418 怒りと逃げ
映画の最前列より大きな音に、地震を思わせる地響きがひっきりなしに続く。
「くっ」
想像以上の迫力に、みずきは恐怖心が沸き始めていた。
フロキリをはじめとしたフルダイブゲームのリアリティはリアルに限りなく近いが、「もしかしたら死ぬかもしれない」という類の恐怖を与える大きな衝撃音はみずきの経験を超えてきた。
工事現場や工場はきっと毎日このような環境なのだろう。労災の可能性がある現場で働く大人たちは、高校生とはレベルの違う大きな人たちなのだとみずきは畏敬の念を持った。
こんな小娘に、いったい何が出来るのだろうか。
脳波コンでの操作も正しい手法かどうか分からない。みずきはこめかみから信号のラッシュを叩きこみ、十四台のロボットアームを一台ずつ別行動させながら走った。
実際に走っているのも、タイヤ式のパネルであってみずきの足ではない。一台のアームに、Aがしていたように、自身を締め付けるように握りしめさせている。身体を思いっきり内輪側に傾け重心を寄せ、左カーブでドリフトする。
「だらああっ!」
焦げる匂いがする。床と足回りの部品が擦れて火花が散ったが気にしない。怖さを跳ねのけるように叫びながら、追って来た六本脚のロボット犬を横殴りにする。みずきが操るロボットアームの中でも高機動で動ける人工筋肉製の一本が、猛烈な打撃を繰り出した。
このエース・アームは打撃力が強い分軽く薄い外被で反撃に弱いため、みずきはすぐに他の鉄製アームを二本操作し盾のように立ち塞がせた。機敏な白い腕は下がらせ、位置取りを慎重に行う。
「はぁっ、はっ、報告ッ!」
黒と黄色のストライプでラッピングされたイーラーイ私兵のロボット犬を睨む。フロキリで見る犬型モンスターの挙動とは違う。むしろ猿型に近い動きだ。ぴょんと跳ねて左右にぎこちなく振れる姿などが特に似ている。
<残数 四>
<故障件数 十三>
「まだいけるまだいける、次! もっと上がれ!」
リアルでの戦闘経験など皆無なみずきは、十四台あるロボットアームの一体一体を、攻城戦で防衛に入るプレイヤーだと思うことにしていた。
余裕はないが、致命的なミスもない。六本脚ロボット犬には顔も首もないが、センサーカメラがむき出しで分かりやすかった。淡々と弱点を殴り、ぶつかり合う前線を拮抗させ、こちら側のアームが故障すれば後ろから新しい機体を繋ぎなおし補填する。
そしてみずきはどんどん足を進めるよう、全ての腕に指示を出した。
みずきが慣れ親しんだゲーム上での「上がれ」という指示が脳内で行動のイメージになり、前方が空いた時には全体が同時に進め、という意味で入力される。距離平均から抜きん出過ぎないよう、腕の一本一本がお互いの移動数値から計算して位置を取れと計算させた。
みずきが「ガルド」として周囲を見る目の動きを再現するため、六秒から九秒に一回のペースに設定する。
「はっ」
喉が渇く。
みずきはよっぽど、人間が「周りに歩幅合わせろ」と言う言葉一つで様々なことをしているのだと実感した。
<条件にない地点へ移動したため、移動を停止>
「左の腕に連動、振り方はコチラに」
<地点の座標を二番の+204、+384に固定。振り方はユーザー操作>
「いけっ!」
腕の一本がみずきの疑似腕になる。ちょうど直線ルートで走って来た六本脚の犬を、上からハンマーのように殴りつけた。榎本ならきっとこうするだろう。
<音声解析、英語を検知しました>
「英語……ニンゲン……そうか、とうとう……」
マグナならきっと、冷静に覚悟を決めるだろう。メロならきっと、ああだこうだと文句を言って怒るだろう。
みずきはマグナほど上手く飲み込むことも出来なかったが、メロのように感情的に拒否することも出来なかった。
通路に設置されているカメラを視界に呼び出し、イーラーイの私兵を目で追う。鳥瞰だ。影が濃くよく見えないが、人間たちが銃を持っているのは分かった。
「味方……なわけないか」
一抹の望みを捨てる。彼らはポッドに寝ている被験者を踏み殺そうとした。他の、Aが与する犯罪者集団は全員みずきより地下に避難していると聞いている。間違いなくイーラーイという別派閥の手下どもだ。
みずきはもう、違ったらどうしようというような常人的な優しさを見せる余裕が無い。先手を打つことに迷いはなかった。
震える手でこめかみに付けた簡易デバイスと有線コードを触る。そして、一種の諦めに近い虚無の心でみずきはGOサインをだした。
「並んで、塞いで、押し返せ」
殺せ、とは言っていない。
データを冷静にまとめ、有線接続から外した自立稼働のロボットアームを三台、通路をみっちり塞ぐように並べて送り込んだ。ただ進み、障害物を殴りつけるという簡単なルーティーンだけを与えている。
結果どうなるかなど分かっている。軽自動車より強いロボットアームの馬力に、ヘルメットが一枚守るだけの生身が勝てるわけがない。
