188 領主の正体
大扉の前でエルガー執事長が扉についた紐を引くと、扉の中のほうで、りんりんとベルが鳴った。ほどなく、扉が内側から開かれた。顔を出したのはまだ若い女性だった。
その女性を見ると、シンハが隣で毛を立てた。
僕は慌ててシンハを撫でる。
『サキ。あれは』
「(わかってる。でも今は様子を見よう。ギルド長たちが緊張していない。)」
『むう。』
「ご主人様に、ギルド長とサキ・ユグディオ様、そしてカーク様がいらしたと伝えてくれ。」
「ご主人様はさきほどからお待ちです。どうぞ、皆様お入りください。お連れのわんちゃんもどうぞ。ただ、念のため、手綱をしっかり握っていてくださいましね。」
「判りました。」
僕はなるべく何食わぬ顔でそう答える。
シンハと一緒に緊張しながら部屋に入る。
控えの間を通り抜け、通された部屋は思いのほかシンプルなつくりだった。
床は木材が使われ、カーペットが敷かれている。
壁は石作りだが、大きなタペストリが何枚も石壁を覆っていて、寒くないようになっている。
ここまでの廊下は普通に明るかったが、この部屋は少し厚めのレースカーテンで直射日光を遮り、少々ほの暗い。とはいっても照明が必要なほどではないが。
執務室らしく、応接セットの向こう側には大きな机があって、その奥に、まだ10代の女の子がちょこんと座っていた。彼女の座る席周辺だけは、厚いカーテンが引かれ、日光を完全に遮断していた。
見た目からすると僕よりは少し年上に見えるが…それでも15、6才の少女だ。
なのに、放たれる威厳というか、風格を感じるのは、着ている服装が黒っぽいいわゆるゴスロリ系…いや、19世紀ビクトリア朝的な感じのドレスだからだろうか。
いや、そうではないようだ。
ウー。
となりのシンハが珍しくうなった。
「シンハ。」
僕がシンハの頭を撫でると、さすがにうなるのをやめたが、女の子をかなり警戒しているのがわかる。
いや、僕だってわかる。
彼女は…『普通じゃない』。
「(うなるなよ。)」
『サキ。気をつけろ。奴は…ヴァンパイアだ。』
「(あー。やっぱり?じゃないかなと思ってたところなんだよねー。)」
僕はため息をついた。
もしかして、あの子が辺境伯?
ギルド長…せめて辺境伯は女性だと教えといてよ。
僕は、うなるのをやめたものの、相変わらず威圧を放っているシンハの首を、ゆっくりと撫でて落ち着かせてやる。
「どうやらわらわは、フェンリル殿に嫌われたようじゃの。」
ちょっと寂しげに笑った彼女の様子に、僕はあわてた。
「え、いや、そんなこと、は…。(シンハ。威圧放つのやめい。)」
シンハは威圧を少し抑えたが、まるで僕を守るように彼女と僕の間に立ち位置を悠然と変えた。それにしても、フェンリルって言ったよね。そのことについても僕はぎくりとした。
だが、ギルド長もカークさんも、エルガーさんも、そして控えている侍女さんも、それには反応しなかった。
みんなきっと判っていたのだろう。
侍女さんも、只者ではない気配。こちらも人族ではないようだ。
「(なんか、フェンリルって、さらっとばらされちゃったね。今。)」
『そんなことはどうでもいい。それよりも、ヴァンパイアは魔族の中でも強いぞ。それと…侍女も『眷属』だな。』
「(…。だとしても、彼女たちからの殺気はないし、辺境伯は本気で困ってる。たぶん僕たちには何もするつもりではないから、威圧、しないでくれるかな?今日はこちらからお願いもあって来た訳だし。)」
『…。気をつけろよ。』
「(うん。判った。)」
僕がそう言うと、ようやくシンハは威圧をかけるのをやめてくれた。
「やはり、フェンリル殿にはわらわが何者か、隠すことはできなかったのう。」
彼女は苦笑しながらそう言った。
「あらためて名乗ろう。わらわはコーネリア・フォン・エル・ヴィルディアス。辺境伯である。そちがサキ・ユグディオ殿か。」
「はい。はじめまして。こちらが相棒のシンハ。先程はシンハが失礼をいたしました。」
「いや、気にせずとも良い。シンハ殿には我が幻術も効かなかったようじゃ。すでにユグディオ殿も気づいておろう。」
そう言ってから、一度コーネリアは右手をぱちんと鳴らした。すると、一瞬で部屋全体に結界魔法がかかった。音を遮断する魔法だと、すぐに感じた。
「此処におる者たちはすでに知っておるが、わらわはヴァンパイアの血を引く者。」
「…」
なるほど。ギルド長もカークさんもすでに承知の上か。
「だがそれでもあえて人族だと申しておこう。詳しくはのちほどエルガーにでも聞くがよい。今はもっと大切な話しをしたい。ユグディオ殿、それでよいかえ?」
