102 びっくりな件とがっかりな件
シスター・アルテア・アルラウネは、急ぎ司教の執務室を訪れ、扉をノックした。
「司教様、今よろしいでしょうか。」
「入れ。」
「失礼いたします。」
アウグスト・ドローレス司教は、手にしていた帳簿を閉じ、さりげなく仕舞った。
今見ていたのは二重帳簿である。
ドローレス司教は、辺境伯領教会のトップではない。2番目の事務長のような立場。
この教会の長は、ミハエル・レビエント枢機卿だが、高齢にもかかわらず精力的で、今も領地内巡察の旅に出ている。
ドローレスはトップが不在がちなのをいいことに、喜捨の金を少なく報告し、差額をたっぷり懐に入れていた。
中央教会への賄賂、王族や貴族への挨拶の金…。
教会運営にはいろいろと金がかかる。いや、おのれの出世のためには金がかかるのだ。
万年赤字(当然だが)の孤児院経営を辺境伯に押しつけることにも成功し、この世の春を謳歌していた。
この領地は食べ物、特に美味い魔物肉が豊富。辺境伯領都への異動が決まったときは、左遷かとたいそうがっかりしたものだが、美味い肉が食えるのに気づき、すぐに機嫌がよくなった。果物なども新鮮で実に美味い。
当然、体型は見事に肥えたオークのようになっていた。
「司教様。洗礼を受けたいという方が見えられております。今からでもよろしいでしょうか。」
「洗礼?貴族か?」
「あ…。わかりません。」
「まずそれを聞くのが常識だろう!それによって対応が変わるというのが、何故わからんのだ!何年シスターをやっている!」
「す、すみません。」
「…で、親はどういう服装だ?貴族風だったか。」
「えと…。洗礼を受けたいとおっしゃったのは、14、5才くらいの少年で…ご自身が受けたいようでした。…大きな白い犬を連れていました。身なりは…悪くありません。おそらく、冒険者かと…。」
「フン。14、5才?駆け出し冒険者か。馬車はあったか。」
「…わかりません。」
「断れ。」
「え?」
「断れと言ったのだ。私は忙しい。もし貴族なら行なってもいい。だが、大金貨1枚は用意してもらう。それができなければ、貴族でも断れ。親を連れてこいと言えばいい。わかったな。」
「…ですが…」
「そんなにしたければお前がしろ。だが、大金貨1枚は譲れんからな。」
「…失礼します。」
しょんぼりして、シスターは司教の部屋を出た。
あの少年になんと言おう。
世界樹様に良く似た、あの子に…。
シスターはまだこの教会に赴任してきたばかり。
厳格なヒエラルキーがある教会社会で、上司の命令には逆らえるはずもない。
だが、それでも此処はおかしいと、気づき始めている。
トップの枢機卿が居るときはいたって正常なのだが、不在となると、ご喜捨の金額から聖職者たちの態度、暮らしぶりまで変わってしまう。階位によって食事内容まで変わるのだ。
司教がご喜捨を懐に入れている気がするが、周囲の者は気づかぬふりをしているのか、あるいは司教に加担しているのか、誰も何も言わない…。
「(枢機卿様がいてくだされば、ご相談申し上げるのに…。)」
シスターは、暗い気持ちでとぼとぼと礼拝堂へと戻っていった。
シスターを待つ間、僕とシンハは、ゆっくりステンドグラスを見て、中央の祭壇へと向かっている。
中央祭壇に、まるでマリア様のように、白い彫像がある。
人々は順番に、まず祭壇脇にある箱にお金を入れる。それから神様の像の前で片膝をつき、右手を胸にあて、祈っている。
この世界での礼拝の方法なのだな。
お賽銭を入れるのは、神社に似ていた。
白い彫像は世界樹様らしい。頭には月桂樹の冠のように、世界樹の葉冠を乗せている。そして、世界樹様はエルフの形で作られていて、耳が長く尖っていた。
世界樹は、人の姿をとる時、ハイエルフの格好で現れるという説によるのだろう。
いろいろな説があって、木の姿だったり、ハイエルフだったり、人族の姿だったりする。
獣人族では、その種族の格好で彫像が作られることもあるとか。これらはアカシックレコードと、シンハから入手した情報だ。
それにしても…
僕は祭壇前が空くのを片隅で待ちながら、シンハと念話する。
「なんか…、似てない?」
『…似ているな。』
僕に、似ているのだ。耳の形は違うけど。
えー。気のせいって言ってよ。
「…。ま、いっか。」
そうつぶやくと、僕はようやく空いた中央祭壇前に進み、お賽銭を入れ、片膝をつき右手を胸に。
そして真面目に祈った。
「(世界樹様。初めまして。サキです。いつもご加護をありがとうございます。ちゃんと無事にヴィルドにたどり着きましたよ。シンハのおかげです。シンハと会わせてくれて、ありがとうございます。これからもよろしくお願いしますね。)」
すると…
心がほっこりあたたかくなって、幽かな声が聞こえた。
念話だ。とても遠い。
『可愛いサキ。…来てくれて嬉しいよ。…いずれきちんと会おう。シンハと仲良くね…。』
声が遠ざかって消えていく…。
「!?」
はっとして目を開ける。
「シンハ、今の、聞こえた!?」
『?何のことだ?』
あれ。シンハには聞こえなかったのか。
「そっか…。いや、なんでもない…。」
それよりも…。
「あれ?」
堂内がやたらと明るくなっているのに気づいた。
いままで気にならなかった精霊達…妖精の子供達…が、いつの間にか堂内に集まってきている。
はしゃいできらきら輝いて、いっぱい飛んでいるではありませんか!
