187 領主の屋敷へ
ぱっかぱっかと、馬車は丘を登っていく。
馬車を操っているのはカークさんだ。
カークさんは今日は従者の役目。
なんでも、かつては現領主の家庭教師をしていたこともあるそうで。
それも武術の指南役としてではなく、学問の教師としてだそうだ。
もちろん、武術も教えたそうだが。
しかもこの馬車、辺境伯様が貸してくれたんだって。
御者は断って、カークさんが代わりに馬車を操っているのだ。
それにしてもこの馬車、さすがに貴族家のものだけあって、座席のクッションだけでなく、工夫があるようで揺れがあまりない。おそらく底部になにか魔法を施しているのだろう。床板から魔力の気配がする。だが車輪はトレントのむきだしだったし、サスペンションに関してはまだ改良の余地ありだな、などとつい馬車の改良案を考えてしまう。そういえば、乗り合い馬車の揺れは酷かったな。
そんなことをつらつら考えていると、
「しっかし。サキよ。お前、本当に俺たちを驚かしてくれるなあ。」
と僕の向かい側に座ったギルド長が腕組みしたまま呆れたように言った。
さっき、玄関先にやってきたギルド長は、まず美しく蘇った北麓の屋敷に驚き、そして奥から出てきたかわいらしいシルルに驚き、そして続いて現れた正装した僕に驚いたのだった。
まるで鳩が豆鉄砲を喰らったような、という言い方がぴったりの様子で、口をぽかんとあけて。
カークさんはさすがに口はあけていなかったが、ついっとメガネを上げて、まじまじと僕を見ていた。
「そんなに驚きました?ああ、あれですね。屋敷が綺麗になってたからでしょ?うん。前庭の剪定には苦労しましたから。ああ、僕じゃなく、やってくれたのは熊の親方が紹介してくれた庭師のおじさんなんですけどね。はは。」
「じゃなくて。」
「ん?」
小首をかしげる。
ちなみにシンハは足元に寝そべっている。
眠ったふりをしながら、二人のちぐはぐな会話を聞いている。
「はあー。お前と話すと疲れる。…お前の屋敷に驚いたのは確かだが、俺がもっと驚いたのは、お前が今日はやけにめかしこんだな、ということだ。まさかサキ、その美貌で領主を誘惑する気じゃねえだろうな。」
「えっユウワク!?まさか。僕、ストレートですよ?男の人とそういう関係になるつもりはないですから。あはは。」
「んん?ちょっと待て?お前、なんか勘違いしてねえか?」
「何がです?」
「あー。俺としたことが。お前にまだ言ってなかったか。」
「?」
「サキ。実はな。」
ヒヒーンと馬が啼いて、ゴトンと馬車が止まった。
門前に着いたようだ。
カークさんが門番とやりとりをしている。
「今日3時から領主様と面会なのだが。」
「はっ!お話はうかがっております。そのままお進みください。」
「従魔の犬も一緒だが、いいね。」
「はっ!それもうかがっております。お連れの犬も、中までどうぞ、とのことです。」
「ありがとう。」
どうやらシンハもそのまま屋敷内へ進めるようだ。
「もう着いたか。…まあ、いい。会えば判るしな。」
ギルド長はまだ何かぶつぶつ言っている。
ほどなく馬車は玄関前に進んだ。
やはり領主邸はほぼ宮殿と呼んでいい大きさだった。
この町を遠くからはじめて見た時、城だ、と思った。
その大きな屋敷に、今やってきている。
なんだかそれだけで感慨深い。
馬車が完全に止まると、先にギルド長が降りた。
続いて僕とシンハが降りる。
そこには、いかにも執事です、という感じの、初老のスリムな男性がやわらかい笑顔で立っていた。
「いらっしゃいませ。」
おー。本物の執事だ。しゅごい。
立ち居振る舞いが只者ではないことが判る。
いや、ほんと。このひと。只者ではない。なにこれ。
アサシン?まじそうかもしれない。
靴とか靴下にクナイとか絶対仕込んでるわ。
シンハもじろりと彼を見て、警戒しているが敵意は向けていない。
ゆったりと尻尾を振っている。
王者のゆとりか。
「やあ。エルガー執事長。お久しぶりです。」
「こちらこそ。ご無沙汰しております。カーク様もお久しぶりです。」
「どうも。」
「紹介しよう。こちらが今日の主役。サキ・ユグディオ君だ。そしてこちらがその相棒のシンハ。サキ。こちらは執事長のトマス・エルガーさんだ。」
「はじめまして。サキ・ユグディオです。今日はご領主様がご面会くださるとのこと。光栄です。」
「ようこそいらっしゃいました。ユグディオ様、シンハ様。」
「あ、どうかサキと名前で呼んでください。名字呼びはどうも慣れません。」
