219 ライム商館長
『ガルル。俺は犬ではない。』
とシンハが歩きながら反論し僕を睨む。
「(一応魔犬、ということにしてるんだぞ。最近は。)」
犬、から魔犬、に昇格(?)しておいた。
『…結構すでにフェンリルとばれているようだ。そろそろ公表するか。』
「(いやいや。これ以上、目立つとやばいから。)」
『ふん。よく言うな。お前の言動行動だけで、もう十分目立っているというのに。』
「(シンハ、なんだか今日、機嫌悪いの?やけにからむなあ。)」
『そろそろ狩りをしたいだけだ。お前は家のことやフューリのこと、余所様のトイレのこととかで、忙しかったからな。』
「(ん。…トイレ、ね。ああ、分蜂のこともあったしね。…狩りか。僕もそれは考えていたよ。そろそろ冬支度もあるから、森の奥のほうで美味い魔獣を狩りたいね。)」
『うむ!』
「(でも今日は、商談に来たんだから、行儀良くしてね。)」
『わかっている。』
とフンと鼻をならした。
玄関に到着すると、そこにはすでにエルガー執事長が笑顔で待っていてくれた。
「いらっしゃいませ。」
「またお邪魔します。」
「コーネリア様がお待ちです。執務室へどうぞ。それから…ライム商館長もお待ちですよ。」
ライム商館長。アラクネ布の件で協力してくれる商館のトップ。
エルガーさんに先導されて、広間を突っ切り、2階への階段を昇る。
普通、来客は1階の応接室に通されるらしいが、僕とシンハは最初から2階奥の執務室だった。エルガー執事長から聞いた話では、親しい方や気に入った方の場合は、執務室に通されるそうで。
僕とシンハはコーネリア様のお気に入りらしい。まあ悪い気はしないけどね。…それ以上は考えないことにしよう、うん。
「ライム商館長は、執事長さんから見てどんな感じの方ですか?」
と、2階の階段を上がりながら訊ねた。
「そうですね…。商才があるだけでなく、人間的には『実は』素晴らしい方ですよ。」
うん?何故『実は』と着くのん?
エルガーさんはなぜかちょっと苦笑しながら、
「まあ、見た目や仕草はちょっと個性的ですが。」
と付け加えた。
どういうことだろう、と思いながら、廊下を歩いていく。ギルドでカークさんあたりに聞いてくればよかったかなあ。
などと思っていた時。
「きゃー!なにこれなにこれ!」
と、執務室のほうから、騒がしい声が聞こえてきた。
「?」
コーネリア様の声ではない。ミネルヴァさんの声とも違う。
では、ライム商館長?あれ?女性なのか?
と思いつつ、エルガーさんがコンコンとドアをノックする。
すると、いつものようにミネルヴァさんが顔を出し、
「いらっしゃいませ。どうぞお入りください。」
と笑顔で言われた。
「こんにちは。」
と挨拶していると、また奥のほうから
「凄いわ凄いわ!ネリちゃん!あたしも欲しい!」
と聞こえた。
「うふふ。ライム商館長ですわ。」
とミネルヴァさん。
「サキ様に設置いただいた、おトイレに感激しているのですわ。」
と笑いながら言った。
「ああ、ナルホド。」
僕が設置したトイレは、コーネリア様の居室の奥にある。
コーネリア様の居間や寝室と執務室は、内側にある専用の廊下で繋がっている。
実はこれは公然の秘密らしいが。
トイレは内側の廊下を通って執務室からも行ける構造になっている。
どうやらコーネリア様専用のトイレをライム商館長に使わせたら、この歓声が起きた、ということらしい。
コーネリア様を「ネリちゃん」と呼び、内廊下を教えるくらいには、ライム商館長とコーネリア様は親しいようだ。
執務室に入っていくと、ちょうど内廊下に通じる扉から、コーネリア様ともう一人の人物が、執務室へ戻ってくるところだった。
「素晴らしいわ!素晴らしすぎ…!あら!まあまあまあ!貴方がサキくんね!」
と甲高い声で言い放ったのは、なんと、背の高い、結構マッチョな男性だった。
しっかり化粧をし、目元にはアイラインを引き、口紅もつけている。服装は華やかな男性貴族風。そう。ライム商館長は、どうやらオネエ趣味らしい。
くねくねと腰を揺らしながら、両手の小指を立てて、いそいそと僕たちに近づいてくる。
指には複数の指輪。
いろいろ魔法付与がされているようだ。
すると、物事に動じた事の無いシンハが、ビクッとし、全身の毛を立て、たじろいだ。
シンハもびっくりしたのか?
