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秀吉のもとに九州争乱そして小田原編 一、肥後騒乱

 肥後攻防戦。


 秀吉の九州平定がなされた後も、かの地はしばらく安定することがなかった。

 天正15年(1587)の9月、肥後に移封された佐々成政から、宗茂は国人一揆の鎮圧を要請される。


「成政め、功を焦っただぎゃあか」

 秀吉は嘆息する。

「やはり、佐々木殿には、ちと肥後は荷が重かったかと」

 官兵衛は進言する。

「いや、あいつの能力は本物じゃて」

「しかし、過去の亡霊に囚われておいでだ」

「・・・信長公か」

 ギロリと秀吉は官兵衛を睨む。臆することなく、然りとこくりと軍師は頷く。

「ワシにしっかと仕えとれば、栄達は思いのままだに」

「・・・・・・」

 官兵衛は無言で答える。

「そっか、成政も・・・か」

 秀吉はくしゃりと破顔し、悲しそうな笑みをみせた。


 一向一揆鎮圧の二次救援部隊として命を受けた宗茂は、立花軍と弟高橋統増率いる高橋軍に下知し、ただちに肥後熊本へと軍を進めた。

 まず肥後の南関を立花軍小野鎮幸の主力部隊が突破し南関城を守る将を討ち取った。

 一気呵成に攻めあがる立花軍は、攻め込まれている佐々軍の平山東・西付城を包囲する一揆方の有働軍を「火車懸」という戦法で蹴散らした。

 勇猛果敢な立花の士、十時連貞など多くの者達がこの戦いで活躍している。

 

 宗茂ら立花軍は早速平山東・西付両城に入城するも、一揆方の兵3000あまりに包囲されてしまう。

 宗茂は城の高台から包囲されている様子を眺めると、渋い顔をする。

「うまくはいかぬものよ」

「左様ですな」

 立花家重臣小野鎮幸は頷いた。

「あなた様、いかがなされまする」

 この窮地に笑みを浮かべて誾千代は言った。 

「ふむ・・・そうだな。・・・よしっ!」

 宗茂もまた笑い返す。

 その日、兵站輸送で雇っていたこのあたりの人夫を使い、「立花軍は劣勢の為、夜陰に乗じて柳川へ退却する」という偽りの情報を流した。

 それを聞きつけた一揆勢はこの機会を逃してはならないと、立花軍の動きに睨みをきかせる。

 ところが、立花軍は一向に動かない、軍が動いたのは明け方のことだった。

 粛々と由布惟信の隊300が先頭となり城を出る。

 のこのこと日中の間でてきた立花軍に混乱する3000の一揆勢の中を、由布隊は恐れもせず中央突破を試みる。

 逃げると思っていた一揆勢、転じて攻撃にでた立花軍に敵は混乱する。

「そろそろ行くか」

 森の茂みに兵を隠し、突撃の機会をうかがっていた宗茂が悪戯っぽく笑う。

「ほんにわるいひと」

 誾千代はぼそり呟いた。

「ん?」

「何でもありません」

「そうか、では出陣!一揆軍を蹴散らせ!」

「うおおおおおっ!」

 鬨の声が一斉にあがる。

 すると、四方八方から、小野隊、十時隊、高橋軍が一揆勢めがけて攻めあがる。


「あれが大将か」

 宗茂は混戦の中、一揆軍の旗印を見つける。

 愛刀兼光を頭上にあげる。

「続けっ!」

 誾千代をはじめ、立花軍が怒涛の進撃をみせる。

 宗茂は自ら敵兵を切り伏せる。

「させるか!」

「ふん!」

 横撃して、侵攻を阻止する有働隊の将に、宗茂は兼光を大上段から切り伏せて見事討ち取り、立花軍の勝利を確実のものとしたのだった。


 この戦により3000の一揆軍は総崩れとなり、佐々軍の防戦を覆す光明を見いだした。

 救援の立花軍は時に1日13度にも及ぶ戦いと、7つの城を落とすという獅子奮迅の働きをみせた。



 立花軍大活躍。

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