「そうですか。ではサキ様。あらためてようこそ。貴方がたの活躍ぶりは、都度ギルド長からうかがっておりましたよ。」
「ギルド長はきっと話を盛ったのですよ。」
「いえいえ。そうではないと思いますが。」
「俺が嘘つきみたいじゃねえか。」
「自業自得です。」
「あー。カークまで。」
エルガーさんがわれわれの掛け合いをにこにこして見守り、それからシンハのことも笑顔で見ている。
「シンハはとてもかしこいので、いろいろ助けてもらっているんです。」
「ばう。」
と胸を張ってお座りし、ふっさふっさと尻尾を振る。
おーお。すっかりいい子のふりが板についちゃって。
「そうですか。シンハ様のご活躍も、伺っておりますよ。…さあ、みなさん、どうぞ中へ。領主様が首を長くしてお待ちです。」
「シンハも大丈夫ですか?」
「ええ。もちろん。ああ、ただし、念のため手綱はお持ちくださいね。」
「わかりました。シンハは基本的にはおとなしいです。僕より礼儀正しいくらいです。」
と日本人的な和ませ会話をさりげなく添えると、執事長さんは
「ほっほ。そうですか。どうぞ。皆様そのままお進みください。」
とにこやかに応じて、玄関扉を開け我々をエスコートした。
僕は念のため珍しくもつないだ手綱を手に、シンハと並んでギルド長やカークさんと一緒に屋敷内へと入った。
入る時、さりげなくシンハの足にクリーンをかけた。
すると、ふと、エルガーさんが振り向いて、
「お気遣いありがとうございます。」
と会釈した。
うほ。真の無詠唱…無言で魔法をかけたのに、すぐにその気配を感じたということね。
さすが。アサシンのじいさん…げふんげふん。執事長のおじさまだ。
『サキ。こいつ相当な手練れだぞ。』
「(だと思った。さすが辺境伯家だね。)」
『ああ。』
と歩きながらシンハと情報共有。
ギルド長はエルガーさんに
「王都は最近はどうでしたか。」
などと尋ねている。
「相変わらずですよ。表面は平和で水を打ったように静かですが、潜ればそれはそれはあちこちで嵐の予感。貴族の方々は大変です。おっと、軽口が過ぎました。これはここだけの話しに。」
「はは。心得ていますよ。」
などと言い合う様は、昔からの知己らしいやりとりだ。
「領主様はお元気ですか?」
「ええ。王都でのさまざまな無理難題も見事に処理なさっておいででした。」
「大変ですな。」
「ひとえに、この領地が実り豊かであるためにいろいろと…。寄付やら助成金やら、狙われてしまうので。致し方ないことではありますが。反面、誇らしいことでもあるのですよ。」
「なるほど。」
などと廊下を歩きながらギルド長とエルガー執事長は話している。
どうやら実り多い辺境伯領ゆえ、いろいろと出費をあちこちからせびられているようだ。貴族は大変だな。
そういう点では庶民のほうが気楽だ。
「時に、大量の魔兎の毛皮ですが。」
ん?
僕はエルガーさんの言葉につい耳をそばだてた。
「あれは本当に助かりました。カイデアス侯爵が無理難題をふっかけてきやが…こほん。無理難題をおっしゃられたので、さすがのご主人様も大変お困りだったのです。
そこへ運良く貴方様から、大量の毛皮の仕入れのお話。実によいタイミングでした。しかも届いたのは極上の毛並みのものばかり。
おかげで高値で買い取っていただけましたし、他の貴婦人の皆様方も、非常に満足なさっておいででした。今から冬が楽しみだと、皆様おっしゃっておいででした。」
「おお。実はあれも此処にいるサキの手柄なんですよ。なにしろ300羽も一度に我等に格安で提供してくれたんでね。」
「おお!そうでしたか。それはさっそくご主人様に申し上げないと。本当にあれでご主人様も命拾いしたのですから。」
「??よく判りませんが、確かに300羽の魔兎を放出したのは僕ですね。領主様のお役に立てたならなによりです。」
「ええ、ええ。それはそれは、とてもお喜びでした。さもないと、冬に兵役を余計に増やされそうな気配でしたからね。」
どうやら、カイデアス侯爵とかいう人が、辺境伯が羽振りがよいことをやっかんで、大量の魔兎の毛皮を提供しろと無理難題を言い出したらしい。できなければ兵役を増やす、ということにされそうだったのだろう。
なんでそんな論理が通るのか、話の全容は判らないが、とにかく僕の大量の魔兎の毛皮が役立ってなによりだ。
たしか侯爵は王族のはず。うーむ。なにやらきな臭いな。
そして長い廊下を歩き、階段を上がると、僕たちはある大扉の前までやってきた。
その間、僕は城内の風景をさりげなく楽しんだ。
中世風の城など、なかなか散策できないからね。