63 父は激怒した
「そうだ、あともう一つ。海外に行きたいって言ってたね。母さんが『怒りすぎてよく聞いてなかった』とか言ってたけど。うーん、なんだかタイミング悪かったね」
あのときの母の声を、みずきは脳波感受型コントローラの恩恵で全く聞いていなかった。耳からの情報をプレイヤー優先にしてしまえば、外の音声を受け取ることは出来ない。怒りの声を文字通りシャットアウトしていた。
向こうも聞いていなかったらしい。安堵感とともに、父にどう話すか考える。あのときは「ゲームの大会」だと話してしまった。だが、聞いていないのであれば「あの計画」にシフトすることも出来るはずだ。みずきは必死に、上手い言い訳を考えた。
しかし、榎本の「設定に無理あるって!」の声がリフレインする。
止めた方がいいだろうか。彼の言うことも一理ある。
問題は、父が「ゲームの遠征(オヤジ五人に囲まれながら)」と「恋人との旅行」のどちらなら許してくれるか、ということだ。
悩むみずきを見守る父は、面白いものを見るような満面の笑みのまま、カプチーノをゆったりと飲んでいた。そのほおに年齢故のほうれい線がくっきり浮かぶのを見つけ、みずきは仲間たちのリアル側を思い出す。父よりシワが多い男が三人、父よりシワの少ない男が二人。後者は榎本と夜叉彦だ。それでも中年男に変わりはない。
そんな男がずらり六人並ぶ様子を、父は許してくれるだろうか。恋人などいたこともないみずきは、慌てて慣れた嘘を口にした。
「実は、四年前から恋人が居て」
「え?」
「アメリカに居て」
「えっと、ん?」
「彼がハワイに行く機会があって」
「……え」
「一緒に、一週間くらい過ごそうって誘われてる」
「みずき」
「……行くから」
その時の父の顔は、梅干しのようなくしゃりとした泣き顔だった。
「みずきぃ、知らなかったぞ……」
「言ってなかった、ごめん。とりあえず許可だけ欲しい」
「許さんぞっだめだめ! 同級生か!?」
「年上で、仕事してる」
「なんの! 家柄は! 収入は! 婿じゃなきゃだめだからな!」
「むこ?」
「長男はだめだ、次男より下じゃなきゃだめだ!」
「兄弟、いたかな」
みずきは、まさか父親がここまで騒ぐとは思ってもいなかった。
怒りながら挙げる条件も、当てはまるかどうかほとんど答えられない。仕事は確か不動産関係だが、それではアメリカというのは辻褄が合わなかった。収入も家柄も知らない。兄弟がいたのかさえ覚えていない。姉か妹だかがいる、というのは聞いたことがある気がした。
いつも穏和な父が豹変し、怒りを露にしている。ほんの少し、みずきはショックだった。
「父さんが認めた男じゃないとダメだ!」
話が予想以上に先まで飛んでいった。ホームランの弾道のように遠くへ行った父の思考に、みずきは追い付けないでいた。




