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三日月のかけた朝に

作者: 春野蒼良

 おもむろに目が覚めた夜の12時。冬の夜にふさわしい格好で家族を起こさないように静かに外に出る。ポケットの中で小銭がぶつかり閑静な路地に人の存在を示す。


 静まり返った街にはきっと、誰もいない。


 自動販売機でホットココアを買って近くの縁石に腰掛ける。


 口の中に甘さが広がり隅々まで温めた後喉を通って胃まで流れる。

 あたたかさが身体をつたう。代わりに冷えた外界へ白くなった息を吐きだす。

 白い雪の世界が僕の呼吸に染まる。

 街灯の下で雪がきらめいてるが少し目線をあげると、闇がすべてを飲み込んでいた。

 頭上で輝く三日月は何かを失ったように少し悲しそうに見えた。


 街は深い眠りについてい、膨大な数の呼吸と鼓動は積雪に吸われて、僕だけがそこにいた。


 と、思っていた。静けさを一蹴するように深い闇の夜から確かな足音が聞こえてきた。


 そこにいたのは夜にはまぶしすぎる太陽の光を借りた満月みたいな、屈託のない笑顔で佐野陽太は笑っていた。


 ***


 親友の佐野陽太が交通事故で亡くなったとしらされた朝、僕らの地域で初雪が降った。


「佐野君は不慮の事故で、亡くなってしまいました。先生も心が痛む出来事で、まだ気持ちが追い付いていません」


 ズビッと、先生はわざとらしく鼻を鳴らした。目じりの赤くなった先生に代わり学年主任の先生がことのあらましを説明し、その後の僕らの日程を知らされた。一通り話し終えた学年主任はこれでもかと僕らに登下校の注意を促し何事もなかったように教室を出て行った。


 降り始めた雪の落ちる音が聞こえそうなほど教室は静まり返り、どこからともかく聞こえたつぶやきに反応するようにあちこちがよどめき始める。動揺の波紋は隅々まで広がり誰もが驚きを隠せないでいた。「どうゆうこと?」「うそだろ」「まじかよ」。同じように中身の伴っていない形骸化された言葉たちが吐き出されてはやがて、隣の教室からもざわめきが聞こえる。


 

 クラスの中心的キャラクターは僕ら三年F組に唐突に別れを告げた。


「コメ、おはよう」


 友人の相田満は険しい表情で僕に声をかける。

 コメというのはいつもおにぎりを食べていた僕に、陽太が付けた愛称である。本名、穂谷雄太。


「おはよう、満」


 互いに探りを入れるように、僕らは目配せをする。話す内容は一つしかないのに言葉にできない。僕らがそれを口にしてしまえば、彼がいなくなった現実が僕らをたたきつけてしまうことをきっと僕らは分かっていた。


「なぁ、お前ら陽太と仲良かったよな。えぇと、大丈夫?」


 気持ちが先走ったクラスメイトが僕らの沈黙を破った。戸惑いを僕らに押し付けて話す内容は特に考えてなかったようだ。ほかの生徒が彼の頭をはたいた。


「うん。まぁ、なんとか…。俺もびっくりというか」


 満は気を使ってくれた生徒に対して何とか笑顔を向けるが誰が見てもひきつっていた。


 僕らはその日早々に早退した。


「なぁ、コメ」

「ん?」


 千鳥足で僕らは田園を歩いていた。平日の昼間は散歩している年配の人しかいなくていつも通る道とはまた違ったような違和感があった。




「どー、しようか…」

「……」

「なぁ、どぉしよう。あいつほんとに死んじゃったのかな」


 満は顔をゆがめてぼろぼろと泣いてしまった。それはいつも笑いの絶えない満からは考えもつかないような表情だった。


 突然告げた友人の死は唐突にそして遅行して僕らの胸を確かに、強く強く響いた。

 違和感の正体は間違いなく三人ではないことで、いつも三人で歩く道に一人いないだけでこんなにも僕らの日常は変化してしまう。


 満と僕はもともとクラスで浮いた存在だった。


 クラスになじめなくていつも一人で本を読んでいた僕と、言葉の齟齬から友情にうまれた亀裂に悩まされていた満。そんな僕らが知り合い会えたのは、太陽みたいな陽太がいたからだった。


