78 エンカウント・ボートウィグ
座っている客と歩いている客が目を合わせるというのは、どちらかが強く興味を示さなければあり得ない構図だ。
ガルドはその違和感を目で追った。
「あれー!?」
目線の先から不意に大きな驚愕の声が聞こえ、予期せぬ反応にぎょっとする。声に背を向けていた榎本も、弾かれたようにそちらを振り返った。
声の主は、目が合ったガルドではなく後頭部だけの榎本を凝視していた。
「やっぱり! 榎本さんじゃないっすか! あ、上野に住んでるんしたね~」
そう言って近づいてくる男に、ガルドは全く見覚えがない。榎本の友人だろうと推測する。年齢も彼と同じ程度に見えた。
彼はくたびれたスーツの上に技術者が着るような、ワッペン付き胸ポケットが目立つアイボリーの作業用ブルゾンをはおっていた。
ボサボサの鳥の巣のような真っ黒い髪は、毛先のダメージがひどくガサついている。もっと切り揃えれば良くなるだろうが、恐らく忙しいのだろう。数ヵ月は切っていなさそうだ。
顔色はお世辞にも健康的だとは言えないレベルに白く、目の下のくっきりと浮かんだ隈にも心配になる。鼻立ちはのっぺりとしており凹凸が少なく、目だけがキラキラと力ある輝きを称えていた。
それが逆に不気味に見える。
変なハイ状態なのだろう。徹夜か、栄養ドリンクブースターか。ガルドにも経験がある。あれは脳だけ強くさせて体を無視するドーピング薬だ。心臓や免疫を置いてきぼりでダッシュするようなものである。
ヤクは辞めてすぐに帰宅して、暖かくして寝た方がいい。栄養のある消化にいいもの、たとえば卵をのっけたうどんなんかを作ってあげたくなる。そんな男だった。
声を掛けられた榎本は目にみえて慌て、作り笑顔で応対した。ちらりとガルドを見てから返事をする。
「よぉ……ぼ、ボートウィグじゃねーか」
まさか。
その名にガルドが凍ったように固まる。
「……は?」
思わず声を出して聞き返す。聞き覚えのある名前だ。そもそも、ガルドが榎本に紹介したのだ。
目の前の、ボートウィグと呼ばれた男は一瞬で顔を赤くして照れた。ガルドの疑問符を別の意味で受け取ったらしい。
「よしてくださいよ~! リアルじゃ痛いっす、その名前」
オンラインゲームの平均値で言うとそれほど痛くはないが、現実にはありえない名前である。それに少し長い。付き合いの長いガルドも、面倒なときは愛称の「ウィグ」で済ませてしまうことが多かった。
彼はロンド・ベルベットのメンバーではない。「鈴音舞踏絢爛衆」というギルドに所属する男だ。
優秀な単詠唱系魔法職プレイヤーで、レイドの時などはよく支援してもらっている。周囲と比較しても特にガルドと親交が長く、元々ソロ同士だったが、ガルドのロンド・ベルベット加入と同時に「鈴音」に加入した経緯があった。
ガルドとしては、榎本とはまた違う大切な戦友の一人だと思っている。
「っと、そちらは……あっ、ああ~、デートでしたか? すみませんお邪魔しちゃって」
そこまで話した後、榎本にだけ聞こえる程度の小さな小さな小声で「チョー可愛いっすね、援交っすか?」と失礼極まりないことを呟いた。
「おい! いや違うぞ……あーっと、えっとだな」
ボートウィグのセクハラと冗談の境目のような発言をスルーしながら、榎本はガルドの方に一瞥をくれる。このアイコンタクトに、ガルドは一つ頷きで答えた。
前線メンバーにバレた以上、隠す理由は無い。
女とバレてしまっても実害はないだろう。以前ほど「ネナベであること」への罪悪感は無い。それを綺麗に消してくれたのは榎本やギルドの仲間達だ。
ガルドにとって自分の評価など二の次に変化し、むしろ「年の差が親子ほどもある少女とデートしていると榎本が噂される」方がダメージだと判断した。
それに加え、鳥の巣頭の彼は戦友だ。
ガルドを年上と信じ慕ってくれている彼は、フリーでやっていた頃からの付き合いが続いた数少ない戦場の友なのだ。
オフ会の時同様、拒否されないかと不安がよぎる。だがガルドは、舎弟のような存在の彼の、暑苦しい忠誠心を信じることにした。




