58 白い翼とホットコーヒー
母親より先に父親と話がしたかったみずきは、飛行機で帰ってくるそのタイミングを狙い、空港まで迎えに出向くことにした。
狙いは決めている。まず第一にフルダイブ機の許諾、第二に海外遠征の承諾だ。
国内線を使用する父だが、金額的な問題なのだろう、格安航空を使用していた。前もって便名などを教えてもらったみずきは、中央線と総武線を利用して空港に向かった。
成田国際空港に来るのは、生まれて初めてだった。
高い天井の下、国際色豊かな利用客がひしめき合い、自分までまるで外国帰りのような気分になってくる。みずきは辺りをさりげなく見渡し、楽しみながら足早に歩いた。
至るところから日本語でない言語が聞こえてくる。英語に限らず様々な言語圏だが、そのどれも高校生のみずきには理解できない。モノアイ型のプレーヤーを装着し、専用の言語翻訳アプリを介すれば解るようになるはずだった。
だがみずきは、狭い日本と広い海外の数少ない橋である空港を満喫するため、あえてプレーヤーをつけなかった。
海外遠征の話が出てからというものの、みずきは日本の外側を意識するようになった。自分が住む社会というのは相当に狭く、外側が広大な世界だということを再認識したのだ。きっと、世界には自分が知らない常識というのが山ほどあるのだろう。
フルダイブ・脳波感受機器による恩恵を生理的に嫌悪する人が多い日本と比較すれば、海外はもっと好意的にフルダイブを受け入れてくれる。それは、現在のフルダイブ機器プレイ人口から見ても明らかだった。
時間がまだ余っていることもあり、飛行機を遠目にみることができるテラスまで足を運ぶ。
「ほぉ」
休日ということもあり、テラスは特に子供連れが多かった。カラフルなラッピングを施された飛行機がずらりと並ぶ様は圧巻だ。轟音をたてて離陸して行く白い翼が、冬の青い空にすうっと溶けていった。風が強い。
半年後には、あれに乗って南の島に行っているはずだった。みずきは自然と、南国的なラッピングを探してしまう。ハワイアン航空。フラダンサーのイラスト。
それだけではない、と息を吸って吐いた。
英語は社会科ほど得意ではないが、今から頑張れば間に合うだろう。もしもフルダイブプレイヤーであり続けるのが難しくなったら。今回の騒動を受け、みずきは離脱案を考えていた。
卒業後はあの飛行機に乗って、全くの別世界に飛び出すのもありかもしれない。時差はあるが、ロンド・ベルベットに在籍し続けるのは不可能ではない。ネットは繋がっている。
世界は広い。みずきは、将来を大まかに思い描き始めていた。
フェンスごしにしばらく飛行機たちを眺めてから、冷えきってしまったみずきは建物のなかに戻っていった。暖かい飲み物でも飲んで、時間までゆっくり空港を楽しもう。そう考え、休めるポイントを探して歩きだした。
広い空港内には至るところにベンチがあるが、父親と会えないと困る。みずきは辺りを見渡しながら、目に入りやすいポイントを探して回った。
途中の日本土産を冷やかしながら、ぽつんぽつんと点在する喫茶店やファーストフードショップを品定めする。その中で、どこにでもある赤と黄色のハンバーガーショップの、シンプルなコーヒーのポスターがやけに魅力的に見えた。店内は混みあっていたが、一人用のカウンター席は空いている。この店で待つことにした。
今日は普段やらないことばかりしているじゃないか、とみずきは一人で少し得意になった。ファストフード店に一人で入るというのはなかなか無い。
ホットコーヒーをブラックのままで飲みながら、父親を言いくるめるための台詞を考える。みずきはコーヒーをお茶の類いだと考えており、ブラックこそ基本だと考えている。甘い飲み物にするときはとことん甘く、ホイップクリームを乗せるレベルのコーヒーでないと飲まない。
安さゆえか、苦味が広がる。だがとにかく暖かい。気持ちが落ち着くのを感じ、思考を再開させた。
まず父に、母から「どこまで聞いているのか」リサーチをすべきだ。
そしてその後、状況に応じて自分の気持ちを話す。勝手に散財して勝手に手術を受けたことは、とりあえず謝る。それは確かに悪いことだと理解できるからだ。
だが、みずきには脳波感受型コントローラを埋め込むという行為がなぜいけないのか、未だ理解できていなかった。個人の思考を外部から覗くことのできる仕組みを嫌悪する者も、体に異物を常時いれていなければならないということを嫌がる者も、みずきは共感できない。
もし、父がそんな反応を示したら。
みずきは、以前オフ会の前に感じていた恐怖感に再度包み込まれていた。




