174 ギルド長とアラクネ糸
カークさんは他の用事があったようで、途中で、では私はこれで。おさそいありがとう、と言って2階の奥へと歩いていった。
僕とシンハだけが3階のギルド長室の扉をノックした。
名乗ると、
「入ってくれ。」
とギルド長の声がした。
「失礼します。」
「おはよう。」
「おはようございます。…何か用事とか?」
「ああ。うん。まずはさっき、ユリアから聞いた。引っ越し祝いをするって?」
「はい。知り合いを呼んで立食の軽い会です。メンバーは今のところ、ギルド長、ユリア、カークさんご夫妻、マーサさん…は忙しいかな。あとはテッドさんとケネス隊長、テオとミケーネ。それから大工の熊の親方とか、鍛冶職人のゲンさん、生産者ギルド長のエッレさんにも声をかけようかなって思ってます。よろしければ、奥様もぜひ。一度お会いしたいと思っていたので。」
「おう。ありがとよ。金の日になったのか?」
「はい。夕方6時からということで。料理は僕が準備するので、お酒は持ち寄りってことにしたいなと。僕はお酒はあまりよく知らないので。あ、ラガーくらいは用意しますよ。」
「判った。北麓の屋敷がどんなふうに変わったのか、見たいと思っていたんだ。楽しみにしておくよ。」
「はい!ぜひ!自慢のお風呂も見てやってください!」
「風呂?」
「はい。もともとついていたんですが、2階の寝室にもつけちゃいまして。はは。大工の親方に呆れられました。あとは鍛冶小屋も作ったんですよ。」
「ほう。そうか。楽しみにしておくぜ。」
ついうれしくなって夢中で話してしまった。
ちょっと呆れられたかな。
「こほん。えーと。それでお話とは?」
「ああ。うん。実は数日後に王都から領主様が帰って来ることになってな。あの屋敷の持ち主だった訳だし、先日の盗賊討伐の功労者でもあるおまえさんを、紹介しておこうとも思ってな。」
「えーと。先日の戦闘については、皆で倒したのでそういう意味ではちょっと。でも、確かに北麓の屋敷は領主様から買ったことになってますから、一度お会いできればと、僕も思っていました。」
「ふふん。俺としては、久しぶりの前途有望なルーキーを紹介しておきたい、というのが本音だが。まあいい。とにかく面会予約をとっておくから。一度は領主様にお会いしておけ。」
「はい。…あの、付き添いはギルド長がしてくださるんですよね。」
「ああ。一緒に行ってやる。」
「良かった。勝手に行けと言われたら、どうしようと思ってたんです。なにしろ貴族の礼儀作法も知らないですし。」
「気にするお方じゃねえから、その点は心配すんなって。」
「そうですか。ちょっと安心しました。」
「話っていうのはそのことだ。予約がとれたら、連絡する。」
「判りました。…丁度良かった。実は領主様とちょっと特殊な商談もあるので。」
「ん?領主案件の商談?」
「たぶんそうなると思います。」
僕は亜空間収納から薄いスカーフを取り出した。
「これです。何か判りますか?」
「…材質か?…俺はこういうもんには疎い…ってちょっと待て。まさかこれって。」
「アラクネ糸です。」
「魔蜘蛛のアラクネかっ!」
「はい。しかもアラクネさんたちみずからが織って染めたものです。」
「アラクネが!?魔物がそんなことまでする!?初耳だ。」
「でも本当ですよ。…アラクネ糸は細くて丈夫なのに柔らかい。貴重品ですよね。その糸で彼女たちみずからが織った布です。」
「おお…」
「ちなみに今、僕が着ているシャツとズボンもそうですよ。特別に縫製までしてくれました。」
「な、なんと!」
「アラクネ糸は万能で変幻自在です。厚くも織れるし、このような極めて薄い軽い布にもできます。ちょっと魔法を加えると、伸び縮みする布にもなるし、金属の盾より丈夫にもなります。
ああ、シンハの首に巻いているのも、アラクネですね。
こうした布や原料の糸が定期的に手に入るとしたら、この町にとってはとてもよい事ではないかと。」
「おお!しかしなんでそこまでアラクネと仲が良いんだ!?」
「それは…ジントク?」
とにっこり営業スマイル。
「むむ!」
それから小一時間、僕はアラクネ糸についてセールスをした。
「どうして僕が、と言われても困るのですが、一応意思疎通はできまして、布を織ってみたらと勧めたところ、楽しそうに織り始めましてね。染め方も教えました。
そうしたら、なかなか彼女たちはセンスが良くて、綺麗な布を次々に織るようになったんですよ。それで、これなら貴族の女性たちには人気になるだろうと思って、人族と取引をしないか相談したんです。すると、大量にはできないが、ある程度なら供給できるということになったんです。もちろん、縫製まではしませんよ。提供はあくまでさまざまな糸と、さまざまな布です。」
