214 辺境伯邸の図書室&試飲
見てはいけない本や貴重すぎる蔵書は此処にはないそうで、どれでも自由に見ていいとのこと。
「あ、それから、妖精や妖精の使う魔法について書いた本などはありますか?」
「そうですね…。たしか2階ですね。」
と言って、僕を促して奥の階段を上がる。
あるんだ。やっぱり此処、すごい!と内心思う。
明かり取り窓のカーテンを少し開ける。蔵書が傷むので、普段はカーテンを開けないようだ。
2階もびっしりと蔵書で埋められ、圧巻だった。
「ああ、ありました。このあたりになります。量は少ないですが。」
妖精についての本は、たしかにそれほど多くはない。だが棚3つ分もある!
「いやいや、これだけあるなんて、すごいです!ありがとうございます。」
ざっと表題を眺めると、伝説・説話が多いようだ。
「…。『光の牢獄』の妖精のことでしょうか。」
「え?あ、ええ。そうですね。まあそれだけが理由ではないですが。」
僕の眷属は、妖精も多い。シルルやメーリア、サラマンダにグリューネ、土の一番のグラント…。それに、直接の眷属でなくとも、知り合いはたくさんいる。みんな友達だ。彼らのことをもっと知りたいし、「風の原」に行くための知識も入れておきたい。
ふと気づくと、エルガーさんは何か僕の回答を待っているような感じだった。
「妖精のことを、もっと知りたいのですよ。僕には結構身近な存在なので。」
「なるほど。そうなのですね。さすがサキ様です。」
「??」
何が「さすが」なのかよくわからないが、エルガーさんは僕の答えに納得いったようだった。
「では閲覧が終わりましたら、扉脇の紐を引いて、鈴を鳴らしてお呼びください。お手洗いなどで中座なさるときは鍵を掛けてお出になってください。一番近いお手洗いは廊下に出てすぐ右隣の扉のお部屋にあります。」
と言って、大切な鍵をテーブルに置いた。
「わかりました。」
「のちほどお茶をお持ちしますね。」
「どうぞお構いなく。」
「では。」
執事長は一礼すると部屋を出て行った。
『この粗忽者め。』
「ん?」
『フューリを牢獄から解放した話の時も思ったが、お前が妖精を見たり、妖精と話せたりできることは秘密ではなかったのか?妖精のことを普通の事のようにぺらぺら話題にしおって。』
「うっ。そ、そうかな。」
『そうだ。このトウヘンボク。危機感なしのゆるゆるめ!』
「あははー。まあいいじゃない。いずればれるだろうしさあ。」
『ったく!』
僕はシンハに叱られたが、気を取り直し、棚を巡って魔法の本を数点手に抱えると、閲覧机に戻った。シンハは僕が閲覧机に戻ると、くわらっと大あくびをし、窓辺で丸くなって寝てしまった。
まあ、シンハがくつろいでいるということは、ここは安全ということだろう。
あとは執事長が紅茶を持ってきた気配を感じたけれど、それすら無視して黙々と読書にふけった。
だって、見たことのない魔法陣が書いてあったり、暗号が書いてあったりして、面白かったんだもん。
夕方、シンハに膝上に顎を乗せられるまで、僕は夢中で読みふけっていた。
はっと気づくと、もう窓の外は夕暮れ。
「おっといけない。そろそろ帰らないと。」
『ああ。夕飯に遅れると、シルルが拗ねるぞ。』
「そうだね。帰ろう。」
あわてて蔵書を元の棚にそれぞれ戻し、言われたとおり、扉横の紐を引いてベルを鳴らした。
執事長が窓やカーテンを閉めるのを手伝い、図書室を出た。
帰る前に、コーネリア様に再度会ってお礼を言い、いくつか書写したい図書が出てきたので、書き写す許可ももらった。本によっては、城外に貸し出してもよいとまで言っていただいた。ただし、それらを引用して論文なりを公開する場合は必ず相談するように、とのこと。僕としては、ただ写した本を手元に置いて、幾度か繰り返し見たい読みたい勉強したいというだけだから、それはもちろん了解した。
