私だけの太陽
誰にだって、心の拠り所の一つや二つ持っている。私の場合は、ある女性のフェイスブックの投稿記事。芸能人とか知り合いではない。まったくの赤の他人の投稿ページだ。たった一人、その人だけを8年ほど前からずっと見ていた。我ながら、引くほど気持ち悪い行為を続けていた。
出会いはネットサーフィンだった。たまたま見かけたそのページに、妊婦が映っていた。
大きなお腹を突き出して、なんの躊躇もなく笑った顔をこちらに向けていた。彼女は、顔出し投稿を誰にでも見られる設定にしていた。フェイスブックが今ほど普及しておらず、よく理解されてなかった時期とはいえ、セキュリティーが甘すぎる、と呆れた。けれど、そのおかげで私は彼女を見つけられた。
私はその頃、和菓子屋で販売員として働き始めたところだった。30代を数年過ぎていた。
20代は新卒で就職した会社で経理事務をしていたが、同期が結婚したり転職したりでいなくなり、私も辞めた。このままこの会社で働くことに意味を感じなくなったのだ。29才だった。
辞めたはいいが、何かものすごくやりたいことがあったわけでもなかったので、転職しても長くは続かなかった。バイトなども経験した末に、和菓子屋の販売員になった。一年更新の契約社員。時給910円。満足しているわけではないが、また新しい職場で一から仕事を覚えるのは嫌だった。私は、消去法で8年間同じ仕事をしている。
妊婦の名前は、『田所 杏』といった。フェイスブックだから、おそらく本名だろう。初めて彼女を見た時、妊娠しているごく普通の女性だな、と思った。美人だな、とか、おしゃれだな、という印象もなかった。私自身妊娠していたわけでもないし、妊娠したこともないし、その予定も切望もしていなかった。同性に恋愛感情があったわけでも、妊婦フェチだったわけでもない。投稿内容も、たわいもない妊婦の日常だったし、一体、何に惹かれたのか、説明がつかない。だけど、私はなぜか毎日、彼女のページを開いた。マメな性格なのか、彼女はほぼ毎日更新してくれた。たまにある投稿がない日は、すごく寂しい気持ちになる自分に気づいた。私は、彼女のことを『杏ちゃん』と呼び、アップされる記事を心待ちにする日々を送るようになった。
杏ちゃんが臨月になった。私は、臨月の人が過ごすであろう日常を、パソコンの画面上で毎日見た。彼女が美味しいものを食べたり、どこかへ出かけて楽しい時間を過ごした姿を見ると、なんだかホッとした。気持ちが落ち着いた。どうしてそうなるのか、自分でも不思議だった。独身女なのだから、普通なら羨ましく思ってもいいのに、そんな感情は全く沸かなかった。
私は友達申請もしなかった。その理由を、『こっちの存在を向こうに知られては面白くない』『それでは、“垣間見る”醍醐味が薄れてしまう』・・・なんて、オタクぶった御託を並べていたけれど、結局は、友達申請を送る勇気がなかっただけだった。私にとって、『友達申請』は、かなりハードルが高かった。知り合いでもめったにしないのに、全く面識のない赤の他人ならなおさらだった。
しばらくして彼女が、『明日予定日だ。緊張する!』と投稿した。
ついに出産するんだ!と、思うと、私も緊張した。心臓がきゅーっとなるくらい、不安を感じた。その瞬間、私の手は無意識にキーボードを叩いていた。
『頑張ってください! きっと大丈夫!!』
私は杏ちゃん宛てのコメントを、パソコン画面に打ちこんでいた。後は『投稿』をクリックすれば、彼女に届く。マウスをゆっくり動かしカーソルを『投稿』の場所に持っていった。
・・・でも、押せなかった。
全く関りのない他人からコメントが来たら、気持ち悪いって思われてしまう。私ならそう思う。でも、杏ちゃんはそうは思わないかもしれない。いや、きっと受け入れてくれる。見ず知らずの私の言葉でも、明るくてオープンな彼女なら受け取ってくれる・・・そう思うと、尚更できなかった。
出産という人生で最も大事な時に、余計なことをしてはいけない。彼女が出産に集中できる環境を作ることが第一だ。それに、彼女は20代で若く、私は30代半ばの未婚で実家暮らし。生きてるステージが違いすぎた。私はあくまでも、傍観者なのだ・・・。
私はコメント欄に打ち込んだ文章を消去した。
その後、投稿が2日ほどなく、ハラハラしたが、3日後、赤ん坊と、赤ん坊を抱いた杏ちゃん、そして旦那さん、両家のおじいちゃんおばあちゃんを映した写真が数枚投稿された。赤ん坊は女の子だった。
ああ、無事に出産したんだな、と、私は心から安堵した。
「おめでとうおめでとう・・・」
画面に向かって、何度も呟いていた。そして、
『やっぱり、コメントを投稿しなくてよかった。出産前に変な思いさせて動揺させないでよかった』
と思った。
子どもは、生命力の塊だった。