いや、僕だって驚いたけどさ。
「ワタクシ、レジーナ・ブルー・ド・ライムと申します。どうぞお見知りおきを。」
と優雅に貴族風の挨拶をした。
「本名はレジナルド、じゃ。」
とコーネリア様。
「あん。ネリちゃんのイジワル。それは男名だから嫌いなの。レジーナと呼んで頂戴ね!」
とまた小指を立てて言うと、いつの間に取りだしたのか、右手に持った扇をばさっと広げて、口元を隠し、ぱちぱちと瞬きをしながら、意味深な流し目で僕を見る。
「町中でお見かけしたことがあるのよ。でもこうしてお近くで見ると、ますますハンサムでいい男ねえ。可愛いわあ。サキくん、末永ーく、よろしくね。」
と言いながら扇を電光石火で畳むと、僕の顎に扇の先をちょいと添え、さらにばっちん、とウインク。
うっく。なんだこの人、やりたい放題。しかも意外に素早い。
僕はさりげなく扇を押しのけながら、ご挨拶。
「は、はあ。えと。…こほん。初めまして。サキ・ユグディオです。お目にかかれて光栄です。ライム商館長。」
「まあ、お堅いのね、レジーナと呼んで頂戴。」
「これ。サキに無理強いするでない。そなたにおびえておろう。」
とコーネリア様。
はい。おびえてます。
「えと…。こちらはシンハ。僕の相棒です。」
シンハは一応お座り姿勢になった。普通なら尻尾を振って、「ばう。」くらい言うのだが、今日は尻尾が動かない。それどころか、なんだか逃げ腰だ。
「まあまあ!初めまして!シンハちゃん!真っ白ねえ。撫でても?」
シンハを見ると、
『嫌だ!』
と念話で叫んで、さっと腰を上げ、僕の後に隠れた。
こんなシンハは初めてだ。
「あらあ。嫌われちゃったかしらん。」
「(シンハ、どうした?悪い人ではなさそうだけど?)」
『香水の匂いがきつくてかなわん。窓を開けてくれ。俺はバルコニーにいる!』
と言うと、とっとっと…とバルコニーに急ぎ足で行き、開けろとバルコニーのドアに前足を押しつける。
「あー、えーっと…バルコニーでひなたぼっこしたいみたいです。いいですか?」
とコーネリア様に尋ねた。
「うむ。よいぞ。」
ミネルヴァさんが、バルコニーの扉を開けてくれた。
ふわりと秋の風が入り、分厚いカーテンを揺らした。
けん!けん!とシンハが2度くしゃみをした。
「ああ、わらわには解ったぞよ。レジ、そなたの香水がシンハ殿にはきついのじゃ。」
「あらま。」
「今後はサキに会う時には香水を控えよ。さもないと、本当にシンハ殿に嫌われるぞよ。」
「むう。仕方ありませんね。以後は気をつけます。」
「すみません。わがまま犬で。」
『わがままではない!仕方ないことだ。犬でもないぞ!クシュン!』
シンハって、見かけによらず、くしゃみが可愛いんだよね。
思わずくすりと笑ってしまった。
シンハはバルコニーでようやく息ができたようで、べたりと座り、目を閉じている。
確かに今日は、寒さ知らずのシンハには、お昼寝日和だよなあ。いいなあ。うらやましいなあ。
と頭が逃避したがっている僕。
「それにしても、凄いわ。あのおトイレ。あれも売るんでしょ?」
「あれは機能が多すぎるので、いずれはもう少し簡略にしたものを、貴族用として販売することを考えています。庶民用はさらに簡易にしたものをと。」
「ふむふむ、具体的には?」
「えーと。」
僕が困っていると、コーネリア様が察してくれて間に入ってくれた。
「こほん。レジ。今日はまず、サキ殿には料理のレシピについて、特許を4種とってもらう。そのあとでアラクネ糸と布の商談じゃ。これこそがそなたを呼んだ理由でもある。トイレは今日の議題ではないぞよ。早まるでない。」
「あは。そうでしたわね。特許申請には同席してもいいかしら?」
僕は別に構わないけど…。どうなんだろう。
とコーネリア様を見る。すると、
「うむ。だが一切、口出しはするな。質問も無しじゃ。我が家で最初にレシピを買い、我が家の料理長が作ることにしておるからな。レシピ内容も、まだそなたには見せられぬから、そなたには目隠しをしてもらう。それでよいなら、この部屋に居ることを許す。」
「むう。目隠し…仕方ないわね。わかったわ。でもネリちゃん、お料理は、お宅で作ったら、真っ先に食べさせてよね。
実は噂はもう聞いたのよ。サキ君のおうちでの「伝説のパーティー」のこと!そのメンバーもとんでもない人たちばかりだったようだけど、見たことも聞いたこともない、すんごい料理が次々出てきたそうね。食器もカトラリーも凄かったって。ああー、もっと早く、サキ君とお友達になっていれば良かったわぁ。悔しい。」
うぐ。もうオトモダチ、なの?
それにしても、情報ソースは誰だろう。心当たりが多すぎて、わからん。別に口外するなとは言わなかったしね。それは別にいいけど。
またまた個性的な人物が登場しました!