60 語る父
「みずき」
ふと声のした方向を見ると、久しぶりに見る父の顔があった。もう一人、やけに痩せた体格のサラリーマンが立っている。
「ども。部下の三橋です」
「……いつも父がお世話になっております」
「いえいえ、こちらこそ」
日本人の定例文を思い出しながらみずきがあいさつをした。仕事関係の父の知り合いと会うのは久しぶりだが、スムーズにファーストコンタクトがとれた。
「うちの娘だ」
「写真で見たより可愛いですね」
「じろじろ見ないでくれるかい? 減るから」
「減らないっすよ!」
父親が部下をからかっている様子も、久しぶりに見た。みずきは、そんなお茶目な父を見るのが好きだった。家族にはしないイジリというのは、娘の立場では見ることができない職場での様子を思い起こさせる。部下を多く抱えるらしい父のデスク周りでは、この光景は日常茶飯事なのだろう。痩せていて若い部下も慣れた様子だった。
他愛の無い話を挟んだのちに、部下は一人帰宅していった。
がらがらとスーツケースを引いている姿を遠目で見ながら、みずきは彼の骨の強度を心配する。ひねったら折れてしまいそうだった。
そんな娘の視線を感じた父は、自分が抱く部下への思いを小声で語った。
「あいつはもう少し太ってほしいんだけどねぇ、食に興味がないとかで食べないんだ」
「父さんと正反対」
「そうだね。父さんの食欲、分けてあげたいね」
グルメな父は、気を抜くと脂肪がついてしまう。容姿も気を抜かないため、サイズが変動するたびに定期的なダイエットをしていた。太ったら引き締め、また太りを繰り返している。今は痩せているため、すらりとしたスリーピースのスーツがよく似合っていた。見慣れた姿に家族団欒に近い安心を感じ、みずきはラフな姿勢に座り直した。
「さてみずき。迎えにきてくれるほど、早く話がしたかったんだろう?」
「そう。母さんからの、どんなだった?」
みずきは、具体的な主題をすっぽぬかした質問を父にする。
「脳波感受型のコントローラについてかい?」
「そう」
父親が相手だと甘えてしまうのだろう、いつもより言葉が抜けに抜けてしまった。父がわざと聞き直してくる。
「どの部分についてだい?」
「相談しなかったことと、お金のこと」
「金額についてはいいんだ。みずきの小遣いだから、みずきが使いたいように使うといい。母さんがあげすぎてたんだ、みずきのせいじゃないよ」
「そう?」
諭すように言った父の言葉は、そのままみずきが思っていたことだ。
しかし、流石に使い込みすぎたと反省している。テテロを購入したのは一目惚れだった。つまり必然性は全くない。みずきの主観的な欲望である。
電子カタログで一目惚れしたのは色だ。全体がグリーンがかった肌色という特有のカラーリングで、インジケータの点滅も他の機体に比べて古くさい様式だった。1990年代初頭の家庭用PCのような、ノスタルジーを湧かせるテテロの姿が愛らしい。
どうしても、あのテテロが欲しかったのだ。
金額をつぎ込みすぎたのは自覚している。しかしギルドメンバーにも言われたが、「代償はデカいがいい買い物をした」のだ。ロット数の少ないテテロは、今や白いカラスのようにレアだった。
だからこそ、価値を知らないはずの父に金額を気にしなくていいと言われるとは、みずきは全く思っていなかった。
「でもな。せめて一言、相談して欲しかったな。手術を受けたんだろう?」
「ごめんなさい。日帰りで出来るって聞いて」
母には謝れなかったが、父にはスルッと謝った。
「立会人も要らなかったのかい?」
「それは……」
確かに必要は無い。だが、開頭手術で脳の近くを弄られるのだ。みずきも心配だった。そこで白羽の矢をたてたのは、茨城に住む従姉妹だった。
「すずに頼んだ」
「えっと、つくばのすずちゃんかな。なるほど! 盲点だったね」
十五歳年上の従姉妹は、つくば市の研究都市で新世代オンラインネットワークの開発を生業としている技術者だ。
親戚付き合いの希薄な佐野家では、こういうときに「親戚に頼る」という発想が出てこない。父としては予想外だったが、安心できる展開でもあった。
「手術もすずのとこまで行ってやってきた」
「そうか、じゃあ安心だったんだね」
「そう。しかも安くすんだ」
四年前の当時、世界最先端だった手法で埋め込まれた最先端のコントローラは、今なお市場トップクラスの処理能力を持っている。おそらく研究都市では型の古い世代になっているだろうが、機種変更はしばらく必要ないだろう。
そこまで話して父はおもむろに、カウンター型の小高い椅子に腰かけた体を娘の方へと向き直した。
「みずき、父さんはね——」
父がそう溜めて話し始めるのを、みずきは鼓動の音と共に聞いた。
父にまで反対されると、もう後がない。逃げ道はすでに考えているものの、それはあまり望ましいものではなかった。願うように父親の口元を見る。
いいんだよ、という一言が欲しい。自分の世界を奪わないで欲しい。そう願った。
「オンラインセキュリティのサイバーテロ対策部門にいるんだ」
一瞬、何のことだか理解できなかった。