一日過ぎていくごとに、別人のように成長した。昨日できなかったことが今日できている。杏ちゃんの子供の成長が、画面上から手に取るように伝わってきた。
和菓子屋の契約社員として、毎日ほぼ同じルーティンで生活している私にとって、その成長の姿を見ることは、癒しだった。40代の扉がもう見えてきている女には“変化”=“下降”であった。白髪増えたな、とか、体重が減らないなとか。でも、杏ちゃんの子供の“変化”は完全なる“上昇”。だから、杏ちゃんの投稿を見るたびに、私の気持ちもアガるのだった。
初めてのハイハイ。初めて立った姿。初めて歩いた時(動画だった)は、涙が出た。
「すごい! すごいね!」
と画面に向かって拍手した。
成長がめざましく、パソコンで見るだけでは足りなくなってきた私は、ガラケーを最新型のスマホに変え、外にいても、杏ちゃんのフェイスブックを見られるように環境を整えた。ガラケーを買うのはすごく遅かったのに、この行動の素早さ・・・。『好き』のパワーを実感した。
専業主婦の杏ちゃんは、家か、近所の公園でよく過ごしていた。一度、公園の名前が映り込んでいる時があり、思わず場所を検索してしまった。その公園は意外と近く、最寄り駅も電車で15分くらいで着く所だったので、驚いた。こんなストーカーじみたことをしている自分をますます気持ち悪いと思いながらも、その距離の近さを素直に喜んだ。
子どもの成長は目まぐるしく前進する。そして、杏ちゃんも確実に年を重ねていく。ま、老化まっしぐらの私に言われたくないだろうが、杏ちゃんも、母親らしく大人になっていた。それは、杏ちゃんと杏ちゃんの子供が一瞬一瞬を目一杯生きている証なのだ。
独身で、恋人もいない、実家暮らしの私とは、天と地との差だった。私にとって、杏ちゃんは、映画だった。インターネットが運んでくれる、リアルファンタジー。傍観者から観客となっていた。だから、一緒に喜んだり、笑ったり、応援したりしながら、別世界のこととして見続けていた。
杏ちゃんの子供が3才になり、保育園に入学した。
保育園の門の前で、子供と並んで映っている杏ちゃん。淡いピンクのスーツを着て、子どもよりも緊張した顔をしているのが、微笑ましかった。
初めての運動会。遠足のお弁当。夏休みの海水浴。お楽しみ会での劇。クリスマスのホームパーティー・・・。
私は、杏ちゃんと子供の日々を観客として見続けた。なんてことのない日もあれば、特別な日もあった。だけど杏ちゃんはどんな時も“今”を楽しんでいるように見えた。全力で人生を謳歌している杏ちゃんに、私は尊敬すら感じていた。
私は、相変わらずの生活だったが、杏ちゃんを見習い、毎日をかけがえのないものにしようと、自分なりに一生懸命考えて実行するようになった。
例えば、うちの店では、季節ごと、春夏秋冬にちなんだ新商品を発売する。それを自腹で買ってみることにした。(賞味期限間近なのはもらうこともあったので、買ったことはなかった)その新商品の和菓子を、家できれいなお皿に置いて、抹茶を入れて食べてみた。美味しかった。何より心が満たされた。この経験を機に、スーパーでおかずを買うついでに百円で売ってる切り花も買って、洗面所に飾ってみたり、部屋の模様替えをしてみたり、今までやりたかったけど後回しにしてきたことを、やるようになった。自分に対して、前向きな気持ちが続くようになり、日常が少しだけ楽しくなった。私は杏ちゃんに感謝した。
そして、杏ちゃんの子供が無事に小学校に入学した。その数か月後、杏ちゃんの投稿が途絶えた・・・。
前々から気づいていたけど、杏ちゃんの投稿に、旦那さんが出て来なくなっていた。杏ちゃんの表情に暗さは見えなかったけど、被写体が、ほぼ杏ちゃんと子供だけ。あとは子どもの友達か、そのお母さんだった。
そしてとうとう、一年生の秋ごろに、投稿しなくなってしまった・・・。
最初はちょっとした休憩かな? と思っていたけど、1週間、2週間と投稿されない日が続くと、病気なのかな? 事故に遭ったんじゃ? と、よからぬ想像をしてそわそわし、1カ月になると、もうじっとしていられなくなった。不安な妄想が頭を駆け巡った。そしてついに私の思考は停止し、理性が崩壊した。
「会いに行こう」
と決めた。
仕事が休みの日、前に調べたことのある公園に行くため、私は電車に乗った。駅に着くと、雨が降り出した。折りたたみ傘を差しながら、スマホのナビに従い、目的の公園に向かった。冬が近づいていて、うすら寒く、雨もきつくなってきたからか、公園には誰もいなかった。杏ちゃんの記事の中の、この公園の写真をスマホに出してみた。画面の中の世界が、今こうして目の前にある・・・。公園が実在していたことに感じ入った。が、反面、観客が映画の中に入ってしまい、居心地が悪かった。
