24 ノスタルジア
今日は日が落ちてもうらうらと暖かい。もうすぐ夏が来るのだろう。
僕は外のたき火の傍で、シンハの毛並みを堪能しながら彼の背中を撫でている。
シンハはそれが気持ちよいようで、尻尾をゆったりとファサ、ファサ、と揺らしながら、僕の撫でる手が行ったり来たりするのを楽しんでいるようだった。
こうして穏やかな夜のはじめの中にいると、ふと、地球での記憶を思い出す。
大抵は家族のことだ。
とうさん、かあさん。田舎のおじいちゃん、おばあちゃん。元気な従兄弟たち…。
僕は病死だったから、突然の事故死よりは、とうさんもかあさんも、ある程度覚悟はできていたんじゃないかな。最期のほうは、何回も入退院を繰り返したし。なんらかの踏ん切りは、つけたのでは、と思う。
それから、こちらに来ての記憶だと思うが、誰かが、僕の両親には、こちらで僕が転生してそれなりに幸せに暮らしていると、夢で伝えてくれると約束してくれたような気がする。というか、そういう記憶がある。かすかだが。
あれは世界樹の精だったのかも。
僕には兄さんはいないけど、なんかそんな雰囲気のひとで…。いや、おぼろげであいまいなんだけど、結構長くおしゃべりをしていたような気がするんだ。
そんなふうに、意外と後顧の憂いがないように、神様?いや世界樹かな?が、してくれているのに、やっぱり思い出すのはかあさんの笑顔とか、あったかい素朴な家庭料理とか。小さいころにとうさんとしたキャッチボールとか。
ああ。月が、綺麗だ。こっちは二つもあるけれども。
無性に、向こうの曲が歌いたくなった。
春の宵なら、あれかな。
『朧月夜』の歌詞を口ずさむ。
たしか小学校の音楽の教科書に載っていたっけ。
シンハがぴくりと耳を動かす。
シンハは僕が歌うのが結構気に入っている。
もっと歌え、というくらいには。
2番まできっちり歌い終えるまで、シンハのしっぽはぱったぱったと、規則的に動いていた。
その後も数曲、向こうの歌を歌った。僕が歌うのは、たいてい童謡。母が歌ってくれたものだから。当時のイマドキな歌なんかも歌わないことはないけれど、なぜか病床にあったとき歌いたくなったのは昔の童謡ばかりだった。そしてこちらの世界でも。
シンハのお気に入りは『月の沙漠』。
今日も最後にそれをこちらの言葉で全曲歌って終わりとした。
「シンハは好きだよね。この曲。」
『ああ。』
「どうして?王子様とかお姫様に知り合いでも?」
『ふふ。そういうわけではないが。なんとなく、だな。』
「ふうん。」
『昔の相棒が、吟遊詩人だったせいで、そういう物語性のある歌が懐かしいのかもしれん。』
「あーなるほどね。」
シンハは情が深い。戦で亡くしたという元相方のセシルさんのことを、懐かしんでいることがよくある。
「じゃあ、今度はシンハが歌ってよ。この世界の曲。」
『む。お、俺は、歌えん。』
「えー、歌ってよう。セシルさんがどんな歌うたってたのか、おしえてよう。僕も知りたーい!」
『むむ。』
「教えてくれたら、僕も歌ってあげられるんだけどなあ。」
『う。ず、ずるいぞ。』
「どうしてさ。ね!念話でもいいから。歌って。」
『うー。仕方ないな。』
そして、シンハは半分念話で、半分は声で、歌ってくれた。
それは悲しい恋の物語。異国の王子を好きになった、町娘の歌。
音階は地球の西洋音楽とアラビア風が混じってる。フレーズを聞いていると、ところどころバッハとかヘンデルみたいな音色や、アラビアンナイトみたいな雰囲気の音色の両方が感じられた。
「へえー。シンハが歌うと、ヒト族男声のいい声に聞こえる。うん。いいね。」
『せ、セシルから習った。奴はもっと声が高くてよく響くいい声だった。』
と照れながら言った。
「メロディーはわかったから、僕も歌えると思う。セシルさんほど上手じゃないけど。」
僕がハミングでメロディーを歌うと、
『うん。そうだ。そうだった。』
と満足げに尻尾をふり、ふり、とゆっくり動かしていた。
「楽器が欲しいね。ギターなら少し触ってたから、じゃあ明日から材料を探して作ろう。」
『おお、どんな楽器なんだ?』
「えーとね。こんな感じの。」
僕が地面に絵を描くと
『ふむ。シトーラムに似ている。弓で弾くのか?』
