109 サキという少年
数軒先が八百屋だったので、楽器はさっと亜空間収納にしまい、八百屋の品揃えに集中する。
白菜やもやしとか、森では作らなかった野菜を中心に、大量に買い込んだ。
カレーの材料のにんじんやタマネギ、ジャガイモは、森の畑産があるけれど、一応此処のも少しは買ってみる。
「くー。これでほんとのカレーが食べられるぞ。」
『カレー?』
「カレーは辛いけど美味しい食べ物だよ。黄色っぽくて、野菜や肉を入れて煮込んでいて、いろいろな香辛料を入れて作るんだ。パンにも合うよ。シンハ用に辛くないのも作るから。そっちを食べさせてあげるね。」
『ああ。いちおう楽しみにしておく。』
それから、なんと八百屋には大豆があった!
聞くとこのあたりは畑で普通に作っているそうだ。
森には野生のものは全然なかったのに!
「大豆がある!うれしい!涙出そう。」
『…お前、変なもの喜ぶんだな。』
「シンハ。君が飛びついて食べたくなる味噌味ステーキを作ってやるよ。みてろよ。」
『お。肉に使うのか?そうか。なら買え。たくさん買え。』
まったく。
大豆はまだ枝についたままの枝豆を50キロ分と、乾燥大豆をドラム缶二本分、その店の在庫ほとんどを買い占めた。もっと欲しいというと、親切な八百屋は、そんなに欲しいなら農家を紹介するから、そっちと相談したら、と言われ紹介してもらった。無欲な八百屋さんだな。
コウジはなかった。これは種コウジから作らねばならない。
米がないが、麦はこの世界にも大量にあるので、麦コウジを作ろう。
それから豆コウジももちろん。
レシピは…まあアカシックレコードで検索すればいいだろう。
味噌ができれば、醤油もできる。
僕はそんなことをうきうき考えながら宿に戻った。
「お帰り。はやかったね。」
「はい。ただいまです。あ、そうだ。宿、延長してほしいんですが。」
「あいよ。」
「30日追加で。」
「うちはいいけど、もしずっとこの町にいるなら、どっか借りるのも手だよ。」
「ええ。でも、女将さんの料理、おいしいし。シンハもおいしいって。」
「あらー。うれしいねえ。割引しちゃおうかね。…えーと本来なら30日で12,000ルビだけど…うん。9,000でいいよ。」
「え、いいんですか?そんなに引いて。」
「ふふ。いや、もともと長期のお客さんには割引してるから、1万までは引けるんだ。でも、褒められちゃったからね。もう1,000引いちゃったよ。」
「ありがとうございます!じゃあ、せめて即金で支払いますね!」
「あらまあ。新人のくせに。意外にオトナでお金持ちだねえ。大丈夫なのかい?」
「大丈夫です。いろいろ獲物が売れたので。今、懐があったかいんです。」
「そうかい。ありがと。助かるよ。あ、でも、もし途中でキャンセルする時は、日割りにして返してあげるから。安心していいよ。」
「ありがとうございます。助かります。」
「こちらこそ。シンハちゃん。当分よろしくね。」
「バウ。」
ふふ。シンハも名前で呼ばれて、喜んでる。
あ、そうだ。
「あのー、料理の作り置きをしたいので、外の竈、借りてもいいですか?人間用の料理なんですけど。」
「ああ、それなら中で作っても良いよ。厨房が忙しくない午後とかなら。そのほうが使いやすいだろ。トクベツだよ。」
「!ありがとうございます!」
これでカレーもできるぞ。あ、そうだ。
「もしよければ、食材に使ってください。おみやげです!とれたて新鮮な魔兎の肉です。」
と言って、僕は笹葉に包んだ魔兎肉を3羽分取り出した。いつ獲ったか忘れるくらい昔の肉だが、全然劣化していないから嘘は言っていない。
「おやまあ!魔兎なんて。こんな貴重品!しかもこんなにいっぱい…ほんとにもらってもいいのかい?」
「ええ。煮ても焼いても絶対美味いはずですよ。」
だって、森の奥産だもんね。
「まあまあ。ありがとう。じゃあ、今夜、さっそく使ってみるよ。」
すっごくうれしそうだ。良かった。みやげ用に大量に包んで保管してあるんだよね。えへ。
部屋に戻ると、
『お前にそういう才能があるとは思わなかった。』
とシンハがぼそっと言った。
「ん?どんな才能だって?」
『マダムキラーという才能だ。』
