83 要注意
榎本は内心舌打ちした。
帰る家が同じだとバレれば過剰に反応することだろう。さっさと切り上げるに限る。
「じゃーな」
「え、ちょっとちょっと! 榎本さん?」
「……あとで連絡する。交渉厳しそうなら、所有証明書と個人ナンバー持って一緒に乗り込むから」
「ハイ! ありがとうございます!」
未成年の少女にくたびれたサラリーマンが直角にお辞儀する光景はよく目立つ。道行く老夫婦がこちらを凝視しながら通過した。
恥ずかしくなった榎本が手を二回叩き帰宅を促す。
「はいはい、解散!」
「ああ、お疲れ。楽しかった、ウィグ」
「こちらこそっ! おつかれっしたー!」
ガルドの言葉ひとつで気が紛れるのだから、現金な男である。
上野駅の喧騒に、青白い顔を少々赤らめたボートウィグがまぎれてゆく。真冬だと言うのに晴れやかな夏空を見るかのような、爽やかな笑顔だった。
そのボートウィグが見えなくなるのを確認してから、上野の駅から足早に離れる。
人の波に逆らうようにずんずんと榎本が大股で歩き、ガルドはその後ろを小走りに歩いた。雪道を歩くときによくやる手法で、二人からすればそれは行軍の行進である。前をガルドが担当することもあるが、今回は肩幅の広い榎本が先陣を切った。
一つ角を曲がり、奥へ奥へと裏路地を縫う。
完全に駅に向かった彼の死角まで離れてから、堰を切ったように会話を再開した。
「ビックリした」
「だなっ!……あれでよかったのか?」
「ボートウィグなら問題ないと思う」
「それだよ。アイツはマシな方だからいい。アキバのオフ会からまだ一ヶ月だってのに、早速一人見つかった。他の荒っぽい奴とか、例えば阿国みたいな奴とかに出くわすとかあり得るだろ。こりゃあ時間の問題だな」
「それは困る」
ガルドは真っ白なマフラーを鼻の辺りまで引き上げながら、肩をすくめて見せた。
周囲の善意にも悪意にもどこか鈍いガルドだが、唯一危機感を示しているのが阿国という女性プレイヤーだった。榎本はさらに、危機感を募らせ注意喚起を畳み掛ける。
「阿国だけじゃない、バックドアつけやがった犯人、まだ誰だかわかってないんだぞ」
「もう二年前だ」
「まだ二年だ」
長年ガルドの側で相棒をしている榎本としては、あともう三~四人ほど要注意プレイヤーがいる。その昔、ギルマス・ベルベットに付きまとっていた要注意プレイヤー最多人数が十三人だったことを考えるとかなり少ない。しかしギルマスの住まいは北海道だったため、特に問題はなかった。
首都圏に住むガルドは状況が大きく違う。
何か対策を取らなくてはならないだろう。榎本はうっかり忘れていたその事実を思い、かちりと歯を噛んだ。




