三、大津城の戦い
天下分け目の前哨戦。
慶長5年(1600)、いま、まさに天下分け目の決戦がはじまろうとしていた。
東の徳川家康、西の豊臣方石田三成、互いに拮抗する戦力であった。
戦上手で老獪な家康は、方々で根回しをしており、東軍へと寝返る武将が続出していた。
宗茂率いる立花軍は西軍に属し、決戦の地へと向かうべく、総大将毛利元康ら大名とともに伊勢方面に進出した。
その数、およそ15000。
その行く手に、東軍へと寝返った京極高次が進路を塞ぐ大津城があった。
琵琶湖に面した難所の城である。
9月7日、西軍は大津城に対し、包囲攻撃を仕掛ける。
多勢に無勢、起死回生を狙う京極方は、西軍の陣所へ夜襲を仕掛けるも、宗茂はそれを予見し許さず、配下の十時連貞らの活躍により、敵将を捕縛する。
12日、宗茂ら立花軍は、通常の3倍の速さで銃撃する「早込」の戦法を用いた鉄砲隊の活躍により、城を守る鉄砲隊を封じこめた。
宗茂をはじめ、立花軍諸将は大いに奮戦、城の外壁を打ち破ると、三の丸、二の丸を次々と突破する。
「よしっ!大筒前へ!」
頃合いを見図り、宗茂は下知する。
「はっ!」
「天守周りの城内に撃ち込め!」
砲弾は次々と着弾、城内は混乱し京極の籠城は難しいものとなった。
15日、ついに京極高次は降伏し、西軍の勝利となる。
これは、幸先の良い勝利となるはず・・・だった。
しかし・・・。
同日、関ケ原の戦いが開戦となる。
1万5000の大軍を欠いた西軍は、味方の寝返りなどもあり、東軍との天下分け目の大戦に敗北した。
この瞬間、大津城の戦いの勝利は霧散する。
宗茂たちはその報を知り、驚愕した。
「なんと1日で敗北・・・とな・・・どうする」
総大将の元康は唇を噛み、宗茂を見た。
宗茂は腕を組み、目を閉じたまま微動だにしない。
「・・・宗茂殿」
再度、無双の将の名を呼ぶ。
「帰りましょう」
目を閉じたまま言い続ける。
「大坂城へ・・・まだ逆転の目はある」
ひらいた宗茂の瞳は燃えていた。
勝利そして・・・。