46 片付けと密かな楽しみ
早速、翌日からみずきの家出は決行された。
簡易的な黒い布製のキャリーケースに三日分程度の荷物を詰め込み、日曜で休みだったものの、いつもの制服とダッフルコートのまま電車に乗り込む。電車のアナウンス、走り出した滑走音に「もう後には引けない」のだと離れる覚悟をし直した。
こめかみに金属パネルとケーブルを装着する。ケーブルそのものはイヤホンのケーブルとそう大差なく、女子高生がスマホで音楽を聴いているようにしか見えないだろう。
髪を撫で、こめかみが露出していないか窓に映る顔を確認してから横並びの座席に座った。女子高生が持つには硬派でハイスペックな、マットブラックの大型スマホをポケットの上から確かめケーブルを繋いだ。
みずきは液晶も見ずにメッセージを感知する。頭に浮かぶ文字の羅列、その一番上の送信主欄は母親の名前だ。
受信時刻はほんの五分ほど前。
<あなたのためにしたことです>
そう表示されていることを感じ取り、ほぼ条件反射でメッセージ送受信のアプリを閉じた。
外の景色に目をそらし、みずきは気分を誤魔化す。見慣れた沿線沿いの住宅地と、平行して隣に続く線路。母親との交渉は、まるでこの線路のように平行線を辿っていた。のどかな町並みを見ながら、みずきは自宅で対峙したあの日の感情をぶり返す。
イライラが止まらない。
勝手に廃棄したことを正当化し、その価値を聞かされるがはなから理解しようとしない母は、家族であると同時にみずきの敵となっていた。
だがみずき側にも非はあった。それも分かっているからこそ、みずきは苛立ちを引きずっている。
喧嘩腰で親の意見を聞き流し、あたかも自分が被害者であるという態度を隠さない。そして未だ、みずきの口から謝罪は出ていない。悪いことをしたことは分かるが、気持ちの面で全く謝れなかった。
ここまでくると後悔の念がふつふつ湧いて出てくる。
無断外泊。常識を超えた金額をゲームに費やし、勝手に手術を受け、そしてその全てが事後報告。海外遠征。謝るに値することばかりだった。
みずきはメッセージ画面を開き、何かしら母へメッセージを書こうと感覚する。その時脳裏を掠めた最新メッセージの<あなたのため>という一言を感じた瞬間、考えを改めた。
謝る必要などない。母は自分のためにみずき自身をコントロールしようとしているだけだ。
品川駅が近い。空港へアクセスするイメージの駅が窓の外にわっと現れ、みずきは父を思う。
優しくて理解のある父に味方になってもらえば、全て上手くいく。長期の出張から帰ってくるまでは、相棒・榎本に頼れば良い。みずきはそう作戦立てていた。
御徒町。
築年数が二十までは届かない程度のマンションに、榎本は2DKの城を構えている。
城の主はというと、酒の空き缶や部屋干ししていた下着、恋人のいない男にとって大事な映像ディスクや雑誌など、現役女子高生にふさわしくないアイテムを必死に片づけているところだった。
ゆすぎ済のビール缶をビニール袋へポイポイ放り込みつつ、榎本は相棒を思う。
早まっただろうか、これは犯罪じゃないだろうか。そして耐えられるだろうか。オンラインのガルドはともかく、リアルの彼女を見た後では自信がない。
昨晩の自身の発言から、榎本の思考はぐるぐる同じところを周回していた。
思い出すのは、さらりとした黒髪とせっけんの香りだ。
榎本が過去付き合ってきた恋人たちは、どちらかと言えば派手めでイベント好きな同年代が多かった。金髪で、ブランドの香水を欠かさず、ご機嫌を損なうと爪を立ててくる。そんな女性たちばかりだった。
性格も容姿の系統も違う二回りも年下の、あの「みずき」を恋愛対象には思えない。それでも、とため息をつく。可愛い女の子と共同生活というのは、男としてぐらりとくるものがあった。
「くそ」
悪態をついてビニールを結わい、とりあえずベランダに出しておく。そして寝室に使っている部屋へ向かった。
普段榎本が使用しているベッドに、以前コインランドリーで洗っておいた夏用布団を乗せ置く。上からは仕方なく榎本の冬用羽毛布団をかけることになりそうだが、彼女が接する布団は中年の匂いがしないようにした。
