91 その名は阿国
「何かご用ですの? あのお方の隣を辞退するというのでしたら、喜んで出入り禁止にして差し上げますの。二度とフロキリにログイン出来ないようにロックしますわよ?」
「チートを公言しない方がいいぞ、お嬢さん……」
「あら、では物理がよろしいですの?」
「ほーぉ、上等! 胸を貸してやるよ。かかってきな、お嬢さん!」
「その『お嬢さん』呼び、即刻止めないと引きちぎりますの!」
永久凍土の上にそびえ立つ巨大な雪山の、嵐吹き荒れる麓に二人はいた。適当に選んだそのエリアはモンスターの難易度も高く、照明や音楽などの雰囲気もシリアスに設定されている。
二人の舌戦の背景として、とてもよく合っていた。
阿国の攻撃宣誓に背負ったハンマーをすらりと抜いたのは、きらびやかな金と白の鎧をまとった榎本だ。いつもの装備から、耐久値が消耗するアイテムである赤のマントを外している。阿国相手に使うのは勿体ない。
「あなたワタクシの年齢ご存じでしょう!? 嫌みですのよ、その呼び方……フン! あなたの住所を暴いてあげますの!」
「げ、なんだそれ! そういう物理かよ!」
「そしたら乗り込んでいって、裸になって警察をよびますのよ!」
「やめろよ、俺が捕まるだろうが!」
美しいウェーブの金髪を振り乱して榎本に脅しをかけるのは、彼が危機感を持っていた女プレイヤーだ。すらりと高い身長を黒と赤のレースが包み、美しく長い指先まで覆っている。肩と胸のあたりがぱっくりと空いているのが妖艶だ。
「ええい、なぜですの!」
「なにがだ」
「なぜあのお方はこんな品の無い無礼な男など側に置きますの!」
突然ヒステリックに喚き始めた女は、赤いピンヒールを備えた脚部装甲でその場をガンガンと踏み鳴らす。そして腰に装備していた片手銃を構え、榎本に向けた。
阿国というネームの彼女は、ガルドを慕うあまり改変データであるMODやチートプログラム、他プレイヤーデータへのハッキングに手を染めていた違法プレイヤーであり、ガルドの元ネットストーカーでもあった。
榎本は一人、休日の朝にわざわざこの女を呼び出すこととなった。
相互承認の必要があるフレンドの登録は向こうから外されていたが、ロンド・ベルベットの六人を阿国が追跡していないわけがない。休日のギルドホームに転送するロビーで名前を呼べば、五分もかからずに現れ、すぐに場所を移し相対した。
大声で「阿国お嬢さんに会いたい! 俺は、今すぐ、阿国に会いたい!」などと大声で叫んだのが効いていたのかもしれない。
「俺レベルに良い男を選んだんだから、ガルドの目は確かだよな」
「あの方は確かな審美眼をお持ちですわ。ですから! お前なんかが引っ掛かったことこそ、何かの間違いですのよ!」
ピンと伸びたエルフ特有の耳をぴこぴこ動かしながら——そういうアクションコマンドがあるのだとエルフ種のマグナも言っていた——銃に弾丸を詰める動作、リロードを行う。金属が噛み合う音がすると、榎本の耳に微かなロックオンアラートが鳴った。
ひっきりなしにロックオンされる榎本は、ボリュームを最低レベルに変更している。微かな心音のようなそれは、彼女の殺気のようにべっとりと張り付いてきた。
「それはさておき、阿国、君の力を見込んで頼みがある……ガルドを守るのに一役買ってくれよ」
「なっ、あなたに指図される謂われはありませんの!」
「マジな話なんだ……君なら出来るさ」
「なんですの?」
榎本が真剣な表情になるのを見て、今まで非情な手段ばかりとってきた阿国も一瞬怯む。今一番ガルドに近い場所にいる榎本が忠告するということには、何かあるのかも知れない。怪訝な表情で阿国が見据えてくる。
榎本は少し感情をオーバーにしながら訴える。
「あいつに危険が及ぶかもしれないんだぁっ!」
「なんですって!?」
この阿国を敵ではなく味方につけるという、ロンド・ベルベット参謀印の交渉作戦が始まった。