「ピ」
一番先頭に出た敵影を襲うように指示されているらしい小柄な犬ロボットたちが、特攻するため淡々と進むアーム三体へ体当たりしようとしている。
「パリィガード。行け」
みずきはすかさず操作をかけた。人工筋肉製の素早い腕で、邪魔をする六本脚を吹き飛ばす。
「……だいじょうぶ」
夜叉彦なら和やかにそう言うだろう。よくMISIAにしているのを見かける。なだめるような声を思い出
しながら、みずきは自分の声でなぞった。女の声が喉から響くのにはまだ慣れない。
「大丈夫、大丈夫……」
六本脚のセンサーを握りつぶさせながら、みずきは繰り返し心を落ち着かせる呪文を呟いた。脳波コンで拡張された耳が英語を拾う。まだ遠い場所からだが、多くの集音機器と接続したみずきには位置まで分かっていた。送り出した斥候役の腕と、あと数十秒で接触する。
「向こうもプロだし、単純な行動パターンだし」
だが不安感がぬぐえない。
音声からは、今もみずきに走り寄ってくる六本脚のロボット犬から送られていたのだろう画像データを見たのか、「Japanese」や「ティーンエイジャー」という発言も拾えた。
送り出したロボットアームはもう止まらない。停止させるにはタイヤが空回りするよう横に倒さなければならないが、アーム側の向きによっては自力で立ち上がることすら出来てしまう。もう止められない。
ここにいる五人の仲間を殺されたくない。本当はログアウトだってさせてやりたい。妥協だ。なにもかも妥協でみずきは戦っている。
「ほんとうは、殺したくない」
殺意はない。襲われているから襲い返す。正当防衛だ。みずきは真っ白になりそうな頭の中に理性を紡いでいく。
「だって、しょうがないから」
Aに何もかも頼むのは酷だろう。責任を取れる立場にもないだろう。この場で意識的に、みずきだけが「人を殺さなければ」と思っている。責任を逃れるための言葉を呟く。殺意の否定、不可抗力。そもそも、拉致し監禁したのはそちらの方で、内輪揉めに巻き込まれて訳の分からないまま殺されかけているのだから。
「くそっ!」
ふつふつと湧いてくるものを、みずきは無自覚のまま人外の拳にのせて打った。
電気駆動式のロボットアームが、軸の一つを高速回転させてピンボールのように対象を弾き飛ばす。みずきのこめかみから垂れ下がった有線脳波コン用コードが波打ち、張力でビーンと伸びた。
「だああっ!」
アルミ板がひしゃげるような軽い音を立てて、六本脚のロボット犬が吹き飛んだ。細く長い通路の先まで飛んでいき、突き当りの壁にぶつかり動かなくなる。
「金の無駄!」
一台作るのにいくらかかるかなど知らないが、高校生のみずきには「自分には稼げない額だろうな」とだけ実感があった。それを躊躇なく思い切り殴りつける。
「無駄! 無意味!」
六軸の鉄製アームを特攻させる。付け根のベース部が折れそうだ。キリンの喧嘩のように、首のような長いリンク部を何度も何度もロボット犬へとぶつけさせた。そのうちみずきは「先ほどの動作を繰り返し」という意味合いのイメージを植え付けることを覚えた。
有線を外し、後方から新たに届いた新しい腕へ繋ぐ。
みずきの周りは鉄の音ばかりだ。だが、遠くでパパパという銃弾の音がする。カンやらキンやらと、弾丸が弾かれる鉄の小気味良い音も続く。
心臓の音がうるさい。みずきは忘れてしまえとばかりに、頭の中を腕の操作一色に染め上げた。みずきの叫び声が、脳波コンで伝わってくる別人の叫び声を打ち消す。
通路の奥、曲がり角の先で何が行われているのか、目には見えない距離だがみずきには感覚で分かっていた。
見るよりリアルに「障害物を検知」という報告がリアルタイムで届いている。生の肉を殴ったセンサー
の数値が、みずきの仮想の腕、十六本目から十八本目までの場所で柔らかさを再現している。
「っ、ふっ、うああ!」
みずきは知らないふりをした。
三台横並びのアームは、通路を完璧に塞ぎながら通路を先へと進んでいく。敵の私兵は四人居たらしい。人工筋肉モデルよりーランク低い鉄製油圧式アーム用のカメラは、辛うじて人間の顔認証を持っている。昔ながらの人の顔を四角の枠に入れる機能が三つ働いているが、もう一つはみずきにしか分からないほどに原形を留めていない。
「あっちが悪い、やだ、やだ……悪くない。悪くない」
障害物を踏みつぶしながら、アームたちは先へと進んでいく。空洞のある薄く硬い物が圧力で割れるような音が、キャタピラーの下からパキポキパキパキと静かに聞こえた。
寒さに震えながら、移動用に掴んでいる人工筋肉製のロボットアームを抱きしめる。てろてろとした外皮の質感が、感じてしまった「障害物」の柔らかさと熱量変化の数値データを忘れさせてくれる。
「だいじょうぶ」
みずきは泣かなかった。