 高校二年の春、遠くから引っ越してきた陽太は明るくて転入当初から人気があった。

 だから僕らみたいな浮いた存在と仲良くしていたのは周りからみても不思議だった。

 いつしかそれは当たり前の光景になって、僕らは三人そろっていることが当然と周りから認知されるようになった。


 だから僕らは陽太に救われて、たった一人だった僕の世界が極彩色の世界に見えた。


 僕と満は僕ら三人の核だった陽太がいなくなって戸惑いが隠せなかった。ぼろぼろになって雪雪崩みたいにすべてが崩れる音がした。


 翌日から、満の変化は目に見えて極端でそして必然的に彼の心をむしばんでいった。


 そして僕らが学校に来る日は断続的になり、やがてどちらが伴く休みが続いた。


 学校に行かなくなり一週間が経過した。出席日数や満の心配よりも日々のしかかるけだるさに苛まれて、僕の活動時間は夜になってしまった。


 月の欠けた深夜に僕は目的もなく外に出る。真夜中は僕の寂寥感を共感して和らげてくれている気がした。


 最近は雪が降ることもなく積雪が寒さで延命措置を受けているように地に張り付いている。


 僕は温かいレモンティーを買っていつものように縁石に腰掛けて何かを見つめる。そこには誰もいなけどあいつがいた気がした。


 いつものように笑っているあいつが。


 胸が熱くなって、目の奥で感情が沸騰して、目元が潤う。流れ出るのは消化されずにいた悲しさ。


 耳に届く自らの嗚咽は驚くぐらいみっともなくて誰に届くこともなくただただ虚しく地面に落ちる。

 孤独の世界で僕は誰かに何かを訴える。


 誰にも届いてほしくない情けない嗚咽に返答があった。


「大丈夫?」

「っっっ!」


 驚きのあまりレモンティーを落として中身が地面に広がる。街灯の逆光で僕を見下ろす顔がはっきり見えない。張りのある女性の声だった。


「コメ君であってる?」


 声が震えるのを恐れて動揺とともに頷く。女の人は正面にしゃがんで静かにほほ笑む。いつかのあいつのように。季節外れのひまわりが咲いたように。やわらかく。


「顔、ぐちゃぐちゃ……はい」


 差し出された右手には紺色のハンカチが乗っていた。

 戸惑いつつも受け取ったが、見ず知らずの人のハンカチを顔をぬぐうことにためらった僕は結局自分の服のすそをひっぱって涙をふく。


 使っていいのにと、はにかんで僕をのぞき込む。力強い目元に強く平手打ちされたように記憶に衝撃が走る。どこかで見たことのあるその顔を僕は思い出した。


「もしかして、陽太のお姉さん?」


 問いかけに笑顔で答えた。


「どう、したんですか?こんな夜中に」

「それはこっちのセリフなんだけど、昼間家に行ったらまだ寝てるって聞いてさ」


 ハイ、と今度は一枚の茶封筒を渡す。


「封筒選ぶ前にいっちゃたから、これで勘弁して」

「あ、ありがとうございます。なんですかこれ」

「んー。ラブレター?」


 ギョッとした。けど彼女の含みのある笑いからどこか悲しさを感じ取れてきっと陽太関連のものだと思った。

 それに気づいた彼女も、陽太からと付け加えた。中身を確認して陽太の字だと確信してまた涙がこみ上げてきそうだった。


 そっと今にも消えそうな彼の痕跡を手に広げる。


<穂谷雄太へ

 きっとこの手紙を読んでいるころ俺はもうこの世にはいないでしょう…ってかいてみたかったんだよねー(笑)。ごめんごめん一回茶番挟まないと書きずらくってさ。手紙恥ずすぎ。まぁいいや。

 俺が死んだことなんだけど、学校では交通事故みたいな感じで通してもらったかもしれないけど、俺本当は重い病気だったんだよね。ちょくちょく学校休んでたのはそれが理由で。サボりって嘘ついてたやつだいたい全部病院行ってたりしてた。黙ってて悪かった。コメと満には知ってほかった。お前らには言っときたくて…>