今日のところは、本をお借りするのは遠慮した。僕は魔法で転写できるので、図書室で閲覧し、その場でパラパラやっただけで、一冊まるっと転写できるからだ。また驚かれると困るので、それは言わなかったが。(あ、ちなみに今日は転写はしていませんよ。)
「我としては、信頼できるそなたが図書室を活用してくれるだけで、うれしいぞよ。何しろ、わらわはもうほぼすべて読んでしまったから、今ではほとんど死蔵しているようなものじゃからの。かといって、巷に気楽に放出できるようなものは少ないし。逆に魔塔なぞに与えたら、とんでもない魔法陣を作られたりしそうで怖いし。」
と苦笑しておられた。
たしかに、魔法陣を応用したらヴァンパイア退治に使われそうでやばそう、というものも、ちらほらあったからな。
「ご信頼に答えられるよう、精進いたします。」
と頭を下げると、
「そんなにかしこまるな。気軽に来てくれればよいのじゃ。我が留守でも図書室には来てよいからな。トマス、かように周知しておけ。」
「は。」
「ありがとうございます。」
「堅いのう。我はネリぞよ。」
「ありがとう。ネリ。」
「うむ!それでよい!」
と笑った。笑うと16才の少女そのものだった。
その晩、コーネリアは夕食後、エルガーが交渉してサキから預かったという魔獣の血をグラスに注がせ、さっそく試飲することにした。
魔兎の生、魔兎の血石を削って水に溶いたもの、同じくワイバーン由来の二種。
「このほかに魔猪、魔熊、大蛇などの「エキス」もあるそうでございます。」
エルガーはサキからの伝言も伝えた。
「サキ様が収納保管している「エキス」は、わずかに聖属性を帯びているそうでございます。それはヴァンパイア族には悪いものではなく、むしろ聖属性への抵抗力を高める栄養剤だそうでございます。されど、もしお口に合わなかったり、お体によろしくない場合は、絶対にお控えください、とのことでした。」
「あいわかった。…ふむ。聖属性か…。なるほど。たしかに気配はするが、不快なものではないの。むしろ…」
コーネリアはまず魔兎の生をそそいだグラスを口元に持っていって香りなどを確かめながらつぶやく。
そして一口飲みはっと目を見張る。
それから石を削った物、それからワイバーンへと、無言で一口ずつ、試飲を進めた。そして、しばしじっと目を閉じ、
「…ありがたいことじゃ。」
と小さくつぶやいた。涙ぐんでさえいる。
エルガーは、コーネリアがなにかに酷く感動したと理解した。
ご主人様は何にそんなに感動したのだろう。味または香り、ではあろうけれど…。泣くほどのものなのか…。
「エルガー。価格表を。」
エルガーが今日交渉して作ったばかりの仕入れ値を書き込んだ紙を持ってくる。
それを一通り読むと、コーネリアはおもむろにペンを取り、さらさらと書き込んだ。
そしてエルガーに与える。
その価格表はすべて高値に書き直されていた。
魔兎がワイン瓶1本で小金貨2枚から大金貨2枚に、ワイバーンは大金貨5枚から白金貨5枚に、石は魔兎が大金貨2枚から白金貨2枚に、ワイバーンの石は白金貨5枚からなんと白金貨50枚に。
「!」
ワイバーン生血1瓶で100万ルビ(1,000万円)、ワイバーンの石になるとなんと5,000万ルビ(5億円)の価格である。
これはいくらなんでも高すぎるのではとエルガーが声を上げる前に、
「トマスよ。」
とコーネリアが先制した。
「優秀なそなたではあるが、さすがに人間であるそなたに「エキス」の味までわかれとは言わぬ。この価格表は取引相手がサキだからこその値段だ。」
「…と言いますと?」
「まずこれらはすべて、とてつもなく新鮮だ。まるでつい今し方狩ってきたように。石から戻したほうでさえ、新鮮さが少しも損なわれていない。
