59 佐野家の大黒柱
娘から届いた「迎えにいく」というメッセージに、父親は喜びを隠せずにいた。
「わざわざ成田まで来てくれるなんて、優しいお嬢さんですね」
出張先で行動を共にしていた部下が、これまたにこにことしながら声をかけてくる。常日頃から娘の自慢話をしていたせいか、部下はやたらとみずきを高く評価していた。実際に会わせるのは初めてで、噂の娘を見るのが楽しみらしい。
「やっぱりここで解散にしようか。電車まで一緒にいる必要は無いんじゃないかい?」
「ええっ!? せめて挨拶だけさせてくださいよー!」
本当に残念そうな表情で部下がすがってきた。しかし全く力を感じない。痩せ形の彼は、一瞬見ると骸骨のような立ち姿をしている。有能で得難い部下だが、痩せすぎていることが上司として佐野は心配だった。
「少し話したら帰っていいよ」
「それはもちろん。こみいった話があるでしょうし、退散します」
出張中に佐野の妻から鬼のように電話がかかってきていたことを、部下に見られていたらしい。娘であるみずきからのメールが届くたびに、花が綻ぶほど喜んでいたこともだろうか。佐野は恥ずかしくなった。
「ははは、バレバレだったようだね。うーん、妻から詳しい話を聞いていたんだけど、彼女は正論ぽい持論を捲し立てるタイプなんだ。娘側からも聞かないと、平等じゃないからね」
マスメディア関係の職業病なのだろうか、佐野の妻の言い分は一見正しそうに聞こえてくる。それは彼女の視点というフィルター越しで、正確で平等な話かどうかは別の次元である。
それはいつものことで佐野は慣れていた。毎度ネックになるのは、娘のみずきがやたら無口で口下手だということだ。
「佐野さん、いいお父さんしてるんですね。自分も頑張んないと」
「君はまず相手からだな」
「うっ、婚活頑張ります——早速明日も行ってきますよ!」
「そうかい、いい結果になるといいね」
恐らく上手くいかないだろう。部下が相手に求める条件が高すぎる件は、部署の飲み会でよくネタにされる話題だった。
佐野は電話口で聞いた話を思い返した。
妻から聞いたのは、我が家の一人娘がいつからか脳に電子部品を埋め込んでいたこと、それを使ってゲーム世界に入り浸っていたこと、その機材に二百万近い金額を勝手に投入していることだ。
さらにもう一つ。関連した予定として海外に行く予定があるが、その件については「頭に血が上りすぎてよく聞かなかった」らしい。
佐野自身はその仕事柄、脳波感受型のマルチデバイスを装着した人間に接することが多い。故に脳波感受機には肯定的だ。フルダイブのシステムについて家族で話題に上ることはほとんどなく、仕事のことを家に持ち込まない佐野は、自分が肯定派だと伝えそびれていた。
妻がまさかあれほど否定派だったとは知らなかったが、世間一般ではそういう考えの者は多い。
「娘さん、美人なんですよね。いいなぁ、進学校で美人で運動神経も良いなんて。自慢のお嬢さんだ」
「やらないよ」
「そんなこと一言も言っていないっすよぅ……」
隣でみずきに期待を膨らませている部下も、こめかみのあたりが突起しているのが分かる。プロトタイプで安物だったせいか、皮膚の下で存在感のある大きさのデバイスを埋め込んでいた。恥ずかしいなどと言い、厚ぼったい黒髪でこめかみをすっぽり隠している。
「話は変わるんだが、高校生が海外一人旅ってどう思う?」
「え? 突然ですね。そうだなぁ、治安の悪いところは良くないですけど、自分の世代より留学とか流行ってますからね。いいんじゃないですか?」
「ふむ」
佐野は満足げに頷いた。行き先も期間も聞いていないが、発展途上国でもない限り治安の方は大丈夫だろう。
大切に、それこそ化粧箱にでも入れているかのように育ててきた娘だ。意思を主張してきたのは、佐野にとって実は喜ばしいことだった。まさか家出するとは思いもしなかったが。
「また話は変わるんだが、家出してまで通したいことが否定されたら、君ならどうする?」
「え、また突然——そうですね。俺、こう見えてフォークソング好きなんですけど」
「知っているし、似合ってるよ」
「そ、そうすか!? 嬉しいです。でも親には反対されて……古くさいしうるさいって、必死に貯めた金で買ったヴィンテージ品の蓄音機も、アコギも売り飛ばされて」
「ずいぶん思いきった親御さんだね」
「ひどいんすよ。自分達はロックが好きだからって!」
音楽性の不一致というのは、家で音楽を流さない佐野一家には無い価値観だった。
「それで自分、夏休みに武者修行という名の家出したんですよ。フォーク界で有名な楽器屋に直談判して、給料要らないから住み込みで働かせてほしいって言って。一ヶ月もフォークソングに浸りました」
笑いながらそう話す細っこい部下をまじまじと見つめながら、佐野は危機感を覚えた。正直、部下はそこまで行動派ではない。有能でほどほど積極的だが、そこまで向こう見ずに行動できるタイプではないのだ。
その彼がそこまでするのは、親への反抗があってのことだろう。
「……そうか。君も思いきったな」
「楽しかったですよ。あの頃は青春してました! 将来とか不安で、欲望のコントロールもできなくて、親は敵だと思ってて。でも、後悔はしてないです。いまでもギターは趣味ですし」
そう言ってじゃかじゃかと弦を弾く仕草をした。
佐野は声を出して笑いながら、心うちだけでため息をついた。親は敵。きっとみずきもそう思っているだろう。
あの無口で静かで控えめな娘には、自分が知らなかった熱意があるのだと知った。ルールや世間体などクソ食らえという年齢だ。抑圧したところで部下のようになるだろう。つまり、勝手にやる。暴走して、周囲に迷惑をかけ、それでも後悔しない行動をする。
親はそれが心配で仕方がない。
脳波感受型コントローラについては、むしろ利便性から言って良いことだと思っている。彼らの仕事が早いことは身をもって知っている佐野は、いつか将来的には娘に勧めるつもりでいた。若い内に操作に慣れていれば、世界に通用するサイバネティクス・ネイティブになれるだろう。佐野自身が「もう追いつけない」と思うからこその勧めだった。
金額については気にしていなかった。妻には昔から「小遣いを渡しすぎだ」と注意していた。それを辞めなかった妻に責任がある。渡したからには、使い方は子供に一任すべし、というのが佐野個人の考えだった。
問題は、ゲームに入り浸りすぎて勉学に支障が出ること。そして、妻が聞き取りきれなかった海外旅行の件。これを安全にクリアさせるために釘を指す。
それが、母子の間を取り持つ佐野がしようと決めた教育だった。
「佐野さん、聞くだけ聞いてシカトですか?」
部下が趣味の「二十世紀高度経済成長期の音楽」について語り出していた。それを当たり前のように聞き流しながら、彼は娘の将来を憂いた。




