03『ロリババァの危機』
ケイスケがこの世界に来てから。7日が過ぎ去った。
館と呼ぶには広く、城と呼ぶには辺鄙なこの場所は神殿と呼ぶのが相応しい。そこで朝起きて、共に食事の用意をして、昼は畑を耕し、夜はランプの明かりの下で様々な事柄について語り合う。
とても、楽しい時間であった。多少時間の経過は気になるし、元の世界に帰った時どうなるのかと不安はあるが、それは些細なことである。
それよりも彼女と共にある事が、余程自分の人生にとって重要なのだから。
癖のある金糸のロングヘアーが舞うの見るのが好きだ。とろりと蕩けた紅玉の瞳が自分の台詞に反応して揺れ動くことが楽しい。白い神殿の中に自然に溶け込む肌を楽しむのも悪くない。
なにより元の世界で声をかける事すら許されない相手を、本気で口説けて、遊び半分であっても応えて貰えるのが最高だ。
「しかし、本当にお主は呑み込みが良い」
「割と、イメージしやすい感じがしますから。【光よ】」
ポウと、ケイスケの指先に光が集う。灯の魔術、自分の体内に存在する魔力を集めて光とする初歩的な術式である。
「ただまぁ、これをやるとツクモさんの凄さが分かりますね。魔力で部屋中を光らせるのは一苦労です」
ちりちりと、体力と精神力を消耗しているのが分かる。例えるなら5kgのダンベルを持ち上げ続ける感覚。続けられなくは無いが、数分で確実に力尽きる。
「ああ、あれは大地の魔力を使っているのだ」
「成程、言われれば何となくそれも理解出来ました」
話を聞いて、周囲の魔力の流れに目を向ければ。確かにこの神殿の中には薄く魔力が巡っている。それを利用することで、彼女はああも気楽に魔術を行使することが出来るのだと、そう実感することが出来る。
「この場の魔力、お借りしても?」
「ふむ、では試してみるといい」
許可を貰えたので。意識を集中する。
壁に、柱に、床に、そして空間に流れる魔力―― 己の世界には存在せず。かといって言葉で語り尽くせることは無く。けれど確かに今この場所にある力を、思考と感覚によって具体化し、その流れを手中に収める。
「――出来、ました【光よ】」
「なんと」
ケイスケの指先に光が灯る。それも10個、己の中にある魔力だけで実現しようとすれば、不可能では無いが、かなり辛い。けれどこの神殿に満ちる魔力を使う事で、それこそビー玉を持ち上げる程度の労力で成しえることが出来ている。
この力を振るう事が出来るのなら、ケイスケが知る物語に登場する魔術師のように振る舞う事も出来るかもしれない。
「ふむ、この短期間で他者が支配する場の魔力を掌握するとは、魔術の才がある」
「そういわれると、ちょっと照れちゃいますね」
これまでケイスケは、褒められた経験が無かった。
何でも人並みには出来た、けれど突き抜けて優れたものは何もなかった。人並みに勉強が出来て、人並みに動けて、人並みに喋れて。ただそれだけ。だからこそ、こんな風に自分の才能を褒められると、確かな喜びが胸の中を流れていく。
「けど、これ位なら。うちの世界の普通の人なら、出来そうな気はしますけど」
「たわけた事を抜かすでない。もしもお主と同じ才を持つ人間が吐いて捨てる程いるのなら。世界のありようが変わっておるよ」
世界を変えられる力がこの手にある。そういわれるとそれを試してみたいと、そういう思いが胸を過りもする。
「もし仮に、自分がこの世界に踏み立ったとして。何か出来ると思います?」
「只人よりは、大きなことを成せるだろう。既にお主は一端の魔術師だ」
ツクモは楽しそうに、けれど少し寂しそうに。声を絞り出す。
「お主が元の世界に帰らず。この世界を旅するというのなら。会話の代価として、相応の旅装と、出来うる限りの知識を与えよう」
ランプが放つ光の影になって、ツクモの赤い瞳を見る事は出来ない。
「うむ、それがいい。なぁに、10日もあればこの世界に対する基本的な知識と、旅で役立つ魔術は授けてやれる」
それは、とても魅力的な話であった。元の世界に未練は少ない。それこそ友人に手紙の一通でも出せれば十分。そして実感として、もう少し魔術を学べば、その程度の事ならばどうにでもなる実感が、ケイスケにはあった。
けれど、その魅力的な展開には何かが足りない。
だからケイスケはあいまいな笑みを返す事しか出来ない。数秒か、はたまた数分か。互いに何も言えない時間が続き。そしてそれを破ったのは、ツクモの諦めでも、ケイスケの勇気でもなかった。
地響き、そして―― 轟音が響く。
「なっ!? いや、ここは――」
ツクモに問う前に、ケイスケは何が起こったのか確かめる手段がある事に気が付いた。
