだ。
とにかく、公式回答の情報の中に、トア・ゲーゼマンの出自のついて記されていたのである。
帝国が、公式に関与を否定してきたのだから、基本的にはこれ以上、探ることはできないだろう。だが、帝国に放っているケルーディア王国の諜報部員は、引き続き、帝国とトアの接点を探っているに違いない。
そして、今回のスタンピード事件の首謀者はハーフの魔族だったということが、なぜかさざ波のように噂で広まり、
「だからいつまで経っても魔族は魔族なんだ!」
と魔族という言葉が、人々の恐怖と憎悪の対象となっていた。
王国としては、帝国を悪者とする手もあるが、今はこれ以上関係を悪化させたくない。
となれば、国民には他の「仮想敵」をつくれば手っ取り早いわけで。
今回の魔族の血を引くトアは、都合のよい仮想敵。死んで政治の道具にされたというわけだ。
だが、魔族批判に心を痛めていたのは、辺境伯コーネリアだ。
自身もヴァンパイア種という魔族と、人間族のハーフであり、人々から忌み嫌われる対象であるからだ。
だが、あえてそうした噂は無視し、粛々とスタンピードゆえに発生した様々な仕事をこなし、領民の幸福のため、やがてはケルーディア国のためにと、身を粉にして働く毎日だった。
* * * * * * *
此処は北門。
門には「クリーンの上、入市すること」と張り紙がしてある。
「おかえり!旦那!」
「今日はお前か。いつもの。頼む。」
「まいど!」
スラムの子供に声を掛けられたのは、大きな体躯で、立派な角を持つ羊蹄族の冒険者、ハンス・ラーベル。
たくましい体躯は全身毛むくじゃらで、顔も人間ではなく山羊の顔だ。手先、足先は普通に人間に近い。だが、いざとなれば、蹄に変化させることはできる。
冒険者ランクはB。長らくCだったが、先頃のスタンピード事件での活躍が認められ、Bに昇格した。得物はハルバート。槍の先に斧がついたような武器だ。
狭いダンジョンでも活躍できるよう、柄は短槍となっている。
ハンスは、いつもスラムの子供達に、クリーンをしてもらう。
人によって、威力はまちまちだが、基本料金50ルビは固定だ。
そしてそれはスラムの子供達にとっては、貴重な収入源なのだ。
彼らはハンスがダンジョンや森から帰ってくるのを見ると、すぐにジャンケンを始める。そして、勝利者がハンスから50ルビをもらって、クリーンのアルバイトを行うのだ。
彼は生活魔法が苦手だ。
特にクリーン。自分に対してさえ使えない。
獣人族の中には、生活魔法の火起こしが苦手とか、ハンスのようにクリーンが苦手とか、普通にいるから、誰も気にしない。
ハンスの場合、火起こしはできる。水もなんとかコップ一杯は出せる。ライトは出来ないが、火で代用できたので問題なかった。だがクリーンだけはどうしてもできなかった。
魔力が少ない訳ではない。むしろ多い方だ。彼の得意は身体強化をかけ、ハルバートにも魔力を通して強化し、振り回す。それからたまに隠しだまでファイアボールのそこそこ大きいのをぶっ放す。めったにしないが、ハルバートに火属性を巡らせば、おそらく龍の鱗も焼き切ることができるだろう。
ハンスはそれなり強いので、臨時でパーティーを組むこともあるが、基本はソロだ。
人と交わることがあまり得意ではない。
彼の生い立ちはあまり幸福ではなかった。
というか、悲惨なほうだ。
帝国北部の中立地帯の生まれ。
両親は元奴隷。母が人族で、父が山羊族。
帝国の奴隷だった二人は、皇帝即位の恩赦で奴隷から解放され、北部に放逐された。
だが中立地帯は「はじまりの森」の際にあり、魔獣がたびたび出没する。
そのため、魔獣の盾とするために、こうして帝国は奴隷を北に放逐するのだ。
狩人なり冒険者になって生き延びれば御の字。運が悪ければその日のうちに魔獣に喰われる。
そんな境遇の中、両親はなんとか中立地帯の村にたどり着けた。そして生き残り、やがてハンスが生まれたのだった。
実は、ハンスの父は山羊族ではなかった。デビル族。つまり、魔族だったのだ。
魔族のうち、角がある者たちは、山羊族や羊族に紛れて暮らしている。
ハンスの村は山羊族や羊族(あわせて羊蹄族という)が多い村だった。
彼らはおっとりした性格の者が多く、魔族にも寛容だ。角があれば仲間として受け入れてくれた。
もちろん、ハンスの母は、父がデビル族と知った上で結婚した。聡明な女性だ。
魔法の洗礼は、5才くらいで受けるが、中立地帯に聖職者などなかなか来るものではないから、親兄弟や近所の人から魔法の使い方を見よう見まねで習う。
ハンスもそうやって魔法が使えるようになっていったが、どうしてもクリーン魔法だけはできない。父もそうだった。
クリーン魔法は、聖属性魔法の一種と言われるが、ヒールのような聖属性魔法が使えなくとも、生活魔法のひとつとして人間族やエルフ族はほぼ皆が使える。
だが獣人族やドワーフの中には、ライトやクリーンが使えない者も時々いる。
そして魔族の場合は、聖属性が使える者はほぼおらず、生活魔法のクリーンでさえ、使える者はかなり少ないらしい。
魔族の血を引くハンスと父は、当然ながら聖属性魔法も、光属性のライトや、クリーンも使えなかった。
ちなみにコーネリア様は別格である。極めて優秀な彼女は、血のにじむような努力の末、水と風魔法によってクリーンもできるようになっていた。
ただ、ライトだけは苦手で、火玉を出すか、魔道具の指輪でライトを出してごまかすようにしていた。