「で、見返りは?蜘蛛たちは何を望んでいる?まさか人の生き血とか命とか言うなよ。」
「はは。それはデマですよ。彼女たちは確かに肉食ですが、人間と同じようなものを食べているだけです。
着飾るのが大好きですし、人間の食べるものにも興味があるようです。ですので、おいしいお菓子とか、綺麗な髪飾りやブローチ、ああ、あと素敵な物語の本なんかもいいかと。人間の文字は今はまだ一部のアラクネさんたちだけですが、読める方々もいるので。
お金はあまり喜ばないでしょう。流通していませんから。」
「物で交換か。」
「ええ。ひとまずは。あとは貴重品なら、糸に混ぜる金箔とか金糸、ミスリル糸、プラチナ糸、くらいでしょうかね。」
「んん!?金箔はいいが、ミスリルだのプラチナの糸なんて、聞いたことねえぞ。」
「え、そうですか?おかしいな…王都あたりならあるのでは?」
あれ?ないのかな?ツェル様たちから相談されて、作ってあげたよ。銀は黒くなるから嫌だということで、ミスリル糸。さらに強く輝くプラチナ糸。すっごく細いのを作って供給してるんだけど。アラクネ糸と合わせて「縒り」をかけて糸にするんだ。
それからもっと太い箔糸とかも。箔糸は、紙に貼った金属の箔を、すごく細く切ってアラクネ糸と縒り合わせるんだけど…。紙が貴重だから、箔糸も無いのかな?
あれば結構いい交換物になるんだけどなあ。
「まあ、そうかもしれん…。あればかなり高価そうだから、貨幣よりはいいかもな。」
「ええ。でも、実は一番人気なのは、僕が作る魔蜂のハチミツを使ったクッキーとかケーキなんかのデザートなんですけどね。あはは。」
「魔蜂のハチミツ!?それもまた幻の逸品だな。」
「そのようですね。でもこれについても、少し考えています。これはまだ商品にはできないので、そのうち、ということでギルド長の心にだけしまっておいてください。」
「判った。…なるほど、そういうことなら、サキにも領主に会うメリットがあるという訳だな。」
「はい。あ、ただ、僕はアラクネ糸でお金儲けをするつもりはないです。アラクネさんたちが喜んで、糸や布をこの町に多少供給し、貴族のご婦人たちなどに売れてくれれば、この町も潤うだろうと。そういうことです。必死に商売したい訳ではありません。
なにより、アラクネさんたちは魔獣ですから、ある意味気まぐれです。
今は人間に良い意味で興味があって、布や糸、自分たちの作品を、少しなら卸してもいいと言ってくれていますが、今後もずっとそうだとは限りません。そこのところは判ってください。少しだけ、つながりが持てればいい、というくらいです。」
「なるほど。判った。まあ、荒唐無稽な話に聞こえるが、お前さんが言うとなんとなく説得力がある。なにしろ…フェンリルを連れ回してるルーキーだからな。」
え、と僕は息を飲んだ。
さすがにシンハもぎくりとしたようで、じろりとギルド長を見た。
「ああ、今のは独り言だ。なんでもないぞ。シンハもそう俺を睨むなよ。どうこうしようとは思っちゃいない。ただ、ケネスや俺や、カークは、なんとなく判ってる。そういうことだ。気にしなくていいが、困った時は俺たちを頼れ。まだお前はすべてを背負い込むには、若すぎるからな。」
僕は何も言えなかった。
「…。なんだか今のは聞かなかったことにしますが…。困った時はたくさん頼らせてもらいます。ありがとうございます。」
と言っておいた。
「おう。」
領主との面会は早くて緑の日、または金の日になるだろう、とのことだった。
やはり孤児院の依頼は、最長2日間で終わらせたいな、とちらと思った。
ギルド長との会話を終えて、ようやくギルド長室を出た。
廊下を歩きながらシンハと会話する。
「…なんか、ばれちゃってたね。シンハのこと。やっぱり、という感じだね。」
『お前が顔色を変えるからだ。』
「だって。無理だよ。あんな風に唐突に言い当てられたら。」
『…まあ、味方になってくれるようだから、寛大によしとしよう。』
「ふう。そうだね。…なんだか今のですっごく疲れちゃった。」
『修行が足らんな。サキは。』
「無理だよ。あんな不意打ちは。僕はやっぱり商人には向いてないな。ポーカーフェイスは無理だ。」
僕はシンハをやたらと撫でながら弱音を吐いた。
『ふん。無理をしなくていい。お前はお前だ。』
「ありがと。」
シンハをムギュっとハグし、もふもふを堪能して、僕はようやく心の安寧を取り戻したのだった。