69 パエリア
空港で父を説得するというアイディアは、彼女の予想以上に上手くいった。
母親への交渉は父に任せ、みずきはフルダイブ機・テテロを回収する方を担当する。【ファウンド・リコメンド】という会社の横浜オフィスにあるという情報を得ているが、みずきはそれ以上のことを詳しく知らなかった。
次なる手として、後輩であるハルに兄と会う場をセットしてもらうよう依頼する。すっかり後輩に甘える形になってしまっていたが、当の彼女は上機嫌だった。
「せんぱーい! 一ヶ月ぶりに部活に出たと思ったら、なんと私のためだったんですね! 嬉しいです!」
最近サボりがちだった陸上部の活動は、相変わらず出席率も悪く緩やかな雰囲気だ。三年生は誰一人来ておらず、二年生が地べたに座り込んで雑談に夢中だ。辛うじて一年生が数名走っている様子が見られるが、少し走るとたっぷり休憩をとっている。
コーチなど元々居ない。顧問も監督不届きで校庭に居ないため、部員全員やる気は皆無だった。いつもの風景だ。
榎本の自宅に転がり込んでから、真面目に活動してきたはずのみずきは部活をずっと欠席していた。通学に時間がかかる分を、今まで出ていた部活の欠席を宛がうことでプラスマイナスゼロにするのが目的だ。
今でこそ父が帰ってきたが、フルダイブ機はまだ手元に戻っていない。
よって家出は続行中だった。今日は出席したものの明日からはまた長いサボり期間に入る。喜んでいる様子でいる後輩には悪いが、この問題が解決するまでは部活動に戻るつもりなど、みずきにはサラサラ無い。
「お兄、お詫びになるなら喜んで協力するって言ってましたから!」
「お詫び?」
「ほら、お母様の気持ちを煽っちゃったの、職場のブレーンを話に混ぜたせいですから……」
申し訳なさそうな表情で、後輩が兄からの報告を詳しく説明した。フルダイブの話を職場に持ち込んだ際、みずきの母の他に数人の同僚がいたらしい。そのなかに一人、職場内で一目置かれる頭脳の持ち主が混ざっていたというのだ。
「あおった?」
「そうなんです。話の流れをどんどん悪い方に持っていったみたいですよ。この人が『良くない』と言うならそうなんだなーみたいな感じで、お兄もへきへきしてました」
なるほど、とみずきは状況を理解した。辟易とした様子だったらしい後輩の兄は、そのブレーンに流されなかったのだろう。父親から「フルダイブ機を巡る日本政府の情報操作」のことを聞かされたみずきは、彼女の兄がその影響を受けていないことが理解できた。
自分達のような埋め込んだ者達と、操作された情報に飲み込まれた人々。その差は一体なんなのだろうか。年齢で片付けると、ずっと年上であるギルドメンバーの辻褄があわない。オンラインゲーム経験者だとすると、マグナの彼女や夜叉彦の妻のような「応援している家族たち」の辻褄もあわない。
霧がかった山に佇む気分だった。
「お兄さんのせいじゃない。気にしなくていい」
「そう言って貰えると、お兄も喜びます。日程は後日でいいですか? お兄の締め切りとかが関わってくるんでー。場所はぁ……シンヨコの美味しいパエリアのお店でどうでしょう!」
「パエリア」
ぱりっと香ばしいおこげと、魚介とサフランの鮮やかな色合いが目に浮かぶ。海老の香りが鼻を素通りしていった。
「先輩? ふふ、嫌いって感じじゃないですね。地図送っときますっ」
そう言いながら後輩が、ツヤのある愛らしいピンク色の、リップクリームのような筒状のものをジャージのポケットから取り出す。
真っ二つに入ったスリットを片手でずらすとスティックが水平に割れ、フィルム状の液晶が中央に橋渡しのように現れた。ハルの持つスマホは、タイピング機能を無くして持ち運びとデザインを重視したライトユーザー向けのタイプだ。
フィルムの部分をさらさらと操作してゆくと、あっというまにみずきの端末に地図を送信する。新横浜の駅近くに構える、本格的な内装のスペイン料理店が後輩の端末に表示されていた。みずきはパエリアが気になり、ちらりと画像を覗き見る。中々良さそうな店だ。
「これが解決したら、彼氏さんのお家から自宅に戻るんですよねぇ。うーん、私的には部活に戻ってきてくれるの嬉しいんですけど、彼氏さんは寂しいような……」
「どうせGWには向こうに戻るから」
そういう設定だ。つい忘れそうになることを思い出しながら、みずきは後輩に話を合わせる。
「でもでも、貴重な同棲生活を壊してしまう!」
ばたばたと足踏みしながら一人ではしゃいでいるハルを横目に、みずきは足を伸ばしストレッチを始める。後輩の思いやりも有り難がったが、いつまでも榎本に迷惑をかけるのは遠慮したかった。




