31 湖の精
この森は「はじまりの森」という。名前のとおり、世界はこの森から広がっていったと伝えられているらしい。
「でも世界樹は?このあたりが森の中心なら、世界樹があるはずだよね。」
『世界樹は別の空間にあるらしい。つまりダンジョンのようなところにあるようだ。』
「あーやっぱりあるんだ。世界樹。なるほどね。」
それで森の中心部なのに世界樹がみあたらないのか。
それにしても…本当に美しい森だ。
鬱蒼として薄暗いところはもちろんあるが、場所によっては木々が少なく、木洩れ日が地面まで通って明るいところも多い。
下草が多くて藪を漕いで通らなくてはいけないところもあるけれど、下草が少なく、歩きやすいところも多い。行ったことはないけれど、ヨーロッパの「森」はこんな感じではないかと勝手に思っている。日本と違い、急峻な山道ではなく、ゆったりとした起伏の大地で、どこまでも森が続いている。あまりゴツゴツしていなくて、何処まで行っても森!という感じ。そして時折唐突に少し広い草原があったり、小川が流れていたり、湖が現れたりするんだ。
いわゆる獣道ももちろんある。最初は全然見分けが付かなかったが、森の生活に慣れてくると、獣や魔獣が通ったあとがわかるようになってきた。
獣たちも、あまり藪を漕ぐのは好きではないようで、歩きやすいところを選んで歩くから、そこがやがて道になるのだろう。
今は春なので、ツユクサとかラベンダーのような、丈の低い小さな花を付ける草たちが、木々の下に絨毯のように広がっていることが多い。
どんな「雑草」なんだろうかと鑑定で調べると、「ラス・ペイネ草:ペイネ草の上位種。重傷の傷にもよく効く。エリクサーの材料。」とか、黄色の小花を付けるのは「ラス・ロンギ草:ロンギ草の上位種。多くの病に効く。殺菌効果のある抗生植物。エリクサーの材料。」とか。
ちょっと待て。此処は薬草の宝庫じゃんか。さすが「はじまりの森」の最奥だけはある。鑑定をかけると大抵、上位種とか、珍種とか。あらやだ。此処の雑草だけで一財産になりそうな勢いだ。
考え始めると頭が痛くなりそうだから、鑑定は今はほどほどにしておこう。
もちろん、危険な植物だってある。
真っ赤な花で獲物を誘い、魔狼だって食べちゃうというとんでもない人食い植物のライラモスとか、猛毒の根を持つオリエラードという黒紫の花を付けるやつとか。
そういうやばいものは、シンハが教えてくれる。半径1メートル以内に近づくなとか、触ると手足がしびれるぞ、とか。
でもシンハほどではないが僕もなぜか毒には強い体らしいし、何かに触って手が腫れたということもない。
シンハ曰く、おそらく僕は、世界樹の加護を持っているから、どんな植物でも大丈夫なのだろうと言っていた。本当かな?
僕たちの寝床の洞窟から少し行ったところにある大きな湖周辺は特に美しい。
「妖精の湖」と呼ばれているこの湖は、湖面は青く澄んでいて、かなり深いだろうに、透明度は高い。広さはかなりあって、一周するのに数時間かかるほどだ。水面には周囲の木々が映り、空が映り、雲間から太陽が顔を出すと、反射してまぶしいほどだ。水辺は普通の石だけでなく貴石がたくさん落ちていて、それがまた陽の光をあびてきらめいている。朝方は霧が出るが、太陽が昇るとぱあっと霧が晴れて、青空が湖水に映える。優しい風が湖面を撫でていくと、さざ波が立ってそれもまた光を乱反射させて美しい。
ここもまた、昔、テレビでしか見たことがない北欧のどこかの風景のように、まさに絵になる、いや、絵よりも美しい場所だ。
今朝はとびっきり早起きして、まだ真っ暗なうちに洞窟を出た。夜明け前の「蒼い」時間の湖が見たくて、シンハにおねだりしたんだ。
それは想像していた以上に神秘的な湖の姿だった。
『ふあーあ。お前も物好きな。いつもねぼすけのお前が、景色を見るためだけに早起きをするとは。』
