103 洗礼式
「!枢機卿様!」
え、枢機卿!?ここのトップ?
「お帰りなさいませ!枢機卿様。」
シスターがその場に跪く。きっとこの教会のトップだろうけれど、枢機卿が何人もいるはずないから、教会の組織全体でもよほど偉い方なのだろう。教会がこの辺境伯領を重要視している証拠だ。
「ただいま。シスター。今の話は本当か?洗礼に大金貨1枚とか、貴族でないと受けないとか、とんでもないことが聞こえたのだが。」
「は、はい…。司教様が…。」
「ドローレスか…。嘆かわしい。…若者よ。うちの教会の者が、とんでもないことを言ったようだ。大変申し訳ない。」
と僕ごときに深く頭を下げた。
「あ、いえ。どうぞ頭をお上げください。僕はまだ何も被害を被ってはおりませんし。」
と言ってみた。
「寛大なご配慮、痛み入る。
もし差し支えなければ、これから私が洗礼をしたいのだが。
もちろんご喜捨は大金貨などいらないよ。相場はいくらと聞いてきたのかね?」
「カク5枚から銀貨1枚です。」
「そうか…。では銅貨1枚で行なおう。本当はタダにしてあげたいところだが、教会本部から叱られるのでね。つまらない規則だ。」
「はあ。」
銅貨1枚って…100円だよ。
「あ、もし、もっと払えるなら、こちらではなく、孤児院に寄付していただけるとありがたい。」
真剣に謝ったかと思うと、途端にとぼけたことをおっしゃる方だ。
でも、なんかいいね。こういうおじいさまは好きです。
「くす…。わかりました。よろしくお願いします。」
「うむ。シスター・アルテア。補助をお願いしたい。」
「かしこまりました!」
シスターはうれしそうに笑った。
聖堂から奥の特別な礼拝室へと向かう。
「お互い、よかったですね。」
とシスターにこそっと言うと
「はい。」
ととてもうれしそうだった。
特別な礼拝室は小さい空間で、正面に小さな世界樹様の白い像。
此処の神像は、なぜか耳が丸かった。
そしてなぜか相変わらず僕に似ている。
というか、大聖堂の大きな像よりもさらに僕に似ている気がする…。何故に??
石のタイルの上には、見たことがない魔法陣が描かれていた。
絵文字が多いから、古代の魔法陣だろう。
僕はこっそり念写。
この部屋までシンハも一緒だ。
枢機卿とシスターは、洗礼記録簿や、聖杯など、洗礼道具を祭壇の下の棚から持ち出すと、枢機卿が魔法で水を聖杯に注ぎ、洗礼の儀の準備が整った。
その間、僕は隅の椅子に座って待っていた。シンハは僕の隣にしゃんと背を伸ばしてお行儀良くお座りしている。
「ただいまから洗礼の儀を執り行いますが、まずはお名前をお聞かせください。」
と分厚い記録簿を開き、すぐ書けるようペンを持ち上げて言った。
「サキ・ユグディオです。」
というと、
「通り名ではなく、本名をお願いします。」
とさらっと言う。
シンハをちらと見ると、
『うむ。』
と言っているので、
「サキ・ユグディリアです。」
といった。すると、
「おお、やはり。ユグディリア様ですね。その姓は特別な方しか許されません。精霊たちがたち騒ぐのも頷けます。」
と言い、洗礼の記録簿に僕の名を書いた。
シンハをちらりと見る。
「(そなの?)」
シンハにつけてもらった姓だもの。
『知らん。』
とシンハは素っ気ない。あとでちゃんと聞くからね。
枢機卿は僕の名を書いてから顔をあげ、
「それから…。お連れの「方」は…フェンリル様ですかな?」
「!」
ぎく。
シスターはもう驚いて声もでない。
シンハは
『言ってもいいぞ。』
と念話。
「…はい。」
すると枢機卿は僕の前までわざわざやってくると、今度はなんと跪いて、深々とお辞儀をし、
「私はミハエル・レビエント。枢機卿位を預かっております。
サキ・ユグディリア様。フェンリル様をお連れの方、しかもユグディリアの姓の方を、門前払いするところでした。どうぞ、平にお許しください。」
と言った。
「…僕はただの人間です。どうぞお気になさらず。」
と言ってみた。だって、僕がなにか言うまで、じっと動かなそうなんだもの。
僕の言葉を聞いて
「ありがとうございます。…フェンリル様のお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
いいよね、とシンハに許可を取ってから
「シンハ、と言います。」
と答えた。
すると枢機卿は、今度はシンハの前に行って跪き、
「フェンリルのシンハ様、お会いできて光栄です。教会が行なったこれまでのご無礼を、どうかお許しください。」
と深々と頭をさげる。
「ばう。(うむ。許す。)」
通じてなさそうなので、
「許すそうです。」
と通訳した。
「ありがとうございます。」
ようやく枢機卿は立ち上がり、祭壇の前に戻った。
「ではサキ・ユグディリア様。どうぞ魔法陣の中央に、片膝をつき祈る姿勢でお座りください。」
儀式が始まった。
枢機卿は、聖水を魔法陣と僕に振りかけながら、古代語で祈る。僕にはその意味がはっきりわかった。
「イ・ハロヌ・セクエトー…我ら生きとし生けるものの拠り所たる世界樹様。
聖獣フェンリルのシンハ様立ち会いのもと、ここに、世界樹様のしもべたるミハエル・レビエントが、ローエンに生まれしサキ・ユグディリア様を、正式にご披露申し上げます。
どうかこれを寿ぎ、世界樹様の愛し子たるサキ・ユグディリア様に、大いなる祝福をお与えください。」
すると、魔法陣がきらきらと輝き、僕はまるで明るい木漏れ日の森にいるような気持ちになった。
ああ、ここはきっと、世界樹の森…。
そよ風が吹き、さぁぁ…という葉ずれの音が、心地良い。
世界樹の、高貴なる香りがする。心が洗われるようだ…。
『サキ…』
誰かが僕を呼ぶ。さっきの声だ。
さっきより鮮明に聞こえる。
けれど姿は見えない。
世界樹様?
