415 まずは逃げの一手
天井が崩落する様子を、みずきは比較的冷静に見ていられた。
ガルドとして過ごした「フロキリ監獄」での、山肌に空いた穴から落下したのがつい先日だからだろうか。
パニックになることは無かった。ただ布地一つ身に纏っていない素肌がいかに脆いか、佐野みずきの感覚が鈍かった。
ガルドより弱い身体だという感覚が弱かったため、飛んできた破片で太ももに小さな傷を負った痛みで急に自覚する。ジンジンと痛みがくる。心臓がバクバクと音を立てた。
見ると一筋、血が滲んで垂れている。
<みずき! 避難するのでね! 捕まっていたまえね!>
キャタピラがぎゅるぎゅると音を立てて急加速する。みずきはぽっかりと開いた穴の上を睨むように見た。
何かいる。
「くっ……武器は!?」
<それよりキミの身の安全を優先するのでね!!>
Aの声にあったノイズが綺麗に無くなった。恐らくハッキングを無事撃退したのだろう。敵が来る。Aのキャタピラーが機械腕とみずきを載せたまま勢いよく後退し、壁にぶつかる勢いで思い切り突っ込んでいく。
「うわっ!?」
みずきは天井より壁への激突の方が怖かった。全身に緊張が走り縮こまり、筋肉痛のような痛みで全身引きつった。
ぶつかる瞬間、目をつぶって歯を食いしばる。
「っ!……う、ん?」
思った衝撃は来なかった。
代わりにガコンとギミックが噛み合う音がし、周囲の明かりが暗くなる。つぶった目に届いていたオレンジ色の光が途絶え、空気もひんやりとして湿気のないものになった。肌寒く、鳥肌が立つ。
恐る恐る目を開けると、東京で乗った地下鉄を思わせるトンネル空間を中速で疾走していた。
「ここは……」
<まずいことになったのでね。緊急避難だ。他の担当、どうかね? 逃げられそうかね?>
他のコンタクターに通信しているらしいAへ、聞いたこともない異国の言語で返事が返っている。語調は荒々しく焦りが見えた。脳波コンの簡易デバイスで聞き耳を立てると、知らない言語だがニュアンスで感覚が伝わってくる。
<『敵襲』『避難』『敵襲』『安全の確保』『反撃』『反撃』>
「ぶっそう」
反撃しなければ、と思わずみずきも引っ張られそうな強いイメージが言葉になる前の状態で浮遊している。Aに向けられた大量のイメージを手で払いのける。
とにかく敵襲され、安全を確保するため避難し、しかし彼/彼女は反撃したがっていることが分かった。
<安全な場所は? 地図があれば寄越せ>
<ム、さてはパネルを自分で動かす気かね? キミはいいから黙って抱かれていたまえ!>
<その分の処理を反撃に使えばいい>
通信帯から乱暴な、しかし部外に向けた『殺! 殺!』というイメージが流れてくる。
<みずきはいいから! まずセーフハウスまで走るのでね! 二極はボディの格納部分を護送! 誰かカノの足に……ええい、ログアウトさせたまえ! 自力で逃げおおせれば十分なのでね!>
<A>
<ラス・アルゲティはバックアップ済みかね? よし、放置。ベテルギウスは06を護送中かね? よし、そのまま四層下までポッドごと……通信線を生かしたままで、だ。え、無理? 場所は? ああ、その階層なら……>
みずきはAのリーダーシップの高さに目を見張った。
「……コッチはまかせろ」
『敵の敵は味方』だが、この場合の敵は果たして敵なのか、まだみずきには判断がつかなかった。
だがポッドの上に落下してきた何かは、あの場に寝ていたみずきを踏み殺す勢いで落ちてきた。たまたま起きていて、たまたま隣室に出かけていたから命拾いしたのだ。踏みつぶされていたら死んでいた。
ならば、敵だ。キッと眉を吊り上げて脳波コンでAの腕と足を探る。
「いき先、あんぜん……」
探った足のつま先から、向かっている先から振動を感じる。Aの足、キャタピラーに内蔵されているセンサーが揺れを感じ取った。みずきは一気に警戒した。鳥肌が立つ。
「っ……なにかいる!」
暗く細い通路の、点々と続いている足元の蛍光灯が奥で瞬いた。人が前を通ったらしい。途切れた光の間隔で相手も走っていると分かる。
数は一人、大きな足音は無い。タイヤで自走しているのかもしれない。
自分の身体が、みずきは少々邪魔に思えた。今一番無駄で足手まといなのがみずきだ。柔らかく脆く、産毛の生えた薄い素肌の下には大量の血が流れている。
