二、決戦、岩谷城~父たちの死を越えて、西国無双への道~
※岩谷城の話は、拙作「決戦、岩谷城~立花宗茂、西国無双への道~」を本作用に加筆修正したものです。
道雪の死より、明けて天正14年7月のある日。
戦局は風雲急を告げていた。
島津軍が侵攻を開始、進撃を続けながら、高橋紹運が守る岩谷城を取り囲んだのであった。
宗茂は月輪の脇立の兜をかぶり、胴具足を身に着け見事ないでたちで広間の上座にいる。
しかし身体じゅうがうだるように熱い。
「乳の谷間に汗がしたたる」
宗茂は忌々し気に呟いた。
これはひとえに盛夏の暑さのせいなのか、それは否である。
なんともならぬもどかしさが、ただただ悔しかった。苦渋の顔で唇を噛む宗茂。
「父上・・・」
息遣い荒く近づく甲冑のカチャカチャと鳴る音。
宗茂使いの者が戻って来た。
「申し上げます。紹運様、岩谷城撤退は由とせず。神命賭して最後まで戦うとのこと!」
「何という事じゃ、父上は岩谷城を枕として死すおつもりか、我らを守るために!」
「は、我らのことは案ずるに及ばず、今は己のやるべきこと立花山城を死守することに全うせよとの仰せです」
「ぐぬっ!しかし父上を見殺しにする訳にはいかん。者供・・・」
「殿!」
宗茂は言おうとした号令を止めた。
目の前には凛々しく真っ赤な甲冑に身を固めた妻、誾千代が瞳に怒りをあらわし仁王立ちしている。
彼女の背丈よりも長尺の長薙刀の柄を地面に叩きつけた。
「おまちください。あなた様は立花家をお潰すおつもりか」
「誾千代、どかぬか!父を見捨てたとあっては、わしの信義が立たん!」
「いいえ、どきません」
「どくのだ」
「いいえ」
「どけい!」
「こらっ!」
誾千代の凛とした声が響く。
「宗茂!わが父との誓い忘れたか!」
「ぐっ」
「別れ際、父の言った言葉忘れたか」
「・・・・・・」
「言うてみよ」
「・・・・・・」
宗茂は戦の最中に陣没した道雪の言葉をかみしめるように思い浮かべた。
「しかし、ワシは・・・」
宗茂の心は引き裂かれそうだった。己が命を賭しても父を助けたい。
すると、高橋家の頃から宗茂に仕えている吉田兼正が進み出た。
「殿、ここは兼正が行ってまいります。殿の思い、しかと兼正、紹運様に改めてお伝え申す」
「・・・すまぬ。頼む」
がくりと宗茂はうな垂れた。
誾千代は諭すように、ゆっくり宗茂に言った。
「我が父道雪、義父紹運様は無二の友。そして私たちの父、痛いほど気持ちは分かりまする。しかし、あなた様は立花山城の主!」
「・・・・・・」
「立花の現兵力では今島津軍に対抗するのはあまりに無力、それは弟統増様、母君のおられる宝満城も同じことです。何より今は城を固めて守り、力ある太閤の島津征伐軍が来るまで、持ちこたえることが、立花、高橋家ひいては主家大友を守る唯一無二の方策であります。その礎石になろうとする父紹運のお気持ちを分からぬ、あなた様ではあるまい!」
「左様・・・な」
二人はともに悔し涙を流し、我が身の無力さを憎くむ。
「今は我慢の時っ!」
誾千代は毅然と言い放った。宗茂はだらりと固めていた拳をおろした。
「・・・わかった。誾千代、そなたのいう通りじゃ」
「あなた様・・・」
宗茂はゆっくりと甲冑着こむ誾千代の胸に顔をうずめた。
「・・・父上、ご武運を」
「どうか、愛染明王のご加護を」
二人はともに父の無事を祈った。
九州制覇の野望燃える島津軍に、最後の防波堤ともいえる大友軍の勇将高橋紹運は大いに戦った。
島津軍4万の大軍に高橋軍はわずか763名。勝敗は誰の目から見ても明らかだった。
