愛する人よ
誾千代旅立つ。
誾千代は病重く、親類のいる肥後の赤村で養生していた。
1602年、秋の頃である。
誾千代の病は悪化するばかりだった。
最近はずっと床に伏せ、夫、宗茂にせっせと手紙をしたためている。
それは愛する人にあてた遺言である。
あなた様へ。
私は立花の未来を信じます。
我が命燃え尽きるその時まで祈りを捧げております。
だから、あなた様は自分を信じて進んでください。
あなた様には、亡き立花の臣、強き偉大な父たち・・・私も見守っています。
きっと願いは叶う。
だって、立花宗茂は戦国一の武者なのですから。
真っすぐに思うがまま、あなた様には生きて欲しい。
私はもうすぐこの世を去るでしょう。
不思議と心は落ち着いています。
名残惜しいのは、あなたと添い遂げられなかったこと。
ずっと、ずっとお慕いしております。
立花の夢をみられて、誾千代は幸せでした。
あり・・・
誾千代が次の言葉をしたためようとした時、お付きの弥助が血相を変えて部屋に飛び込んでくる。
「奥方っ!」
「なんですか、一体」
「殿が・・・殿が・・・来るそうです!」
「へ」
思わず、誾千代は声をあげた。
(夫は、立花を再興する為、京都にいる筈、何故・・・それより・・・)
誾千代はすくっと立ち上がろうとするが、たちまち立ち眩みが起こり、弥助に背中を支えられる。
「こうしてはおれません・・・弥助」
「はっ」
「殿をお迎えにあがるのです」
「畏まりました。しかし、奥方様は・・・」
「私は大丈夫。少し元気がでました」
「左様ですか」
「ふふふ、こんな弱々しい鬼姫の姿は見せられませんからね。はりきって、お出迎えしましょう」
「・・・奥方様」
弥助は目に涙を浮かべ、頷くと外へ飛び出した。
「ふー」
誾千代は深く息を吸い込む。
頬は上気し、胸の鼓動が高まる。
「生娘じゃあるまいし」
自ら自嘲し呟く。
今度はゆっくりと立ちあがると、侍女を呼び、身なりを整え化粧をする。
美しい着物に着替えた誾千代は、正座をして目を閉じ黙想し夫宗茂を待つ。
「誾千代来たぞ!」
夫の声がする。
愛しい懐かしい声。
ふたりの目と目が合う。
彼女は恭しく平伏する。
宗茂は妻の瘦せ細った姿を見て悟った。
彼女の死期が近い事を・・・それでも健気に着物へ着替え化粧し、死にゆく姿を見せようとしない愛する妻を。
宗茂は何も言わず、愛しい人を抱きしめた。
ふたりは長いこと抱きしめ合った。
誾千代は溢れ出る涙を見せまいと、宗茂の肩口に目をあて押さえる。
「ふふふ」
誾千代は突然、笑い出した。
「どうした急に」
宗茂は妻の髪を撫でる。
「これでは、まるで今生の別れではありませんか」
「・・・・・・」
夫は一瞬、どう言ったらいいのかと困った顔を見せる。
「そんな顔をしない」
目尻に涙を浮かべ誾千代は精一杯に笑った。
「そうじゃな」
宗茂は破顔くしゃり。
「そうです」
誾千代はポンと膝を叩き、立ち上がるとくるりと一回転してみせた。
「おっと」
よろける妻を宗茂は抱きとめた。
「ふふふ、今日は思いっきり語り明かしましょう」
「よいのか」
「?あなた様。見たでしょう今の。私は元気なのですよ」
「・・・そうじゃな」
「また。そんな顔をしない」
「ああ」
「じゃあ、はじめて出会ったあの時の頃から」
「おいおい、そんな昔の話を・・・」
「今宵はたっぷり時間があります、積もる思い出話、誾はしたいのです」
「ワシも・・・千代をしたいぞ」
「ふふふ」
「ははは」
ふたりは心の底から笑い合った。
ふたりの語り合いは夜明けまで続いた。
・・・・・・。
・・・・・・。
「すーすー」
誾千代は心地よい寝息をたてている。
宗茂は妻の寝顔をずっと見ていた。
そっと口づけをする。
それから居住まいを正し、弥助を呼んだ。
「誾千代を頼む」
「はっ。奥方様に言づては」
「ふむ。ワシは誾をずっと好いておると」
「はっ!しかと!」
宗茂はそっとその場を後にした。
むくり。
宗茂の姿が消えたと同時に、誾千代は起き上がる。
「奥方様、起きていられたのですか」
弥助は驚く。
「こうでもしないと・・・お互い踏ん切りがつかないでしょう」
「・・・はい」
彼は頷いた。
「さてと」
誾千代は立ちあがると、昨夜書いていた手紙を手に取り、たどたどしい足取りで縁側にでると朝焼けの心地よい風を吸った。
そしてゆっくりと手紙を破り捨てた。
朝陽に舞い紙吹雪が白々とした空を流れる。
1602年10月、誾千代逝去、享年34歳。
白鷺が翼をはめかせ、秋の空をいずこかへと飛んだ。
宗茂よ。