ガルドなら。きっとガルドの身体ならば、これほど慎重に考える必要はなかった。みずきは自分を恥じた。装備もない、攻撃力も防御力もない。
だが、脳と腕はある。
「くぅっ!」
みずきはやけくそ気味に、脳波コンでキャタピラーの操作を完全に奪い取った。行先は分からないが、とにかく通路を先へ進む。敵と思しき何かを轢いてでも進むと決めた。
だが、人かもしれない。そう思うだけでみずきの決心が鈍る。
人殺しは悪だ。ただ願うしかない。頼むから何か着ていて欲しい、頼むから機械仕掛けであって欲しい。だが、死にたくない。
向けられた敵意に歯向かいたい。踏み潰して殺そうとした殺意に相対したい。みずきは歯を食いしばる。
「いけ」
みずきは低い声で命じた。Aの人造腕にしがみついたまま腰を落とし、横方向に振り回す上腕へ頭をぶつけないよう引っ込めた。
近付いてくる影からガチャガチャと重たそうな音が聞こえる。FPSプレイヤーだったみずきにははっきりと、その音が戦闘用の装備品、アサルトライフルを持った兵士の足音なのだと分かった。
「いけ!」
先制を仕掛ける。キャタピラーのついた自走ボードから頭を下げたまま後ろに飛んで降り、みずきは冷たいコンクリートの地面に膝をついた。脳波コンで「走れ」と「腕を横へ振れ/速度限界値」というイメージを叩きこむ。
光並みに早い信号が油圧式の内部機構に指示命令を走らせ、目にも止まらぬ速さでAの腕をブン回した。同時にキャタピラーが加速し、軽自動車並みの速度で人らしき影に突っ込んでいく。
「ガガガ!」
正面衝突した人影が鳴き声を上げ、ロボットアームに殴られ左の壁に吹っ飛んでいった。歩いていた何かは叩きつけられた状態でなおも「ビビ、ガガッ」と電子音をあげている。みずきはすかさずAの板足に乗って太い腕の影にすっぽり身を隠し、他の敵影が無いか耳を澄ませた。
機械の駆動音も、鉄の衝突音もない。
「ふう……うわっ!?」
息をついた瞬間に突然、みずきの意思とは関係なく腕が壁へ向かって勝手に進み始め、人影にわざわざ近付いていった。
「ちょ……」
<クリア>
「A?」
<斥候のようだ。みずき、物理的にソレの受信機を破壊してくれたまえね>
「ソッチはどうだ?」
みずきはAの腕へコアラのように掴まりながら、コンクリートの壁にめり込んだ人影へ近寄った。Aのマニピュレーターは勝手にソレの胴体を武器ごと握り込んで拘束している。
<BJグループ全員、無事下層の疑似重力施設へ移動したのでね。大丈夫だ。キミ以外無事なのでね>
「ん。てき、コレ……」
受信機を探るため、脳波コンで繋がろうと電子上の信号を探す。人の形はしていない。人影かと思っていた影は、完全に機械仕掛けの鉄の箱だった。Aの手に握り潰され横側面がひしゃげている。
<敵襲、しかも個人によるもののようでね。恐らくオーナーの不在を突いて我々を……>
「こじん?」
鉄の箱を操作するのに必要な電子上の操作を、みずきは臆することなく堂々と繋がって行った。ウイルスの類いに出くわした際の対処はAが行うと確信している。忙しそうにしていた先ほどと違い、今のAには余裕が見えた。
鼻の先で濁った水のようなにおいがする。
「A」
現実のにおいではなく、繋がった鉄の箱の中から感じる「異物」のにおいだ。続いて温泉特有のにおいがし、濁りの臭さが消えていく。
<たまにはキミも掃除してみるべきだがね。そのファイルは起動しない限り問題ない、デリート。あとはそっちを迂回して機体左側のハッチロックを解除させれば、あとは指で取れるのでね>
しぶしぶ、みずきは脳波コンの簡易デバイス機器に強く繋がる。軽く薄い円形の、こめかみだけを覆うLとR分離型のデバイスだ。OSすら入っていない、フルダイブ機器に比べればおもちゃのようなデバイスだった。
操作は全て、みずき自身の手に委ねられている。機械言語に関する知識もないまま、ただ「なんとなく」で信号を送って来たみずきの脳が星のように瞬いた。
「んんん」
<個人といっても巨大な会社が付いている>
「かいしゃ?」
箱が辺の一つからバネのように留め具を弾き飛ばした。面の一つが重力に従って剥がれ落ちる。
<以前株式会社に例えたがね、正確には『複数の所有権者がそれぞれ独占して経営している複数事業の共同事業』という形を取っていてだね……>