さらに岩谷城は四天王寺山の中腹にあり防衛には向かない城であり、宗茂が撤退をすすめたのもこの点にある。
「これが最後通告でござる。降伏なされよ」
島津軍の使者は慇懃な態度で紹運へ告げる。
「使者殿、丁重なお言葉痛み入りまする。」
「しからば」
使者は紹運が折れたと思い膝を叩いた。
紹運は即座に手で制した。
「しかしながら、主家が盛んなる時は忠節を誓い、主家が衰えたときは裏切る。なんと昨今、そのような輩が多いことか・・・私は大殿の大恩を忘れ降伏もしくは鞍替えすることなど出来ぬ。恩を忘れることは鳥獣以下である!」
「ならば、これまでですな」
使者は立ち上がり、肩を怒らせて退出した。
「殿・・・」
「よい。この後はとにかく時を稼ぐのじゃ、我らがすぐここを破られれば、島津の九州統一が目前となる。主家大友の為に是が非でも守り抜かねばならぬ」
「殿、しかし・・・」
「皆まで申すな。我が死すべき場所はここである。高橋の名に恥じぬ見事な戦花、咲かせようぞ」
紹運率いる高橋軍はよくもちこたえた。援軍をも期待出来ない中、ゲリラ戦法を駆使し、兵力に勝る島津軍を一時、圧倒した。死を背にして兵士達の士気は高まり、大いに奮闘した。まさにその戦ぶり鬼気迫るものだった。
同月27日。島津軍を率いる島津忠長は、全勢力をもって岩谷城に総攻撃をしかける。
さすがに多勢に無勢、次々と柵、外丸、本丸を破られていった。残る詰丸に紹運はわずか手勢10人の者とともに徹底抗戦を行う。
紹運は得意の得物薙刀で、幾人もの兵士を斬り倒す。顔には島津兵の返り血を浴び、鮮血に染まる。目に血が入り視界は真っ赤となる。その視線はどこを見渡しても敵の兵、兵、兵、兵。
しかしながら、死に物狂いで戦う。
その最中、敵の槍が右肩を貫き深手を負ってしまう。
得物が持てない、紹運は自分の死に場所が定まったのを理解した。敵兵の波を睨み、足早に駆けた。
「兼正!」
「はっ」
「しばし持ちこたえよ」
「御意」
紹運は全体が見渡せる高見櫓をのぼった。
戦況を見渡す。足の踏み場もないほど続く敵兵、敵味方の屍。紹運は満足気に頷き、両手を合わせ祈った。それから両手を大きく広げる。島津の矢の斉射が止む。戦いの終わりとその時が来たのだ。
「よく持ちこたえたものじゃ。天晴、高橋の士!」
どっかりと腰をおろし、胡坐をかく。深く息を吸うと、驚くぐらい疲労していることに気づいた。紹運は苦笑した。空を見上げる。夕暮れに雲がたなびいていた。
「屍をば岩屋の苔に埋みてぞ 雲居の空に名をとどむべき」
懐剣を取り出し、自らの首の頸動脈を斬り、腹に突き立てる。
「ぐっ!すまぬ、道雪殿・・・宗茂」
最後の力を振り絞り、紹運は櫓から飛び降りた。
高橋紹運、享年39歳。岩谷城の高橋軍兵763名すべてが、討ち死にを遂げるという。壮絶な岩谷城の戦いは幕が降りた。
総大将忠長は勇将の死を心から悔やんだ。その島津軍の損害は著しく、態勢の立て直しを余儀なくされた。壮絶な粘りに粘り抜いた岩谷城の戦いは後年、島津の九州制覇が叶わなかった要因のひとつとされる。
父紹運の壮絶な死は、その日の内に立花山城に篭る宗茂に知らされた。立花の兵は同朋の死を悼み、立花軍は島津打倒の怒りの拳をあげ士気は最高潮となる。
「あなた様、今は悲しんでいる時ではありません。岩谷城を攻め落とした島津は、必ずこちらへ向かってくることでしょう」
誾千代の瞳は澄んでいる。冷静かつ明晰な分析を行い、夫を見た。
「ああ、泣いてはおれぬ。父上の思い、無念を果たさなければ」