『ああ。私だ。
きみにまたすぐに会えてうれしい。』
僕は念話で語りかける。
「僕もです。直にお会いしたいです。」
『私もだ。だが、今はまだ、時が満ちていない。
いずれ近いうちにきちんと会えるだろう。それまでたくさん修行して、元気でいるんだよ。』
「はい。わかりました。」
『会える日を、楽しみにしている。私の可愛い…サキ…』
声は次第に遠くなっていく。同時に世界樹の森の幻影も、薄くなっていく。
きっとまだ世界樹様にお会いするには、なにかが足りないのだろう。
声しか聞けなかった。
でも、世界樹様の深い愛情を、感じることができた。
そして僕の中で世界樹様とのつながりが強くなった気がして、心が温かくなった。
洗礼とは、みなこんなふうなのだろうか…。僕にはわからない。
周囲の光やそよ風がすべて止んだのを感じた。
神との対話は終わったのだ。
僕は目を開けた。
儀式は終わった。
立ち上がった僕に
「神の声は、聞こえましたかな?」
と枢機卿は聞いた。温かい目をしていた。
僕はにっこりして
「はい。」
とだけ答えた。
シスターはなぜか泣いていた。
「儀式の間中、そよ風が吹いて…。ユグディリア様のお体が、光っておられました。このようなことを目にしたのは、私は初めてです。」
と言った。
予定どおり、僕は銅貨1枚…を置くフリをして、小金貨1枚を置こうとした。すると
「それは多すぎます。」
と枢機卿。
「神の御前です。私に約束を違わせないでください。銅貨を1枚、お願いします。」
そう言われては致し方ない。
僕はため息をついて、仕方なく銅貨1枚を置いた。
祭壇に再度お辞儀して、枢機卿とシスターとともに特別室を出た。
教会を出る前に、洗礼のお祝いにと、ロザリオをいただいた。
え、これ、100円じゃ買えないぞ。
驚いたけど、お祝いだと言われては、どうしようもない。
うー。…わかりました。
ありがたくいただきます。
このあと、僕達は初クエストを受けるため、冒険者ギルドに向かうのだが、教会の顛末について、後日の話をここに記しておこう。
僕は孤児院を訪れ、枢機卿様に洗礼していただいたのでと言って、大金貨1枚を寄付した。
全然お金が惜しいとは思わなかった。
例の司教は、枢機卿によってただちに断罪され、破門されたうえで横領した金が返せるまで、教会領の鉱山で、犯罪奴隷のように労働させられることとなったそうだ。
たぶん、一生だな。
教会、結構恐いかも。まあ、自業自得だよね。
それと、司教におもねっていた部下達や、賄賂を受け取っていた高位の聖職者たちも、罪の重さによって罰が下ったそうだ。
レビエント枢機卿様はというと、責任を取って辞任しようとしたらしいが、辺境伯や多くの教会人、ヴィルディアス領の民たちが教会に嘆願したことと、世界樹様から教皇にご神託まであったそうで、若干の謹慎期間だけで、そのまま辺境伯領教会のトップとして慰留。民のために尽力されている。
本人は枢機卿位は返上し、気楽なヒラの僧侶になりたかったらしいが、世界樹様が許さず、現役でまだ頑張れと言ったとか。
ご神託まであったため、逆にレビエント枢機卿の教会内での株は爆上がり。卿の弟子達まで発言力が増したらしい。
とにかくめでたしめでたし。
枢機卿は、時々町中のカフェで茶を飲んでいるそうな。
お供はあのシスター・アルテアが多いらしい。
続きは明後日になります。