箱の内部が露出し、爪の付いたコードの端が基盤についているのがみずきにも見えた。暗いためにどれが大事な線か分からないが、とにかくやたらめたらブツブツと取り外していく。
取り外した線がアホ毛のように飛び出したまま放置し、みずきは腕から少し離れた。先ほどから箱は沈黙してジッとしているが、念のためにひっくり返すようAの腕にイメージを送る。
手首が180度ひっくり返り、箱を天地逆さまにして床に置き直した。
「つまり?」
<今襲来中の相手は、どのグループも所有しない一個人ながら、とある事業に一人で関わる個人、という訳でね。しかし彼は全く関係のない会社のエグゼクティブマネジャーをしているのでね>
「えぐぜく、ていぶ……」
<執行役員だ。CSOのようだね>
三つ並んだアルファベットに、みずきはなんとなく「CEOみたいなものか」と納得した。別会社の社長がこちらの複数事業に関わる一人のオーナーで、なおかつみずきが居るBJグループを襲ったということらしい。
しかし訳が分からない。
「……しゃちょうが、なんで」
<同じ共同事業をしているとはいえ、彼には動機があるようだがね。『我々のオーナー』曰く、『ヤツはJ付き全てを失敗させてUSの計画を早めたいのだろう』と>
US。初めて聞くグループ名称だが、意味はすぐに分かる。子どもでも分かる二文字だ。
「アメリカ」
<The USを立ち上げようとしている……つまり、我々とは別の候補者を立てようとしているのでね。そもそも合衆国側のオーナーの意向と合理性でJとなったというのに、今更独断でUSを推そうなどと理解できないのでね。感情的で怒りっぽく、彼らの中でも浮いているらしいのでね。同情は不要>
みずきはため息をついた。
「殺されかけた。いい迷惑」
<オーナーはとても怒っているのでね>
Jの、ひいてはBJのオーナーが、ということだ。みずきは頷く。
「で、そのオーナーは?」
<カナダ>
「……ココの反げき用の武器は?」
<『地上』に迎撃用の電磁パルス発生装置と追跡ドローンが配備してあるがね、中は少々手薄でね>
「中のは?」
<労務作業用アームと移動用パネルが万単位であるがね、飛び道具や火薬使用品は皆無でね>
絶句する。
<そもそもココがバレるはずがないのだがね。何故だろう、保全の意味で上陸すら不可能に近いはずだがねぇ>
「はぁ」
<まぁ、お陰で侵入してきた機材の数が少ないようでね。対処可能かと>
<反撃武器もないのにどうやって。操作する人間を潰さないとどうにもならない。ポッドの上に降って来たアレは? 大きかった。一踏みだ!>
そしてこちらはどうだ、とみずきは両手を広げる。
「はだかだぞ!」
<着衣を手配しよう。このまま後退、下層に下がる。いいかね? みずき>
Aのアームがみずきの腰から尻にかけての辺りを抱え、足を無理やり板に載せた。仕方ないとみずきは諦め、「みんなは?」と状況を聞く。
<ログイン状態を維持しているのがBJ03、BJ04。BJ05は活動中だったがステータスに『酔い』があったため『泥酔』へ変更し、アバターボディはそのままに回線切断。現在は復旧、ログイン状態。BJ06は周囲にユーザーが一人だったため、そちらも合わせて同時に回線切断。回線復旧中、同時というのがなかなか難しいようでね。もちろんナチュラルボディは全員の安全確保、下層にて待機中でね>
「榎本は?」
<下層にて待機中でね>
「意識は」
<ない。元々はオフラインでの完全睡眠……君と同じ状況だったのでね>
「寝てる?」
<辛うじて。二極曰く、いつ目覚めてもおかしくないようでね>
だから早く下層に下がろうとAはみずきを急かす。
<下層の疑似重力操作用フロアなのだがね、狭くてね。従来のものより簡易的なベッドに寝かせているのでね……五つ、並べている>
「いつつ、並んで……」
<キミが居ないこと、BJ02が気付く前に出来ることは二つあるのでね。一つは四肢拘束からの視界の遮断、つまり目隠し。もう一つは、早急にキミのベッドを運んで『六人並んでいた』ことにする。どっちがいいかね?>
「とりあえず、めかくしで」
みずきは取り急ぎ、腕で隠せる胸元と下半身部分だけサッと腕で隠した。