しかし、誾千代の予想に反し、島津軍は岩谷城の戦いで思いがけない痛手を被っており、軍の建て直しに時間がかかっていた。
物見からの知らせに、宗茂は父の戦上手ぶりに感謝した。
その日の夜半、宗茂はわずか100ほど手勢をつれて城を出た。いずれも高橋家に仕え宗茂に従った者たち。父の訃報の直後、誾千代には秘して腹心小野和泉に策を授け、20人の兵とともに島津の元へと向かわせていた。
宗茂はじっとしていられなかった。
歯を食いしばり、策を練り講じた。
亡き父への決死の弔いを。
宗茂は暗闇に乗じ、島津軍の布陣する観世音寺裏手の小さな山に身を潜めた。手勢の者たちと、じっと息をひそめその時を待つ。夜陰の世界を見つめ、目を慣らす。
「小野殿、真に島津の軍門にくだられるのか」
島津忠長は立花家忠臣小野鎮幸に疑いの目をむけている。
「島津家の覇道ゆるぎなきものと心得まする。もはやこれまで」
鎮幸は忠長の目をじっと見据え答える。
「ほう。左様か」
「戦の理とあらば、仕方なし・・・な~んてな、我ら立花みな忠義の士よ」
鎮幸は後ろに控える兵に合図した。即座に狼煙をあがる。
「おのれ!」
「紹運様の仇、お覚悟!」
鎮幸の口角がにやりと上がる。
夜空に白い煙があがった。宗茂は大きく頷く、
「よし、皆の者いくぞ!父上の弔いじゃ」
岩谷城に散った同朋に弔いが出来る喜びと怒りをかみしめ、兵たちは鬼と化した。
立花軍は混乱する島津の陣を切り裂き、宗茂は多くの首級をあげた。総大将忠長の首をとる事は出来なかったが、父紹運の奮闘により疲弊し、勝利で油断した島津の兵たちに恐怖を植え付けた。
存分に敵陣で大暴れし、和泉と合流する。その勢いのまま悠々立花山城へと戻る。意気揚々宗茂たちは無事帰城を果たした。
立花山城門を前に誾千代は仁王立ちしていた。宗茂は肩をいからせ誇らしげに敵将の首級を見せた。
「おう、誾千代、島津に一泡も二泡も吹かせてやったぞ!」
「なんたる、振る舞いか!」
誾千代の白く細い手が刹那、宗茂の頬を叩いた。乾いた音が響く。
「・・・な」
「一城の主ともあろう者が、ただただ感情に流され、愚行を犯すとは」
「しかし!」
「見てみなさい」
誾千代は宗茂に控える家臣たちを指さす。夜襲のさいには100人近くいた者たちが、20数名ほどになっていた。
「何名いますか御覧なさい。あなたの無謀な策により、数多の兵を死に追いやったのか分かっているのでか!」
誾千代は続ける。
「あなた様はそれでお気が晴れたでしょうが、もしあなたが命を落としていたら、この立花家は終いですぞ・・・。ひいては父や紹運様の死も無駄となってしまいかねない。お分かりか!」
誾千代は涙を流しながら宗茂を睨み続けた。
「・・・・・・」
宗茂には返す言葉が見当たらない。
「・・・すまぬ」
ようやく呟いた。
「あなた様、立花家と私、父上たちとの誓いと無念。ゆめゆめお忘れなきよう」
「あい、わかった」
宗茂は誾千代の言う通りと我が浅慮を悔い反省した。一方で父の弔いを少しでも果たせた自分を誇らしげにも思うのであった。
同年8月18日、放っていた間者より急報が届けられた。
「それは真か」
「はっ、兵糧を守備する敵将原田種美隊2000兵を発見、岩戸へ向かうもよう」
「岩戸は狭道、今強襲すれば敵の補給路を断てる。すわっ!今じゃ」
宗茂は床几から立ち上がった。
「おまちください」
誾千代がすすと歩み寄る。
「この誾も出陣します」
「誾千代、そなたはここにいよ」
「いいえ。兵糧を叩き相手の戦意を悉く失わせるまとない好機、確実に仕留めましょう」