「ううん。これは指とかピック…えーとなにかの角とかを薄くした三角っぽい小さな板で弾くんだよ。弓で弾くのもあるけど、形はちょっと違うね。」
『なるほど』
というわけで、僕はギターとウクレレの中間くらいの大きさの楽器を最初は想定していたけれど、脇板を曲げたり接着したりは難しかったので、結局バンジョーのような琵琶のようなものになった。エルダートレントの実の半分をくりぬき、表面にもエルダートレントの薄い板を貼った。竿も同じくエルダートレント材で作る。材木化するのは実際にはとても時間がかかるし体力もいるから、亜空間収納内での作業である。
接着剤はウルシのような樹液とスライム液とを混合させて作った。混合させると強度が増すことがわかったからだ。
大体はもちろん自分の手で作ったのだけれど、細かいところや仕上げは、亜空間収納にぶちこんで加工した。
僕の亜空間収納は、ものを自在に合体や変形させることができる。糸は魔羊の腸をこれも亜空間収納で適当な細さにし、ヨリをかけたりして作った。それと高音部はアラクネ糸だ。金属糸はまだ作れない。でもそのうち作れるようになると思う。
シンハと約束した宵から数日後、僕は異世界製ギターでクラシックギターの定番『マリア・ルイサ』を弾いてシンハに聞かせた。
すると、それはそれはいたく気に入って、何度もリクエストされた。ちなみにこの手製ギターはギターとウクレレの間の大きさで、インドの楽器シタールにも似ているので、「シターレ」と名付けることにした。
眠る時、ふと気づくと無意識にシンハに体のどこかしらをくっつけて寝ていることが多い。前足にしがみついていたり、顔をシンハの胸あたりにうずめていたり。べつに暑苦しいほどくっついているわけではなく、だいたいはちょこっと接触程度だが。こうしているとお互い安心みたいだ。そのせいか、魔力の親和性が増したようで、魔力のやりとりもしているし、寝ている間に無意識に意識のシンクロ(同調)もしているようだ。そのせいかシンハが小さくて母親に甘えている夢とかもみるようになった。お母さまはシンハそっくりで、とてもきれいな白い神獣で、そしてシンハを見る目は優しく、それでいてとても強いフェンリルだった。
セシルさんやレスリー賢者さんの顔立ちもわかった。セシルさんは金髪緑目で、たしかに優し気な美形。もっと軽薄な感じかと思っていたがそうではなく、どこかの王子さまのお忍び姿みたいだった。たしかにこりゃモテるわ。もしかすると、本当にどこかの王族か貴族の末裔だったかも。
セシルさんの声や歌も、シンハの夢の中で知った。
確かにいい声だ。裏声で歌うと、男性ソプラノ歌手みたいな声も出る。地球でならモテモテだろう。オリンピックの開会式とかに出そうだ。
でもこちらの異世界では音楽家の地位はあまり高くない。特に旅から旅の吟遊詩人は。珍しがられるし、貴族にはウケはいいみたいだけど。苦労したんだろうな。
賢者さんは耳の尖った、こちらもハンサムな優男。長い銀の髪ですらりとしていて、思っていたより見た目はまだ若く、30歳そこそこみたいに見えた。歌はどうか知らないが、話す声は穏やかな声だった。
シンハのことを見る目は二人とも優しくて、とってもシンハを可愛がっていたことがわかる。
シンハの夢のことはきっと恥ずかしがるだろうし、シンハとお二人だけの大切な思い出だろうから、僕は口に出しては言わない。でも二人とも優しかったことがわかって、僕としては夢でもお会いできて良かったと思う。
僕の過去のことも、シンハは同じく夢でみたようで、
『お前は白い四角い部屋で生きていたんだな。』
とぼそりと言ったことがある。きっと病室の夢だろう。
僕はとっくに地球の日本から来た事や、かつて大病して死んだこともシンハに話しているから、なにか見られても、シンハにならいいやと思っている。シンハもそう思っていてくれたらいいんだけど。
そんなわけで、僕とシンハはますます絆を深くしていった。
明けましておめでとうございます。新春一発目の投稿は、閑話的な話になりました。本当は歌詞を載せたかったけど、許可がいるので。ぜひ歌詞やメロディを思い出しながらお読みください。童謡系、どれも歌詞が素敵です。「マリア・ルイサ」はサグレアス作曲。綺麗な曲で大好きです。