「ほう。よくそんな言葉、知ってたな。」
『前の飼い主がよくそう言われていたのだ。』
「ああ、なるほど。吟遊詩人さんだったもんね。」
『お前もだんだんああなるのか?それはやめておけよ。』
「『ああなる』の意味がよく判らないけど。僕は僕だから。たぶん『そうはならない』と思うけどね。」
『まあいいさ。いずれ判ることだ。』
と顔を手で洗っている。猫みたいに。
ふふ。
僕はぽふんとベッドに横になった。
ふと、前世の両親を思い出した。
きっとヴィオールを見て、しんちゃんのこととか、前世のことを思い出したせいだろう。
おとうさん、おかあさん。
僕はずっと病弱で、心配ばっかりかけてる子だった。
しかも結局親より先に死んじゃった…。
女将さん…マーサさんを見ていたら、なんだか親孝行の真似事をしたくなっちゃって、女将さんを喜ばせてあげたくなったんだ。
それだけのことだよ。
ああ、なんで涙なんか、出るんだよ。
やだな子供みたいだ…。
目を腕で塞いでいると、ぽんと、シンハが傍に乗ってきた。
それだけでなく、僕のからだを横にまたぐように乗ってきて、僕の上にどかっと体を乗せた。
「ぎゃ!おーもーいー。」
『俺がいるから。泣くな。』
「!…」
『泣くな。サキ。』
「ん…。ありがと。」
きっとシンハは察したのだろう。僕が前世を思い出したことを。
勘がいいからな。
「どこまでも一緒に行こうね。」
『ああ。』
夕暮れにはまだ時間がある。
僕はシンハを撫でながら、少しだけ、眠った。
その日、夕飯の時間になったので、下にシンハと一緒に降りて行く。
が、なんだかとてもざわついている。
「うっめー!!なんじゃこれ!」
「魔兎ってこんなに肉が蕩けるものだったか!?」
「おかみさん、おかわり!」
「あー悪いね。今日はおかわりはなしなんだよ。限定30皿だからね。」
「「えー!!!」」
あら。ビーフシチューならぬ魔兎シチューでざわついてたのね。
「あのー。シチューまだありますか?」
「ああ、サキ君、あんたたちの分はちゃんとキープしてあるよ。シンハちゃんの分もね。」
「!ありがとうございます!良かったね!シンハ。」
「ばう!」
「テラスに行こ。」
シンハとテラス席に出た。今日は、昼間はそれなりに気温が高かったけれど、今は涼しい風が通っている。
周囲にさりげなく虫除け結界をして、シンハのために専用ランチョンマットを敷いたり、水をボウルに出したりしていると、
「お待ちどおさま。魔兎肉のシチューだよ。」
「わーい!」
「ふふ。味見させてもらったけどさ。肉がやわらかくて、美味しいねえ。これ、ダンジョン産じゃないだろうって、息子が言ってたよ。」
「うぐ。…解ります?」
「ああ。森の中でも、結構魔素のあるところじゃないかって。」
へえ。さすがプロの料理人。わかるんだ。
「実は偶然、いい狩場を見つけたんで。でも、シンハと一緒でないと、行けないところですね。」
「あんまり危ないことしないでおくれよ。おばさん、心配だよ。」
「心配してくださって、ありがとうございます。でも、絶対無理はしませんから。…実は僕、今日Cランクに上がったんです。」
「!Cランク!?若いのに凄いじゃないか!おめでとう!」
「ありがとうございます。なので、森のちょっとだけ奥地でも、シンハとなら大丈夫です。無理はしません。僕も命は惜しいので。」
「うんうん。無理はよしとくれよ。じゃあ、ゆっくりお食べ。(あとで、お祝いにデザート、サービスしてあげるよ。)」
「!ありがとうございます!」
えへへ。
うれしいなあ。
「ねえ、シンハ。」
『うん?』
シンハはもう、がつがつ食べている。
「宿、此処になって、よかったね。」
『ああ。テッドの手柄だな。』
「いや、隊長だよ。ケネス隊長のご紹介だったよ。」
『どちらにせよ、美味い食事はいいことだ。』
「そうだね。」
その日のデザートは、マーサさんの焼いた洋梨のパイでした。外側を結構カリッと焼いたもの。とても美味しかったです。洋梨のパイは初めて食べた。シンハも美味いと言っていたから、良かった。今度、市場で洋梨をゲットしようっと。
ちなみに、カレーは翌日作りました!