「えー。だって。見てよ。こんなに綺麗な景色をひとりじめ…いや、ふたりじめじゃないか。最高に贅沢な時間だよ。」
『ふん。まあそうだが。』
僕の隣で伏せているシンハは、ちらと次第に明けてくる湖の風景を見て、また目を閉じる。言葉では不満そうに言いながら、僕がさっきからもふもふと撫でているせいか、ふっさふっさと機嫌よくゆったりと尻尾を振っているぞ。
次第にピチュチュチュ…と小鳥たちの声も聞こえはじめる。
気づくともう「蒼い」夜の名残の時は終わり、太陽の支配する時間がやってきていた。空が一方だけ次第に赤くなり、東はあちらだと判る。そしてぱあっと明るくなったと思うと、木々の間から明るい陽の光がさし始めた。
「朝だね。おはよー。シンハ。」
『うむ。』
小鳥の声があちこちからにぎやかに聞こえ始める。
「うーん。よいしょっと。」
僕は大きく伸びをして、立ち上がった。
「魚、獲ってく?」
『ああ。』
腕まくり、裾まくりをし、靴を脱ぐ。
「そういえばさ。」
『うん?』
「なにげに水に入る準備してるけど、此処って本当に凶暴な魔獣はいないの?魔魚とか、魔ワニ…トカゲのでかいのとか。」
『いない。安心しろ。』
「ふうん。」
シンハがいつもと違って断言してくるから、ちょっと気になったけれど、今は気にしないことにした。
僕はほどよく冷たい水へと歩いていく。
足のしたに沢山の宝石があるのが、なんだか不思議な気分だ。
「宝石の上を歩くのはまだ馴れないや。」
『ふふん。此処ではただの石っころだがな。』
「本当に。価値観が崩壊だよ。」
そんなことをいいながらも水に入ると、小さな魚が泳いでいるのがよく見える。
「あ、居た!」
『と言っていないで獲れ。』
とシンハに叱られる。
「小さかったから。」
『美味そうなのを頼む。』
「って寝てるし。」
シンハはまだ伏せたままだ。
僕は足元に転がっていた適当な大きさの石をいくつか拾うと、そのうちのひとつをぱっと水面へと投げた。
パシュッ!
鋭く石は斜めに水中へ切り込むように入る。そして数秒後。ぷかーっと一匹の結構大きな魚が浮いてきた。
「やった!大物ゲット!」
引力魔法で引き寄せ、シンハに見せるために尻尾を掴んで持ち上げる。
『ふむ。まあまあだな。』
とシンハ。
えっらそうに。
「ちぇ。大食漢が。自分で獲れよな。」
『魚採りは性に合わん。』
「はいはい。肉好きなフェンリルさま。」
と言いながら、獲物は亜空間に収納し、また石を投げて一匹ゲット。
『昨日お前が食った魔猪は、俺が獲ったやつだ。』
「だから?」
と言いながらもう一匹ゲット。
『仕方ない。俺が一発吠えてだな。』
とおもむろに立ち上がる。
「ストップ!駄目だよ。そんなことしたら、湖の魚全滅するから。」
『ちっ。』
また座り込むシンハ。
『お前の収納に入れておけば、腐らないからよいではないか。』
「乱獲はダメ。それはマナー違反。」
そう言いながら、また1匹ゲット。
「4匹じゃ足りない?結構大きいよ。」
『まあよかろう。ご苦労さま。』
くわらっと大あくびをして、ようやく立ち上がる。
「まったく。相変わらず上から目線なんだから。」
『何か言ったか?』
「べっつにー。」
僕は最後の一匹を収納に入れ、水から上がった。
うふふ…。
「ん?」
『!』
シンハが一瞬緊張する。
僕は声がした湖のほうを振り返った。
「おはよう。」
鈴の鳴るような女性の声。
綺麗なおねえさんが立っていた。
しかも彼女は全身が青っぽく、透き通っていた。
長い髪も、長いドレスも。
そして彼女は水面から数センチのところに浮いていた。
「お、はようございます?」
うふふ。
また笑われた。
「はじめまして。人間の子。お久しぶり。森の王様。」
『うむ。』
シンハの知り合い?
ようやく3人目?の主要人物が登場しました。