「はい。もちろんです。むしろ、私を信用くださり、大切な秘密を明かしてくださって、光栄に思います。あ、それから、僕のことはサキで構いません。名字はあまり呼ばれ慣れておりませんので。」
「そうかえ。ではサキ殿と呼ばせてもらおう。それにしても…やはりギルド長が目をかけておるだけのことはあるの。たいした度胸じゃ。…まずはご一同、お座りになられよ。ミネルヴァ。茶を。」
「かしこまりました。」
侍女さんが一礼して控室へと一旦下がった。
我々は椅子を勧められ、腰掛ける。
コーネリア様はひき続き執務机の椅子に座っているから、少しだけ我々からは距離があった。
「サキ殿。まずわらわからは、3つ、礼を言いたい。ひとつはゴブリン殲滅戦じゃ。その若さで突然変異のゴブリンキングを討ち取るとは、見事じゃ。被害も最小限であったと聞いた。領主として礼を言う。
それから「龍のアギト」討伐じゃ。そちらもサキ殿が大活躍したと聞いておる。悪霊相手に、ほんにようやった。特に「清め」はありがたい。礼を言う。長らく留守にしてすまなかった。」
「とんでもございません。もったいないお言葉、恐れ入ります。」
僕はこの世界の流儀を取り入れて、立ち上がると、右手を胸にあて、深々と礼をした。領主相手だから、深いお辞儀だっていいでしょ。
「それからもうひとつ。あの『北麓の屋敷』を購入してくれたことじゃ。忙しさにかまけて、放置しておった案件じゃった。あの屋敷のかつての住人たちを悼む気持ちもあっての。手をつけずにそのままにしておった。幽霊がおるならそれでもいいかと。だが家まもりのシルキー殿がその正体であったと聞いた。シルキー殿にはさびしい思いをさせた。今度ぜひ詫びを言いたいゆえ、連れて来てほしい。いや…、わらわが行こう。そなたの屋敷に行ってもいいかえ?」
あら、優しいじゃん。それに腰も低い。いいね。気に入った。ヴァンパイアだろうとなんだろうと、構わない。話を聞いているとごく普通の人族。しかもなかなか人間出来ている。街の人々の評判もすこぶるいいし。
「ええ。もちろんどうぞ。素敵な邸宅を格安でお譲りいただき、ありがとうございました。お近くでもありますので、ぜひいらしてください。あ、もしよろしければ、今日夕方から引っ越し祝いをしますのでいらっしゃいませんか?ああ、でも領主様には失礼か。すみません。またあらためてご招待しま」
「なに!祝いの宴か!ぜひ行かせていただこう!」
「え、でも下々が集まる会ですよ。よろしいので?」
ちらとエルガー執事長をみるが、相変わらず本心がわからぬおだやかな笑顔だ。
「わらわは構わぬぞ。なあに。どうせ領主だとはわからぬであろ。知り合いの町娘が顔を出したと思わせればよいのじゃ。楽しそうだ。むふふ。」
なんか、ひとりで盛り上がってる。まあ、いいか。
「よろしければどうぞ。僕のつたない手料理を立食でつまむ程度の軽い会ですから。ギルド長ご一家も、カークさんご夫妻も来てくれることになってますし、お気軽に。エルガーさんもどうぞ。」
「そうですか。ではお伴させていただきましょう。」
「む。エルガーも来るのか。…まあよい。護衛に連れていってやろう。」
「ありがとうございます。」
てか、ひとりで来るつもりだった?領主さま。まじかよ。
紅茶が出てきて、それぞれにサーブされる。
うん。さすが上等な茶葉だ。香りのよい紅茶だった。
「さて、話を戻そう。エルガー、例のものを。」
「は。その前に、ご主人様。」
「なんじゃ?」
「先の大量の魔兎の毛皮も、サキ様が調達なさったものだそうでございますよ。」
「なんと!その案件もそなたによって解決されていたとは。これは…エルガー。なんとしようか。用意した褒美では全く足りぬぞよ。」
するとエルガー執事長は、にこにこしながら
「そうですねえ。いっそのこと、宝物室から何かお好きなものを選んでいただいては。」
「おお!そうじゃの。若き英雄にふさわしいものがあるかと思う。なんでも欲しいものを選ぶとよい。」
「あ、ありがとうございます。」
「うむ。」
なんかすごい太っ腹。あ、でもきっと、本当に価値あるものは、別置してあったり、いざ選んでも、それはちょっと、と言われるのかも。
僕が何を選ぶか、知りたいのだろうな。
「ところで。遅くなりましたが、領主様におみやげを持参いたしました。収納バッグから出してよろしいですか?」
と訊ねる。
本当は部屋に入る前に取りだして、エルガーさんに渡しておくべきだが、ひととなりを見てから出したかったので、渡さなかった。まあ、正直ここまで来るのに、城内の偉容にみとれていただだけでなく、辺境伯の正体にシンハが威嚇するなどに気を取られて、出す機会を逸してしまっていたのが大きいが。
なんと!
辺境伯は女性。(見た目は)10代女子!
そしてヴァンパイアと人族とのハーフでした!