 そこでいったん読むのをやめてお姉さんを見る。彼女も神妙な面持ちで彼の手紙を眺めている。


「そういうこと、コメ君。陽太はそういうことなの」


 僕の言わんとしたことが伝わったようで彼女は言った。


「だから、陽太のこと悪く思わないでね」


 僕は、虚しいとか悲しいとかいろんな感情があったけど、それ以上に悔しかった。死に値する彼の体調に気づかず、ただ笑って嘘をつきとおした彼に対して、相談相手にさえなれなくて。


 彼の優しすぎる嘘は僕に対してあまりに鋭利に突き刺さる。


「どうじぃ、どうして……なんで、なんも言ってくんないんだよ。ばかぁ」


 僕の中で彼が笑う。大病を抱えた彼が、僕らに笑いかける。


「陽太かっこつけたがりだから、元気なままがよかったんだよ。だから、許してあげてね」


 背中をさする彼女の優しさはもう僕に入ってこなかった。内側からいろんな感情が張って体の外に出ようとする。


 彼のいない事実と、残した本音が、僕を必要以上に困らせた。


<…お前らとの約束守れなくてごめんな。俺も楽しみにしてたんだけど無理っぽくてさ。

 コメがさ英語得意だから卒業旅行で海外いけるよなって話してて自由の女神の下でアイスを掲げるとかバカみたいな約束(笑)俺的にはさほらコメと満で行ってほしい。俺も見てるから。向こうで約束。今度は守るから。

 後はさ、二十歳過ぎたら酒のもぉぜって話、コメは絶対酒弱いって満と話してたのお前が向きになるもんだから面白くてさ…

本当はもっと書きたいことがあるんだけど、てかつかれてきたよ。まぁ。お前たち二人には変わらず笑っててほしい。気長に待ってるから、長生きしろよ>


 そこから記された僕らの思い出とこれからは本当の意味で無くなってしまった。


 手紙の上に滴る僕の涙は、陽太が泣いたであろう手紙のシミに重なる。


「陽太がね。家でよく満君とコメ君の話をするの。陽太今の高校に引っ越してくる前の学校になじめなかったの、学校に全然いけなくて。でもねある日家に帰ってくると面白いやつと友達になったって大はしゃぎしたの。いつも教室で静かに本読んでるやつと、子供みたいに無邪気な奴ってそういってた」


 三日月が頭上で確かな輝きを放っていた。あの頃を思い出す。クラスになじめなかった僕ら、そんな僕らに声をかけた彼を。


 でも陽太にも欠点はあって、必死で隠して浮かないように必死で、そして僕らを見つけた。


 欠点ばかりの僕らを、欠点をかくした彼が。


 あの日を思い出す。満月の夜。深夜に現れた陽太が僕に笑う。


『あれ、おまえ穂谷だっけ?何してんだよこんなとこで』

『佐野君こそ、何してんの?』

『俺はコンビニ行く途中。あ、暇なら一緒に行こうぜ。ラーメン食う?』

『いや、いいや』

『なんだよ、ラーメン嫌い?』

『いや、好きだけど』

『じゃあいいじゃん行こうぜ』

『あぁー。うん。わかった』

『よっしゃ。……てあれ、あそこにいるの相田君じゃない?』

『え、いや全然見えないけど。暗くて。佐野君よく見えるね』

『だってほらめっちゃ月明るい』

『確かに、綺麗だね今日の三日月』


 雪がまた降り始めた。それはしんしんとゆっくりとまた消えてなくなってしまいそうな雪の上にあらたな記憶を積もらせる。


 溶けて消えて、そして春になる。


 ***


 陽太があの世に行ってから三年がたった。


 私の下にはたくさんの手紙が届いた。いや、正確には陽太に。


 投函されていた手紙を見て私はふと笑みがこぼれる。


 春にしては少し肌寒くてでも太陽のおかげでポカポカ温かいその日に一通の手紙が。


 中には私宛の手紙と陽太宛ての手紙と一枚の写真が同封されていた。


 ニコニコの笑顔で自由の女神の下でアイスを掲げる満君とコメ君。そしてきっと陽太も笑っている。


 欠点ばかりの彼らがきっと今日もどこかで笑っている。



























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