「!?」
ちょっと!やばくない!?
僕は慌てて立ち上がる。
キャッキャウフフ…
精霊達は超ご機嫌だ。
堂内にいた人たちが何が起きたかと唖然としている。
これだけ光れば、一般人にも見えるのだろう。
「君たち、お願いだから、そんなにはしゃがないで。」
と小声で言うと、
しゅうううと明るいのが一挙に普通にもどった。
なんか急にがっかりしたみたいに。
「ご、ごめんよ。でもさ、みんなびっくりしているから。」
「…」
なんだかすごくがっかりして悲しそう。
「す、少しなら、大丈夫だよ。たぶん。」
というと、またきらきらと輝きだした。
きゃっきゃ。くすくす。
で、僕の肩とか頭とか、とまったりかすめたり、はてはソフト結界ごと髪をひっぱったりしはじめた。
「うー。だめだめ。僕にくっつかないでー。」
光っちゃうよう。
僕は結界を強くする。
すると結界の外側で光るので、まるで後光がさしているみたいになった。
僕はあわてて
「行こう!シンハ!」
とシンハの手綱を引っ張り、急いで聖堂を出た。
「はあー。びっくりした。」
『ふっふ。』
シンハがぐるると笑っている。
「笑うなよう。」
『お前が真剣に世界樹に祈ったから、きっと周囲が浄化されて、精霊どもが集まってきたのだろう。だいぶ奴らはうれしかったようだな。』
「うう。…それよりさ、さっき、神様の声、聞こえた。」
『なぬ!?』
「いずれきちんと会おうって。シンハと仲良くねって。」
『ほう。』
「来てくれて嬉しい、っても言ってた。」
『良かったな。』
「うん!」
なんかやっと親の声が聞けたという感じ。声は若かったけどね。
僕はなんだか嬉しくなって、笑顔でシンハにぎゅと抱きついた。ふふ。
「シンハー。」
『フフ。こら、苦しいぞ。』
などと聖堂の入口付近でやっていると、シスターが僕を探して外まで来てくれた。
「あ、シスター。」
「ああ、こちらでしたか。すみません。お待たせしてしまって。」
「いえ。…それで、どうでした?」
「あの…それが…ちょっとこちらへ。」
シスターは僕を入り口脇の柱廊の陰に連れて行った。
人目を気にしている感じだ。どうしたんだろう。なんだか表情が暗い。
「?」
「実は…今、枢機卿様はお留守で…。2番目に偉い司教様にお願いしてきたのですが…とても忙しいので、貴族でないとお受けできないと…。」
ん?
「…貴族なら、忙しくとも受けるけど、ということですか?」
「…。あの、失礼ですが…貴族家の方では…。」
「平民です。」
「…。すみません…。」
「そうですか…。とても残念です。」
なるほど。残念ながらこの教会の組織は、腐っているようだ。せっかく素敵な奇蹟が起こったばかりなのに。
世界樹様、知ってるのかなあ。
「あの、私でよければできるのですが。」
「!もちろんそれで構いませんよ。」
「それが…ひとつ問題がありまして。」
「?」
とても言いにくそうにモジモジしながら
「その場合でも、大金貨1枚のご喜捨が必要となるそうで…。」
「!?大金貨1枚?」
さすがに僕もカチンときた。だって、100万円だぜ!?
「妙ですね。冒険者の先輩達に、ご喜捨の相場を聞いてきたのですが、平民なら丸銀貨1枚でも十分だと言われたのですが。」
「…ほかの教会でなら、そうかとも思いますが…今こちらでは…すみません!」
シスターは涙ぐんでいる。
わかるよー酷い上司だよね。
シスターの様子からして、大金貨1枚は教会世界でも常識ではないようだ。もう汚職確定じゃんか。
かと言って、今僕がソイツをどうこうできるものでもない。
さっきの奇蹟を考えれば、大金貨を支払うのもやぶさかではない。だけど、それがその上司のフトコロに入るのは許せない。
僕が稼いだお金は、僕が命を張って得たお金。しかも魔獣の命の対価でもある。使い道はしっかり考えたい。
「では、他の町に行ったときにでも、洗礼してもらうことにします。」
「すみません!」
「いえ、貴女のせいではないから。悲しまないでください。でも残念ですね。とても良い教会だと思ったのに。」
「すみません。」
「あー、泣かないで。貴女も早く異動になるとよいですね。」
「すみません。」
「では。失礼します。」
と言って僕は泣いているシスターに一礼して、その場を立ち去ろうとした。
「お待ちなさい。」
うん?
振り返ると、そこに老齢の僧侶が立っていた。
続きは明日。