カレーはすでにこの世界にあるけれど、香辛料が高めなので、普及していないそうで。
厨房をお借りしてマーサさんの息子さんジルベルトさんとも仲良くなりました。がっしりした体格で、すごく寡黙な人。でも、機嫌がいいのはわかるから、問題ないです。
カレーはまかないと称して、マーサさんとジルベルトさんにも食べてもらった。当然、大好評!美味しかったです!シンハにも辛くないのを食べてもらって、今後のレパートリーに入れる許可をいただきました。えへへ。
一方夕暮れ時の、ギルドでは。
「カーク。」
「お呼びでしょうか。」
カークはギルド長の部屋に呼ばれていた。
「今日はサキの昇格試験、ご苦労だったな。」
「いえ。いろいろ勉強になりました。」
「ふふ。そうか。ところで。お前、あいつのステイタス見て、気になってること、あるんじゃねえか?」
「…」
「正直に言ってみろ。」
そう言って、石板をカークに差し出した。
そこにはサキのステイタス記録が表示されている。
ギルド長と副ギルド長にだけ与えられた、記録を再現するしくみを用いてサキのステイタスを表示しているのだった。
カークはため息をつきながら、その板をながめた。
「魔法は全種類。まあ、これは希有ではありますが、いないことはない。」
「そうだな。まあ、伝説クラスの魔術師ではあるがな。」
「はい。…それ以外に『特に』私がひっかかっているのは2カ所。」
「うむ。」
「ひとつは『加護』に『神獣の加護』というのがあります。」
「うん。あとひとつは?」
「『異名』ですね。『龍殺し』とある。」
「なるほど。で、それらをどう分析する?」
「『神獣の加護』。神獣とは、今のところ4種しか知られていません。鳥のホウオウ、龍のハクリュウ、一角獣のユニコーン、そして…獅子のフェンリル。」
「…」
「あのシンハという犬。ギルド長も同じ考えと思いますが、私はフェンリルではないかと疑っています。」
「…」
「伝説にしか登場しないフェンリル。それがあのシンハではないかと。」
「なるほど。確かに俺も、お前と同意見だ。あとは…『龍殺し』についてだな。」
「はい。最初、私は彼がワイバーンを倒したから、この異名なのかと疑った。でも、普通はワイバーンを殺した者に、この異名はつきません。しかも、今日、彼と勝負をして確信しました。彼はワイバーンより上の龍種、つまり本物の龍を、殺したことがあると。」
「…」
「最近、黒龍の悪事の噂を聞きません。だがつい昨日、黒龍は魔獣どおしの戦いで倒されたのではないかという噂を耳にしました。誰が言い出したのかは知りませんが、もしそれが事実だとすると…いったい誰が倒したんでしょうね。」
「強い魔獣がいたんじゃねえのか?」
「ギルド長。これについても、私と同じことを考えているんでしょう?」
「…」
「黒龍を、殺したのは、もしやサキ君たちではないかと。」
「…さあてね。お前さんの思い過ごしじゃねえのか?サキはまだ子供だぜ。」
「それならそれでいいのですが…。
私には『鑑定』があります。しかしシンハに『鑑定』は効かない。そしてサキ君にも阻害される。彼の持ち物にさえ『鑑定』がききません。
『鑑定』が効かない理由はいくつかあります。相手の魂の格が高いとか、相手の『鑑定』能力が自分より高い場合。そして相手のプロテクト能力が高い場合などです。
私には『鑑定』できないけれど、わざわざ鑑定阻害魔法が装備の一つ一つに掛けてあるのはわかります。あのローブの裏地。真っ黒で。まるで黒龍の鱗か革で作ったもののよう。」
「…」
「ブーツもそう。手袋も。腕を覆う腕甲もそうだ。黒くて、そして鑑定阻害をかけてある。何故でしょうね。」
「…いずれ本人に直接聞いてみるか。」
「答えてくれるでしょうか。」
「まあ、すぐには無理でも、いずれ、話してくれるかもしれんぞ。彼の過去もな。」
「ああ、過去と言えば…サキ君と槍で勝負した時のことですが。」
「うん?」
「剣の構えや流儀が、王族のそれと似ていました。」
「ほう。すると剣聖ウル・ディーノ流ということか。」
「そうですね。細かくいうと、騎士流ではなく、やはり王族流です。王族流のほうが形骸化した騎士流より逆に実用的で、冒険者向きなので。」
「そういえばおまえさんも貴族出身だったな。」
「私の出自などどうでもいいですけど。でも王族の剣技は覚えています。サキ君の剣は王族流。つまり、剣聖ウル直伝の流儀です。」
「ふうむ。剣聖ウル自身はもうとっくに鬼籍に入っちまってるのは確かだから、その流儀を正しく伝える者から習ったということか。なるほど。ますます謎だらけだなサキは。」
ヴィルドに入った日(昨日)一日分も長かったけれど、二日目が101話から109話までだったんですねえ。すごーく濃い一日でした。