自分でも分かるほど気を使っている。
だが榎本は、苦ではなかった。どきどきする。恋人を初めて自室に招く童貞のような、遠足前の小学生のような、一人暮らしの自室でサークル仲間と鍋パーティをするような気分が入り交じっている。どれも経験があるが、同時に来ることのない感情だ。
純粋に相棒と過ごす時間は楽しみだった。
榎本が頭を抱えるのは、「ガルドでもある佐野みずきが女の子」という部分だった。現時点でそういった欲求は欠片もない。だが、間違ってもそういうことになってはいけない。その気にさえ、なってはならない。
だが念のために、榎本はスマホにある動画を入れた。
去年の今頃にあった攻城戦の様子を、見知らぬ誰かが専用コミュニティにアップロードしたものだ。鬼か夜叉か、はたまたゴリラか。大剣をブンブン振り回して暴れる「ガルド」が映っている。凄まじい暴れっぷりのその様子は、ロンド・ベルベットでしばらくネタにされ揶揄われていた。
その表情を見れば変な気など飛んでいくだろう、と榎本はクールダウン用に保存していた。お守りがわりに、スマホの開きやすい表層部分へリンクを貼り付けておく。
これから共同生活に突入するのは、女の子の外見をしたおっさん鬼ゲーマーだ。
「っし!」
気合いを入れ直して目線をベッド脇の機械エリアに移す。
先日のオフ会で購入したタワー型の外付け情報保存機や、ケーブルが生え過ぎて携帯出来ないノートPC、そして一段と大きな機械が鎮座している。排熱用の冷却水を装備させたそれは、子どものころに姉が持っていたアップライトピアノを優に超える大きさだ。
榎本が持っているフルダイブ機は、初期型のヤジコー製品だ。その性能は上位には食い込むものの、処理速度が高性能機よりもコンマ以下の秒程度だが遅い。現時点でのメジャーなモデルと同等だ。
値段はガルドが所有していたテテロに比較すると数段手頃だが、あの頃必死に金を工面したことが馬鹿馬鹿しくなるほど高い。今の最新ローエンドモデルが二台買えるだろう。出始め当時は市場が不安定で、値段が高騰していた。
まだ市場として若いVRフルダイブ機の世界は、違法中古買い取りの価格が一定をキープしている。しかし今年の夏に出たモデルの質が思った以上に良かったのもあり、徐々に下落してきていた。
これを逃せば価値がなくなるんじゃないか、と以前から榎本は慌てていた。
みずきが来るのは「良い機会」だった。榎本は満足げにヤジコーフルダイブ機をペタリと触る。
「世話になったな。最後に一仕事、頼むぜ」
榎本はフルダイブ機を新調することに決めていた。
ガルドがテテロを取り戻すまでは、今使用しているものも売らずに使用する。これでみずきが変な男に引っかからないように出来るなら、一石二鳥どころの話ではない。それが主目的でも良いほどだった。
昨日の話が終わるやいなや、榎本は目星をつけていた機体をオンラインショップで購入している。
テテロほど高くないうえに、フロキリの上位プレイヤー特典で少し割引された。それでも分割で二年は払い続ける値段だが、賞金が入ればもっと早く払い終わる。商品到着は一週間後だ。
スマートなカタログの写真を思いだし、榎本は喜びを噛み締めた。
「……やれやれ」
リビングへ戻る。そして悩みがもう一つあることを思い出し、榎本は大きなため息をついた。
ベッドルームには空きスペースがないため、必然的にリビングに新しいフルダイブ機を置くことになる。プレイスタイルの関係で、横になれるソファのすぐそばになるだろう。フルダイブ中の姿勢は自由だが、横になっていると成績が良い。
こいつを移動させるのか、とソファの周辺に目を向ける。膨大な量の書籍が無造作に積まれ、足の踏み場がない。隅をうまく利用して、身長に並ぶほど高い山を形成しているうえに、ソファの周囲をぐるりと囲むように本が雪崩をおこしていた。
いい機会だ、本棚も買おう。宿代代わりにガルドにも手伝わせるつもりで、今は放置しておくことにする。それより先に片づけるものがあるだろう。
迎えに行く約束の時間まで、榎本は必死に有害なもの全てを段ボールに押し込み続けた。