さらに、森の奥で狩られたのだということもわかる。含有魔力が通常出回っているものとは格段に違うからな。ここまではそなたにも感知できたであろ。」
「はい。これほど新鮮とは現物を見るまではわかりませんでしたが。森の奥で狩られたであろうことは予想して価格交渉をいたしました。」
「うむ。それだけならあの価格もわからないわけではない。全体に低くはあるがな。だが、これらのグラスに入っている「エキス」は、それだけではないのだ。」
コーネリアはしみじみと話を続けた。
「たしかにわらわの苦手なはずの、聖属性の魔力の気配はする。だが、それは少しもわらわに悪い影響を与えたようではない。むしろ、少し舐めただけだというのに、活力が増しているのを感じる。おそらく、サキが申したように、聖属性への抵抗力も上がっておるのじゃろう。しかも、これらは「なぜか」奥底に世界樹の香りがする。」
「!」
「世界樹の馥郁とした香り。さらに世界樹特有であろう、うまみとコクも加わっておるのじゃ。」
そうして、コーネリアはため息まじりに続けた。
「この味は、まるでハーフヴァンパイアのわらわに、『そなたもこの世界の一員。堂々と生きていて良いのだ』と、世界樹様から語りかけられているようじゃ。幽かな聖属性は、我を否定していない。私が存在することを、肯定し、認めてくださっているようにさえ思える。世界樹の慈悲の味なのじゃよ。」
「!…ご主人様…。」
エルガー執事長は知っている。
コーネリア様は普段このような、感傷的なことをおっしゃる方ではない。本当にそう感じておられるのだ、と。
人族の中で生きるには、ハーフヴァンパイアであることを、ひた隠しにしてしか生きてこれなかった。ヴァンパイアの社会にも馴染めず。プライドの高い彼らには、人族の血が流れていることを疎まれた…。
自分は命の根源である世界樹にさえ、認められていないのではないかと、おそらく思ったこともあるのだろう。
ひっそりと、正体を隠して生きてきた。最近になってようやく、己の正体を知っても驚かず、一個の人間として接してくれる者たちを得たけれど…。
ご主人様の哀しみを、知っている執事長だった。
ふと、別の事に、執事長は気づいた。
「ということは、サキ様は…。」
「まず間違いなく、世界樹の加護をいただいておるのじゃろうな。それも相当に。過保護なくらいに、だ。」
「なるほど…。それゆえ、特別な魔力を帯びた「エキス」なのですね。ですから破格のお値段だと。」
「ああ。本来なら、わらわの口になど入らぬ逸品ばかりよ。始祖であらしゃる父上にこそふさわしい…。ゆえに、この価格でも相当に安かろうな。」
「なんと、それほどまでとは。」
「うむ。よいか。この価格表をもってサキと再度交渉せよ。それから、絶対に他には売るなと。「エキス」を持っていることさえ他言無用とクギをさせ。なぜなら、サキが保存している「エキス」からだけで、世界樹の加護を相当にあつくいただいていることがわかってしまうからな。
理由は正直に述べて良い。さすれば他に売るなという意味が、サキにもシンハ殿にも伝わる。国や教会に目を付けられることは、二人とも避けたいであろうからな。」
「心得ました。明日、直ちに。」
「うむ。これで我が味方だと、思ってくれたらよいのだがな。」
「おわかりいただけるのではないでしょうか。きっと大丈夫かと。」
「ああ。末永く、世界樹の慈悲を感じる、美味なる「エキス」を飲みたいものよ。父上にもはようお飲みいただきたいものじゃ。」
「今後末永くよいお取引をしていただけるよう、サキ様と交渉いたします。」
「うむ。頼んだぞ。」
「は。」
その後もサキに関する若干の話し合いがあり、夜も更けていった。