291 「トカゲの尻尾亭」は開店できるか
夕方、夕食の支度をシルルとユーリと一緒にしていると、ノッティア夫妻がそれぞれの仕事から帰ってきた。
帰り道で一緒になったそうで、仲良く一緒に帰ってきた。
「おかえりなさい。サキさん。」
「お疲れ様でした。」
「ただいま。今日、お昼くらいに帰ってきたんだ。どうですか?ヴィルドにはもう、慣れました?」
「おかげさまで。冒険者ギルド長や「海猫亭」のマーサさんには本当によくして貰っています。」
「ええ。いずれライバルの宿屋を開くっていうのに、いろいろヴィルドでのノウハウまで教えてくれて。本当にありがたいです。」
「そう。それは良かった。」
「本当に。なにからなにまで、サキさんのおかげです。」
「いえいえ。僕なんか。すっかり皆さんを放置状態にしちゃって、すみませんでした。」
「そんなことないです!シルルちゃんにも本当にお世話になって。凄いですね。子供とは思えない料理と家事のスキルです!」
「あはは。彼女はそれが生きがいらしいから。シルルも楽しかったみたいですよ。特に料理や家事について、お二人といろいろ意見交換できて。それに、ユーリが居てくれたから、なおさら楽しかったようです。いつも一人でお留守番ばかりさせているので。」
「そうなんですか?サキさんのこと、とても慕っているって、シルルちゃんの様子からもわかりますよ。」
「そうですか?だと良いんですけど。…ところで、宿にいい場所、ありましたか?」
「それが…。賃借のできる空き地というのは無くて。
エストギルド長にも相談して、売りに出されている土地も探して貰ったんです。すると一カ所だけ、候補地があったんですが…。
北門近くの路地の、奥まったところです。広さも丁度いいし、古い家がまだ建っていましたが、そこならすぐにでも売買できるはずだと言われて。私たちも、結構気に入った場所だったので交渉してもらったんですが…。あれは売却は無しだ、取り下げたはずだと言われて。」
「もしどうしても欲しければ、かなり高額になるぞとも言われて。」
「おやまあ。所有者はどなたなんです?」
「商業ギルド長のジャック・ド・フーパーさんです。」
「ふむ。…で、ちなみにおいくらだったんです?その土地代。」
「古い家屋含めて800万ルビだそうです。」
「うわ、高っ!」
日本円で8000万円って。下町で?ありえねー。
でも、僕のエリクサー一本分なんだけどね。
「そんなに豪華な家なんですか?その古い家。」
「ぜんぜん!普通の民家にお店がついた感じで、しかも半ば廃屋ですよ。」
「じゃあ、ほぼ土地だけでそのお値段なんでしょうね。」
「はい。勉強したお値段でそれだと言われて…。」
「うーん。」
僕の屋敷は、敷地面積300坪は優にあるが、建物コミでたったの250万ルビだった。たしかに幽霊騒動で破格だったが、貴族家だったところ。本来なら800万でも1000万ルビでも仕方がない。あの時たしか、250万でも、庶民は出せない値段だと言われたぞ。
北門近くなら職人街でもあるから、いわば下町だ。そんなにあの辺が高いとはとても思えない。なんか、とんでもなくぼられている感じがする。
「エストギルド長も、それは暴利だと交渉してくれたのですが。嫌なら買わなければ良いだけだと、けんもほろろで。」
「…。ちょっと僕も周囲に聞いてみます。」
「あの。サキさん。宿屋がダメなら、食堂だけでやろうかと。」
「たしかに、そういう手はありますね。…でも、どちらが第1希望なんです?食堂?それとも宿屋?」
「…。やっぱり、宿屋です。忙しいけど。…俺たち、もともと冒険者で。若い時なんかは、いつもお金が無くて、ダンジョンや森で野宿もしていました。そういう奴らでも、相談してくれたら泊まらせてくれるような宿屋があるといいな、なんて思っていたんです。
そこそこ強くなって、「ワイバーン殺し」なんて言われるようにもなって、お金も貯まりました。でもユーゲント辺境伯領で仕事してたら、俺が酷い怪我をして、引退せざるを得なくなって。
たまたまギルドが土地と建物を所有していたので、建物だけ買って改造し、こいつとあそこに宿を開きました。
でも、いざはじめてみると、冒険者だけじゃなく、帝国から逃げてきたような訳ありエルフとか獣人とかもいる街だとわかりました。
だから、そういう人でも泊まれる宿屋にしようって頑張っていたんです。できれば、俺は宿屋を続けたい。あまり儲からないし、忙しいですけど。」
「まったく。あたしゃ貧乏くじだよ。こんなひとにホレちまってさ。」
「うふふ。ごちそうさまです。」
「もう!サキさんたら。やだよう!照れるじゃないか。」
ばしっと叩かれた。
いて。
なんでこう、女性はすぐ手がでるかなあ。
「えと。じゃあ、宿屋が第1希望ってことで、いいですね?」
「「はい。」」
「わかりました。とにかく、僕も良い案がないか、考えてみます。あ、それから、土地代のことは、あまり考えなくていいですよ。土地は僕が買ってもいいと思っていましたから。」
「「はい!?」」
「あーこう見えて、僕、結構コガネ持ちなんです。いざとなれば、僕が土地を買って、大家さんになっちゃおうかなんて思っていましたし。もしヴィルドに落ち着くつもりでしたら、分割で少しずつ土地をお二人に買ってもらってもいいし。だから、あまり心配せず、宿屋を開くことだけ考えていてください。いいですね。」
「でもサキさん、それではあまりにも…」
「いえ、これは「投資」です。ノッティアさん一家のことが、僕はとても気に入りました。特に、若い冒険者など困っている人を助けたいという心意気が。だから、ウィンウィン…えと、お互い得をする話なんですよ。」
「はあ…。」
「とにかく、土地については、僕も探してみます。開店準備をしながら、少しお待ちくださいね。」
「ありがとうございます!」
旦那さんが、がっちり僕の手を両手でつかみ、頭を下げた。
「いえいえ、よく僕はこういう時、こう言うんです。「大丈夫、「泥船」に乗ったつもりでいてください」ってね。」
今夜はノッティアさん一家も含めての夕食で、とても賑やか、和やかだった。ホルストックシチューや特製サラダ、特製のデザート(果物と、冬なのにレモンシャーベット)が、さらに美味しく感じられた。