93 バケモノは 野に放つより 手元にて
雪山の裾野で対峙する二人の間には、まるでアラレのように大粒な氷まで舞散るほど荒れ模様だった。ダメージ判定の外にあるその美術的なエフェクトを、全く無視して阿国が叫ぶ。
「どういうことなの、はっきり説明なさい!」
「とにかく近付いて欲しくないんだ。わかってくれ……」
「なにそれ、それってワタクシがあの方にとって危険ということ?」
激昂する彼女に詰め寄られたが、榎本は微動だにしない。レベル的にもこの女には負けないのだ。チートさえ使用されなければ、だが。
「君が、じゃない。君達が、だ」
「結局ワタクシを含んでるじゃないですの!」
近づいてきた彼女の銃がアゴにがちりと突きつけられてもなお、榎本は怯まず続けた。
「誰か一人がガルドに近づくと、他の奴等も我先にと攻めてくる。それが一番ガルドを危険に晒すんだ。頭の良い君なら分かるはずだぜ」
榎本はそれとなく、今のガルドが「助けを求めている」と表現した。彼女は利己的でガルドの迷惑を考えず行動するが、危険が及ぶことは避けたがる。だからこそ住所の解析に乗り出したらしい。愛する人を守りたいと思っているらしく、はた迷惑だが思考回路としては単純だった。
阿国を味方にする上で、作戦を立てたマグナは「これが危機に陥ったガルド本人の意思だと思わせる」ことこそ重要だと主張していた。
「え?」
「例えば【デンジャーメディック】がガルドのリアルを特定して乗り込んできたらどうよ」
「な、な、なんですの! あの包帯野郎! 許すまじ!」
「そうだな。そんで、出遅れたから急いでガルドに会おうと思うんじゃないか?」
「ええ、もちろんですのよ! 他の輩を出し抜いてお側に……あの方の妻はワタクシで、あの方をお守りするのもワタクシですの」
その思い込みの激しさが榎本には恐怖だった。しかし今回はそれをうまく利用してやる。続けて阿国を焚き付けた。
「だろ? だが他の奴もそう思うはずだ。だからこそ、他の要注意プレイヤーにガルドのリアルがバレないようにする。じゃないとガルドのやつ、ゲームどころじゃなくなるかもなぁ。引退とかしちまうかも。あいつ頑固だから、誰にも相談しないでいきなり引退なーんてことになるかもなぁ。どうよ」
芝居がかった演技だったが、面白いほど阿国は信じた。
「あ、ああ……そんな……あの方が居ないこの世界なんて、ただの冷たい牢獄じゃあありませんの!」
うまい具合に阿国を誘導できていることに、榎本はニヤリとした。
阿国のチート技術はほぼ経済的なものが根底にあることは、それなりに関わりのあるプレイヤーならば全員が気付くことだった。金にものをいわせることで、最新の違法データをこの世界に持ってきているのだ。住所特定なども金による物理的な手段だろう。ならばそれは、リアルでも有効なはずだ。
「困るだろ、嫌だろ……そうなると、ガルドの初お目見えになる世界大会の壮行会、警備が必要だと思わないか?」
「もちろん。やつらを半径一キロに入れないよう、我が家のSPを結集しますの」
「ガルドの正体が画像で出回っても困るよな……あれが要るな。例えば影武者みたいなやつとか」
「でくのぼうにしては良いアイディアですの。屈強でイケメンな、それでいて刺されてもいい影武者を大勢配置しますの!」
節々で榎本が馬鹿にされているが、いつものことだと気にしないで話を進めた。阿国と榎本は出会いから今日までずっと犬猿の仲である。
「んでもって、お前が抜け駆けするとガルドが困るはずだな。奴ら、怒って自棄を起こしたりしたら、思わずガルドに襲いかかりそうだよな。ほら、君リアルだと美人だから……ガルドに近付かれたら一人勝ちするのは俺でも予想できるぞ。アイツら、焦るだろうなぁ」
「あぁ、ワタクシ何て罪深いんでしょう……影ながら見守りますの! それがあの方の為でしたら!」
息をするように女性を褒めるのは、ナンパモードの榎本にとっては自然な行為だった。上手く乗るだろうか、という不安を隠しつつ榎本が演技を派手にしていく。
「おっと! ガルドのリアルを知ったら我慢できなくなるんじゃないか? お前が追いかけてたら影武者だってバレるだろ?」
「うう……見ないようにしますわ……確かに我慢できなくなりそうですもの」
榎本は狙い通りの反応に安堵した。
支援を求めておいて「見るな」など、随分と虫の良い言い訳だ。自分なら信じないな、と笑う。
「おぉ、なんと優しいんだ。ガルドもきっと喜ぶだろう。褒めてくれるかもなー、うん。頭なでなでしてくれるんじゃないか? 君、可愛いから」
「きゃああ! ガルドさまぁ~!」
嵐が吹くほど豪雪の雪山をバックに、身をよじってくねくねしと悶え始めた阿国を冷静に観察する。疑っている様子はない。ガルドのリアルが男だと信じきっているらしい。参謀が考えたにしては穴ぼこだらけの作戦だったが、ここまでうまくいくとは思わなかった。
榎本は適当に阿国を褒めちぎり、適当なところで切り上げ帰還した。