123 ゴブリン事件 4 アリーシャとマリン
「シンハ。左前方に集落のようだ。その中に、大きな反応がある。キングだな。」
『そのようだ。どうする?本当にあいつらを待つのか?』
「まずは様子見。集落の大きさとか、様子を知りたい。それと何匹いるか、だな。」
『うむ。』
僕はシンハの上で、じっと集中する。
敵は赤丸で頭の中のレーダーに映し出されている。
「(100匹は軽くいる。)」
僕が念話でつぶやく。
『ああ。相当な規模だ。こんなになるまで、よく人間たちは放置できたものだ。』
「(そう言うなよ。此処のキングがかしこかっただけさ。)」
『余計人間をけなしてる発言だと思うが。』
「(そうお?)」
いつもどおりの、少しネジがゆるんだ念話。
だが頭の中はフル回転だ。
どこに何匹いて、家屋は何処にあって。
どうやら中央の大屋根の家が、キングの棲家のようだ。
その棲家に、人間の女性が2人いる!?いや、ひとりはちょっと反応が『青色』だから…エルフか?
そして全く別の小屋にもう2人。閉じ込められているようだ。
ん?もうひとり、その小屋に、小さな子がいる?しかも反応が『青色』。
こちらも…エルフか?
点が青色なのは、妖精に近いものの反応。だが弱々しい。
まさかあいつら、幼女にまで手を出したりしてないよな。
それを願うしかない。
「(シンハ。キングのところに女性が2名。うちひとりはエルフだと思う。それとは別の家屋に2名と、たぶんエルフの子供がひとり。)」
『どっちから助ける?』
「(…エルフの子供だな。)」
『俺も同じ意見だ。大人の女たちはもう、孕ませられているだろう。幼女ならその可能性は低い。』
「(ああ。それを祈るよ。)」
『行こう。』
「(うん。)」
僕はシンハから降り、シンハはレギュラーサイズに小さくなった。
その方が隠れやすいからだ。
二人の女性とエルフの子がいるところは、中央のキングの建物から離れていた。
集落の風下にあたる場所だ。
たぶん、キング以外のゴブリンの相手をさせられていた可能性が高い。
キングの建物から離れているのは、近すぎると、手下ゴブリンが事をいたすのに落ち着かないからか。
あるいは、すでに廃人となっていて、打ち捨てられているのか…。
ただし厳重になんと結界石がおかれている。
メイジがいるからこその結界だ。
「(ちっ。結界がある。荒事は必至だな。)」
『俺が広場で暴れよう。その間に救出を。』
「(判った。…大丈夫?)」
『誰に向かって言ってる?』
「(だよね。がんば。)」
『おう。』
シンハにはエルフの子だけ救うような話をしたが、僕はできれば大人の女性たちも助けたかった。
遠くで、戦闘の音がした。
どうやら集落近くまで皆が来ている。
ゴブリンたちも浮足立ってきた。
GAU!
大きくなったシンハが、茂みを伝って移動し、全く別方向から広場に躍り出た。
GYAGYA!
GUGYA!GYA!
GIGI!
警告の声がゴブリンたちの間から起こる。
わあっ!という群衆の声。
東側からどうやら冒険者たちが暴れ始めたようだ。
チャンス!
僕は見張りを弓で二匹倒すと、その死体を亜空間収納にすぐさま隠し、それから家屋にもぐり込んだ。
もちろん、結界など僕にはあってもないに等しかった。
石をけちらして終わり。
中は一間で、なんとも言えぬ悪臭がする。
奥に二人の女が怯え驚いた顔でこちらを見ていた。
衣服はぼろぼろ。垢と痣だらけ。痩せこけ、目だけが目立ち、まるでエイプのようだ。
だが、その目はまだ人しての意思を持ち、光を失ってはいなかった。
一人は赤い髪で気が強そうな女性、もう一人は栗色髪のおっとりした感じの女性に見えた。
「やあ。おじゃましまーす。」
わざと僕はのんびりした声であいさつし、笑顔を見せた。
「あんた…。人間?」
「うん。助けに来た。」
と、急いで走ってきたゴブリンがいる。
メイジだ。
結界が乱されたのを察知したのだろう。
僕はさっと戸口に隠れ、そこから外に向かって矢を放った。
メイジがばったり倒れる。
だが、プロテクト魔法を使っていたのか、矢が逸れて急所をはずし、肩口に深く刺さった。
その時に、何か笛を吹いた。
ピイイイイ!