誾千代の瞳に一点の曇りはない。
「しかし・・・」
「あなた様はこの誾が鬼姫であることは、承知であろう」
誾千代の武は父道雪譲り、幼少の頃から宗茂は知っている。
なお、言い争いをしている猶予もない。
「・・・わかった」
宗茂は立花の家臣そして兵たちに激をとばす。
「此度は速さじゃ、風のごとき速さをもって、原田隊を討つ!」
大きな歓声が沸き上がる。鬨の声で士気を高める。
「皆の者、出陣じゃ!」
宗茂は主力を騎馬隊とし、ただ一直線に岩戸へ向かった。
宗茂の両隣には誾千代と由布惟信が固める。馬上から薙刀、長槍を繰り出し、群がる原田兵を次々なぎ倒していく。その姿は鬼姫と呼ばれるがふさわしいものであった。
狭道の原田軍を抜き去ると、とって返し再び突撃。
士気高く、武に勝る立花の兵は原田隊を存分に蹂躙し、壊滅的な被害を与え悠々と帰城した。
次ぐ20日。先鋒隊である秋月種長が2000の兵を率い、立花山城へ迫っていた。物見櫓兵士の火急話では進軍を止め食事を始めたとのことだった。
(腹ごなしをして我が城を攻め入るとは・・・余裕か・・・なんとまあ豪胆な)
宗茂の口角は歪んだ。またとない好機である。
「届くか」
「届かせましょう」
誾千代は、ことなげに言う。
「そうか、良し」
宗茂は大きく頷いた。
騎馬隊と長槍、歩兵を半々に分け、30名ほどの鉄砲隊を狭道の草むらに忍ばせる。策は電光石火で騎馬隊が油断する秋月隊を蹂躙、抜く。後、長槍隊が中距離で攻撃。混乱し、ひるんだところで歩兵隊が斬りかかる。とって返す刀で号令とともに騎馬隊が戻る。長槍、歩兵隊は散開し、再び騎馬隊が抜けると同時に退却。追っ手が来たところで、狭道に誘い込み、鉄砲の一斉斉射を御見舞する。
「成りました」
誾千代は微笑んだ。
「さもありなん」
宗茂は床几を立ち、軍に下知した。
立花軍は疾風の動きで、秋月軍を狙う。
しかしながら、秋月軍は思いのほか手強く、二人の思惑通りとはならなかった。突撃した騎馬隊は秋月隊をなかなか抜けなかった。秋月軍の中央まで来るが、徐々に押し返される。そこへ立花軍、長槍隊次に歩兵隊が斬り込んで、混戦状態になるかと思われた。
「あなた様!」
誾千代は馬上から叫び、刀で横を指し示した。
宗茂は頷き、馬腹を蹴り、
「皆の者、こっちじゃ!続け」
秋月隊の横を突き、全速力で駆け抜ける。
そして反転、斜めに縦断するよう騎馬隊を向け、大音声で、
「突き破れ!」
「おおおっ!」
全力で秋月軍にかかる。
その最中。
「いかせぬ」
敵副将、秋月元種が誾千代の乗る白馬の横腹目掛けて、槍を突こうとする。刹那、それに気づいた宗茂は懐剣を取り出し、元種の腕を狙い投げる。唸りを上げると、敵将の右腕に突き刺さり、寸前のところで、白馬はすり抜けた。即座に宗茂は間に割って入り、馬上の元種の腹を甲冑ごと蹴った。崩れ落ちる元種。
「無事か」
「はい」
一気に立花騎馬隊は駆けあがる。
後は手はず通り、立花家の底力を存分に発揮した。秋月軍を敗走へと追いやる。
秀吉軍来る。
父紹運との戦いで疲弊し、さらには宗茂、誾千代の率いる立花軍の活躍により、島津軍はついに24日撤退を余儀なくされた。宗茂は追撃し、手は一切緩めない。数多の首級をあげ余勢をかり宮鳥居城を攻略そして岩屋、宝満城を奪還したのだった。
宗茂と誾千代は父たちを失い、多くの犠牲を払ったが九州に覇をとなえようとする島津軍を撃退し、大友の面目躍如、そして立花ここにありと示したのであった。
立花ここにあり。
では、また来月。