<うーん、『ボクの主』と連絡がつかないのだがね>
<同じ建物内なんだから館内放送でもかけなさいよ>
<ハッハ、死んだんじゃないのか? あの人以外のオーナーを屋敷に入れたバチが当たったんだな>
<こら、コイツの新しいオーナーのお陰で私たちこっちに注力出来てるんだからね。もっとコイツに感謝しなさい? ベテルギウス>
<へいへい、どーも。しかし俺の担当は元気が有り余ってるんでね。殺しても死なさそうだぜ、やれやれ>
<それはホワイトキューブでの話でしょう? 私たちは別。このまま籠城してたんじゃ、アイツの言う通り少なくとも一人は死ぬわよ。BJ01、降って来た戦車に天井ごと潰されて、瓦礫に埋もれて行方不明なんだもの。早く回収しないと>
<それがどうした? ポッドは丈夫だ。戦車如きじゃ潰れやしない、むしろ中に居た方が安全だ。イーラーイもそれを知ってて指示したんだろう>
<そうだとしても、無事を確認しないと>
<俺の担当じゃないんでね、関係ない>
<BJ06には関係あるじゃないの。もちろん、私のエノモトにも>
<死んでも平気さ。そもそも『死亡時にAIによって稼働する同一アバターの補填で解消できる』って、お前
が論文上げたんだろう? おいおい、意見がひっくり返ったじゃないか。朝食のベーコンよりカリッカリになって空を飛んでるぜ>
<焼けつかせないわよ。燃やすのは心、恋よ。恋心。BOT化したエノモトと現実のBJ02が操作するエノモ
トじゃ、もうアレよ。アレ……月とスッポンよ>
<おっと、その手の話か? 犬も食わないぜ>
<一言多いわね>
<うーん、心配だ。どうしようかね……>
<アンタねぇ……新オーナーよりBJ01を心配しなさいよ。大事なお嫁さんなんでしょ? 早くポッドごと回
収しないと。バイタルデータ途切れてるのに不安じゃないの?>
<うーん……>
<ん? 随分と煮え切らない様子だが。俺としてはさっさとアイツらを締めだしたいところだ。トラップは任せていいか? 俺が大元のイーラーイを叩いてやろう>
<ソッチはアルファルドが対処中よ?>
<知るか、俺は俺で動くぜ>
<あっそ。好きにすれば? 私はコッチのを手伝うわ。いいかしら?>
<……ん? それはBJ02のためかね?>
<もちろん。それに、私はアンタ達と違ってまっとうな人間なの>
<フム、承知した。ではベテルギウスが抜けた分のトラップの設営と起動を頼みたいのだが、いいかね?>
<手伝ってやるから、アンタも協力して>
<協力?>
<コンタクトよ。エノモトと、オーナーに内緒で直接コンタクトを取るの…アンタは賛成派だったわよね?>
<プレイヤーとの『言語交渉』かね? うん、まぁ>
<なら承諾しなさい。言語交渉は禁止ではないし、有益よ。なぜタツタは嫌がるのかしら?>
<うん、まぁ……理由はボクやオーナーの共通点を見てもらえれば分かると思うがね。しかしキミの日本語も十分自然だ。前はともかく今のキミなら、恐らく問題なさそうだがね>
<翻訳が効かないんだったわね>
<暗号化のロスタイムと時間軸の固定化によって、リアルタイムでの翻訳は不可能なのでね。不便かもしれないが、これこそ英語を母語とする人間を採用しなかった大きな理由、大いなるメリットなのだがね……イーラーイは一体何を考えているのかね?>
<白人至上主義ってやつよ。アンタには関係ないでしょうけどね>
<フム。まぁ、言語でのアプローチを手伝うのは構わないがね。それよりこの状況を打破するのが先でね>
<BJ01の回収にアンタは専念して。私はトラップで時間を稼ぐ。分担とはズレちゃったけど、アルファルド
とベテルギウスなら反乱制圧は時間の問題よ>
<おお。反乱、とはね>
<うふふ、逆ね。私たちこそ反組織的な反乱者>
<ボクらの場合、何もかもが時間稼ぎなのだがね。まぁいい。『ボクの主』と共に、BJ01を迎えに行かねばね>
<気になってたんだけど、アンタの新しい主って何者?>
<世界に一人だけの、大事な存在でね>
<へぇ。アンタ、ちょっと特殊だもんね。タツタ以外のオーナーについていくんなら気を付けた方がいいわ。逃げるなら綺麗に逃げた方が良い。BJ01が死なないように>
<そうだね、検討しておこうかね。今のところ、我々はオーナーと同じ道を行くつもりなのでね>
<じゃあ奈落まで付いてきたら?>
<オーナー……龍田のアイディアが失敗する、と?>
<逆に成功すると思ってる?>
<……>
<……私は、エノモトを上手く誘導してみせるから。アンタの時間稼ぎに付き合ってもいいけど、それじゃあ解決しないし。タツタの強引な計画にこれ以上付き合ってられない。だからイーラーイは強行突破に出てきたんでしょうに>
<ムリフェイン>
<怒ってるのよ、私>
<キミ、いつも怒ってないかね?>
返事の代わりに、けたたましい警告音が響いた。