神殿に流れる魔力に接続する。そこから、大地を、そしてこの領域に流れる大気と、そして光を眼下に纏めて像を結ぶ。当然その全てを理解することは出来ない。
切り取り、切り取り、切り取り。その爆音の源を、彼の視界が捉えた。
「お主、遠見の魔術を?」
「これは、黒い―― 騎士?」
夜に紛れて、漆黒の鎧を纏った騎士が3騎。山間にある神殿に向けて突き進む。
その手に握られているのは大型の火砲。そう、けれど何かがおかしい。何かが狂っている。人があれほどの重火砲を支えられるだろうか? いや、そもそも周囲に疎らに並び立つ樹木よりも更に背が高い。
自分の感覚を信じるならば10mを優に超える、巨人。左右非対称で、どこか歪な、工業製品というよりは、出来の悪い玩具じみた外見をした機兵が進む。
その足元には、辛うじて揃いの制服を着込んだ兵士たちが並び。こちらに向けて進軍を続けている。
「ふぅむ、魔動機兵か…… 流石に、今の我には手が余るな」
「見た感じ、ちゃんとした正規兵には見えないんですけど?」
確かに、纏まった軍事行動は出来ている。制服も揃えられ、全員に靴を用意し、武器を揃えさせてはいるようだ。
だが装備は均一でなく、また明らかにまごついた動きが見える。素人目に見ても魔導機兵とツクモが呼んだ巨大ロボットと。足元に展開する歩兵部隊がきちんと連携することが出来ていない。
「獅子心王国の黒揃えといえば、この大陸でも有数の軍勢なのだがな」
確かに、そういわれれば。彼らの服装は黒で統一されているのが分かり。精鋭なのかもしれない。けれどケイスケにはどうしても現代的な軍隊と比較して、彼らの行動に隙が多いと感じてしまう。
「なぁ、ケイスケ…… 奴らの狙いは我だ。お主は何の関係も無い」
「いや、まぁ確かにそうですけれど」
ツクモは寂しそうに、けれどもさっぱりとした顔でケイスケの顔を見上げる。
「知識をくれてやる余裕は無いが、それなりの旅装は整えてやろう。なぁに、この神殿だ、あれほどの戦力であっても早々落ちることは無い」
「……ツクモさんは、ここから逃げられないんですか? 戦う力は無いんですか?」
もしそうだとすれば、自分はどうするのだろうか?
自分は多少魔術が使えるだけの素人にすぎない。確かにあの黒揃えの騎士団とやらには隙が多いが。それでも、生身で自分が出来る事には限度がある。それこそあの魔導機兵1機と相打ち出来れば良い所だ。と考えてケイスケは笑った。
あんな10mの怪物相手に、生身の自分が何か出来ると。本気で思えてしまっている事実に。それは魔術という超常の力を得てしまった故の驕りか?
「逃げられるかもしれん、戦う力もなくは無い。だが、戦う理由が無い」
けれど、それでもいいと。ケイスケは決意する。
ツクモはどこまでも諦めた、乾いたもので埋め尽くされている。そしてその渇きを、ケイスケも知っている。
自分は元居た世界に帰りたいと思わない。飽いているのだ、世界に。それと同じ様にツクモは、生きる事に飽きて自らの命がどうなっても良いと思っているのだ。
不死者も死ぬのだ。心に水が注がれなければ。そのまま弱って、生きることを止めた屍となる。
「魔術とは、それを成し得たいと思う心が無ければ。意味を成さぬ。そして我にはもうそんな理由も残っていない」
つまり、彼女にはもう。生きる理由が残っていない。だからこうも、雑に生きることを投げ出せる。
「じゃあツクモ、これまで積み上げた会話に対する代価を望む」
「ふむ、流石に体を許す事は難しいが。そうだな、口づけ程度ならば――」
ああ、どこまでも彼女はいじらしい。そして、そんなもので満足できるものか。
「力を」
「うぬ、つまりは?」
「戦う力があるんでしょ?」
ケイスケは再び地脈に接続する。神殿の魔力の流れを辿り、そしてその中心に鎮座する存在を見つけた。ああ、何故これほどまで力ある存在に今まで気づかなかったのか。自分の鈍さが嫌になる。
それは、白い巨人。この場に流れ出す大いなる魔力の源。神殿を構成する大理石よりもなお輝く白を纏い。その装甲を分割する継ぎ目からぼんやりと零れる緑の光。猛禽を思わせる鋭い四肢と、バイザーに覆われたヒロイックな頭部。
何より特徴的なのは、腰に据えられた儀式杖を思わせる片手剣。そして、背中からマントのように機体を覆う、1対の翼。
「――そうか、求めるか」
「はい、白の不死姫ツクモよ、この伊達の道化、ケイスケにその力を」
どこまでも自分が道化じみていることは彼も理解している。ヒーローなんて柄ではない。そもそもこの世界において何が正しいのかも良く分からない。けれど、それでもケイスケは彼女の為に戦いたいと。
意味もなく価値もなく、このまま消えようとする彼女を救いたいと。そう思ったのだから。