気を取り直して、私は、この公園の周辺にあるはずの、『田所』家を探すため、公園を出た。杏ちゃんの家を見つけるのである。倫理的にアウトな行動だし、無謀だと十分承知していた。でもそうせざるを得ないと、自分にいい聞かせた。とにかく、安否が知りたかった。生きてる姿を見たかった。一目、その姿を見ることができたら、私は観客を卒業するつもりだった。
でも、私の見解は甘かった。家が見つからないのだ。
これまでの杏ちゃんのページで映っていた情報から、一軒家であることと、外観はわかっていたから、何日間かかけて歩き回れば見つかる! と高をくくっていたが、見つからなかった。年末年始の休みを全部使って探したが、見つからなかった。一軒だけ、すごく似た外観の家はあったが、『田所』ではなかった。
もしかしたら、引っ越したのかもしれない。離婚をしていたら、その可能性は大いにあった。そうなると、もう探しようがなかった。
休暇の最後の日、歩き疲れた私は最初の公園に戻ると、北風吹きすさぶ中、立ち尽くした。あきらめよう。そう決めた。そして、スマホを開くと、その場でフェイスブックをアンインストールした。視界が灰色になった。
予想はしていたが、私の心は真っ白になった。張り合いがなくなり、仕事はもちろん、生活自体が面白くなくなった。かけがえのなかった“今”は、なんてことのない日常に戻り、つまらないものにあふれた。
それから半年ほど経ち、契約更新をする時期になった。遅刻しないくらいが取り柄のごく普通の販売員である私は、これまで特に問題なく契約を更新してきたが、もう辞めようかなと思い始めていた。
40代で、無職になることはつらかったが、和菓子屋と家の往復にもう飽き飽きしていた。
これから親の世話もいるだろうし、2人の年金もあるし、つつましく暮らせば働かなくてもいけるんではないか。第一、こんなやる気のない店員がいる店では買う気がしないし、私のせいで売り上げが落ちることになる。これでは店に迷惑だ。
いろんな『辞める理由』を並べ、正当化しようとした。私はもう疲れていた。ウツ状態なのだろう。それも、どうでもよかった。
その日、私は退職願いをカバンに入れ、出勤した。
『これを今日、店長に渡そう』
と、決心していた。
制服に着替え、店長に歩み寄ると、店長は私に向かって言った。
「あ、紹介するね。今日から入ったバイトさん」
店長の隣に立っていた女性が、私の方を向いた。私の呼吸が止まった。杏ちゃんだった。
「よろしくお願いします。島田です」
苗字が違う・・・。私は動揺を必死に隠して聞いた。
「下の名前は・・・?」
唐突な質問だったが、彼女はすぐに答えてくれた。
「杏です。木に口と書いて、杏」
やっぱり正解だった! 彼女はあの杏ちゃんだった。苗字が変わっているのはきっと離婚したのだろう。専業主婦だったのが、こうして働くってことはそういうことなのだろう。私は1秒くらいの間に頭の中でいろいろなことを思いめぐらせた。
杏ちゃんは、笑顔になってもう一度、よろしくお願いします! と頭を下げた。
灰色だった視界に、太陽が戻ってきた。色があふれた。私は、退職願いを破って捨てた。
これから先、私が杏ちゃんに、フェイスブックを見ていたことは絶対に言わないだろう。何百回と『杏ちゃん』と呼んでいたことも隠して、『島田さん』と呼ぶだろう。子供のことや私生活のことも、向こうが話すこと以外は聞かないだろう。それでいい。それがいいんだ。私はただの職場の先輩として接するのだ。だけど、杏ちゃん。あなたという存在がこれまでもこれからも私の光であることは間違いない。
「生きていてくれて、ありがとう」
直接伝えられない言葉を、私は心の中で何度も言った。
おわり
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
この話は、ネット上でしか知らない(顔も本名ももちろん住所も知らない)フォロワーさんが、頻繁にしていた投稿を、ある日を境にまったくしなくなり、安否をものすごく心配した、という私の経験から考えました。
相手のことを何にも知らないから、大げさにするのもなんだしと連絡を取ることもはばかられ、一人ただもんもんとした日々を過ごしました。結局数週間後に復活し、ホッしました。(休んでた理由は、仕事が忙しかったからだった・・・心配して損した笑)
ネットは、出会いも別れも簡単だけど、そこにもちゃんと、人の“情”がある。もうネットがない世界はありえない今だからこそ、人との交流を大切にしていきたいなと、思っています。
毎月4日と18日頃に短編小説を投稿しています!
次回もどうぞ、よろしくお願いいたします!
これまで投稿したものも、いろいろありますので、ぜひ読んでみてください!
おすすめは、これです⇒ https://ncode.syosetu.com/n1313fi/
このたびは本当に本当にありがとうございました!!