ちっ、頭いいとこういう時困るんだよね。
すぐさま追加でエアバレットを撃つ。魔力を強めたので、確実にメイジの額を射抜いていた。
急いで彼女たちの魔法の手鎖、足鎖を切れ味自慢のジャンビーヤで羊羹のように一瞬で斬る。
その時、二人ともお腹が異様に大きいのに気づいた。
やはり。
だが、わざと知らない振りをする。
「走るよ。支度して!」
「あたしたちはもう駄目。」
「そんな!あきらめないで。」
「ううん。もういいの。」
「でも!」
「…この子を…助けてあげて。」
「!」
隠すようにして藁の中にエルフの子供が居た。
見た目10才くらいか。
眠っているようだ。
「この子はまだ『手つかず』だ。なんとか守ったんだよ。…あたしたちはもう…わかるでしょ。」
ほどなく、ゴブリンの子供が、腹を喰い破って出てくる。
その時、彼女たちは、死ぬ。確実に。
「…」
治癒魔法でなんとかできないか、僕はとっさに考えた。彼女たちの体内を瞬時にスキャンする。
もう、あちこちの器官と繋がっている。もはや内臓の一部はすでに喰い荒らされている。
腹を切って取り出すのは不可能。
ではおなかの中の子を殺しメガヒールして、そうして…。
無理だ。胎児が大きすぎる。欠けた臓器も多すぎる…。
子供を殺せば、母体も助からない…。
さまざまなシミュレーションを数秒間で行う。
藁をもつかむ思いで、アカシックレコードにもアクセスした。しかし
「警告、警告、胎児殺しは禁忌。推奨できません。アクセスを拒否します。」
初めてアクセスを拒絶された。
もう、彼女たちが生きる望みは…なかった…。
一瞬、初めて、世界樹を呪った。
神の摂理を呪った。
なぜこんな生物の存在を作ったんだ!種族を超えて孕ませるだとっ!?あまりに不条理。
一方的に犯され、孕まされた女性たちは絶対に救えないというのかっ!
こんなになっても、魔物の「胎児」が優先か!?
「……くそっ!」
無念だ。僕は思わず拳を握りしめ唇をかみしめる。
だが二人とも、もう自分たちの運命を悟っていた。そういう目をしていた。
「…クリーン。…ヒール。」
僕はせめてもの慰めに、クリーンと、皮膚の傷や痣だけとるヒールを二人にかけた。魔法の手鎖のせいで、二人ともこれまでクリーンさえ使えなかったのだ。
「ありがとう。はは。最期に、あんたみたいないい男に会えて、うれしいよ。」
「どうかこの子を。」
僕は思わず女たちを抱きしめた。涙をみられたくなかった。
「あんたたちみたいないい女、はじめてだよ。」
「あは。色男。子供のくせに。そんな言葉何処で覚えたのさ。」
「悪い子だねえ。…あら、あなた男のくせに、良い匂いがする…。ふふ。なんだか懐かしい…。さあ、行って。あとは私たちがなんとかするから。」
「なんとかって。」
「…火をかける。騒いで囮になる。これでもあたしたちは冒険者だったのさ。一匹でも多く道連れにしてやる!だから。その隙にこの子を。」
「……。判った。」
エルフの子の手鎖足鎖を斬り、彼女をローブで包み隠し、彼女らに手伝ってもらいながら背負って紐で結びつける。
広場では、うまくシンハが囮になってくれているのか、此処は戦いの空白地帯のようになっている。
エルフの子を背に結びつけながら訊ねる。
「あなたたちの名前は?誰かに伝言は?」
「ううん。いいんだ。何もないわ。」
「彼女はアリーシャ。私はマリン。エルフの子はユリア。」
「アリーシャ。マリン。忘れない。」
「あんたの名は?英雄さん。」
「…サキ。サキ・ユグディリア。」
僕は彼女たちにこの世界での本名を名乗った。
いつわりの名など、此処では何の意味があろう。
だが、情けなくて、涙に語尾が揺れる。
世界樹の名を冠するのに。
僕はあなたたちを救えない!
「助けられなくて…ごめんなさい!」
僕は地べたに座り込み、そう言った。
涙があふれる。
握りしめた拳に、悔し涙が2つ、3つとむなしく落ちた。
「馬鹿だねえ。あんたのせいじゃないよ。」
「あなたが助けに来てくれた。それだけでうれしいの。
これは私たちの運命。ただそれだけのことよ。」
二人も泣きながら僕を抱き起こし、励ましてくれた。
それから僕は涙を拭き、あらためて正座し、武士のようになるべくきりっとして、彼女たちの前に、大きな鋭いクナイを一本ずつ置いた。
ゲンじいさんのクナイだ。
「ご武運を。」
敵に一矢むくいたいなら、そのためにも刃物は必要だろう。
それに…、苦しまずに死ねるように…。
「ありがと。サキくん。優しいね。」
僕の意図を察し、そう言うマリン。
「あんた最っ高!すっごく欲しかったのよ。これが!」
アリーシャが半ば狂気の目をして、手にした刃物を泣き笑いで見ている。
その言葉が心に響いた。
いったい何日、此処で、人間の尊厳を踏みにじられ続け、地獄の仕打ちに耐え続けていたのだろう…。
何度、死にたいと思ったのだろう。
それでも、きっと誰かが助けに来てくれる、逃げ出してやる、エルフの子だけは助ける、そう思ったからこそ、今まで生きていたに違いない。
「さよなら。サキくん。ありがとう。」
静かなマリンの声。
僕は深々と頭を下げると、意を決し、二人を残し、立ち上がる。
そして後ろ髪を引かれながらも、くるりと踵を返すと、戸口へ歩いた。
ぐっと奥歯をかみしめて。
「…さよなら。アリーシャ。マリン。」
僕がそう言って、ちらと振り返ると、アリーシャが片手にクナイを、もう片手には炎を出していた。
マリンは雷を帯びた光を、手に纏わせていた。
アリーシャが魔法剣士、マリンが魔術師なのだろう。
二人とも、笑って頷いた。
綺麗な笑顔だった。
「走って!」
アリーシャがきりっとした表情で、僕に命令するように厳しく言った。
僕はその声に背を押され、弾丸のように家屋を飛び出した。
あとはもう、振り向かずに、走った。