414 飛ばせ
「……ぶじでよかった」
<そのようだね>
みずきはほっと胸をなでおろす。床にくりぬかれた窪みに榎本が横たわっているが、怪我もなく飢餓もない様子にとにかく安心した。エナメル質の白い床にオレンジの光が当たり、榎本の肌色の良し悪しはよく分からない。
<……こうして外から見ると……棺桶、みたいだ>
かけられていたカプセル型のカバーを上半身部分だけずらして露出しているのも、眠ったように目を閉じているのも、棺桶に眠る親族を見た日を思い出してしまう。シルエットが似ていない分動揺は少なかったが、みずきは榎本の息を確かめようと近寄った。
「……えのもと」
すう、すうと寝息が聞こえる。ヒゲはアゴの部分だけに整えられ、首から下は裸だが胸元以下はカバーで見えない。こめかみから外されたらしい、業務用脳波観測用のような見慣れないジェル付きパッドが無造作にポッド内に置かれているが、それ以外はシンプルだ。恐らくみずき同様腰の後ろにチューブが繋がっているはずだ。
「いきてる」
<もちろんだとも。二極にとっての『榎本』は、ボクにとってのキミと同じ意味を持つのでね>
「おなじ……たいせつ、なのか」
<大切な、大事な、重要な……替えの効かない唯一の存在なのでね>
Aは存在という言葉を使っている。ぼんやりとしたニュアンスだ。それが「パーツ的存在」なのか、「心や気持ちとして大切な存在」なのか、みずきは予測できなかった。どうせパーツ扱いだという諦めもありつつ、Aが見せる優しさに似た挙動不審さに期待を持ち始めてもいる。
そもそも転ばないようにする方法ならいくらでもある。みずきの希望を無視してアームで固定すればいい。だがAは妥協した。安全性よりみずきの心を優先した。
「えのもとも、『にきょく』が守ってる……」
<二極は純然たる人間であり、キミより感情で動く動物じみた性格をしているのでね。計算した理由を付けた打算としての理由もあるが、恐らく無償の愛も存在するのでね>
「あ、あい?」
耳にするとこそばゆい単語にみずきはぎょっとした。榎本が二極に愛される可能性など考えもしていなかったのだ。Aとは全く違う考えの持ち主だと、みずきはやっと実感した。
<宗教としてもそうだが、二極は思考の根底に『迷える子羊』や『奉仕』の概念があるようでね。とても大事にされているようでね>
「……ふぅん」
整えられたヒゲを見れば、榎本が二極に手入れされている様子が見て取れた。
マンションで一時期同じ部屋に暮らしたみずきは、榎本の朝の様子を知っている。伸びるのだ。起きた時点で既に茂るヒゲを、毎日毎日細かく削って整えることでやっとアゴだけのアゴヒゲになる。
二極は上手に剃っていた。
「ん」
力の入らない膝と手を床に付け、自分より低い窪みに横たわる榎本の顔を覗き込む。みずきは不満と不安のまま、静かに榎本の鼻を摘まんだ。
<……みずき?>
「すう、ふす……すう、すぅ……」
「ふふ」
無意識に眉を寄せて苦しんだ後、ごく自然に口呼吸になった榎本を笑う。指を放してやると榎本はまた鼻呼吸に戻った。アバターとは違う肌質、省略されないシワやホクロ、白髪が混ざる日本人らしい直毛をまじまじと見つめてから、満足気にみずきは立ち上がった。身体の感覚はかなり戻ってきている。
<そろそろ戻るかね?>
「ん」
頷きながら、榎本の部屋のドアをちらりと見た。全く同じオレンジ色の光に照らされ、同じ間取りの白い壁が窓から見える。向こうはBJ03の管理ルームだ。
必ずみんなを全員連れて、向こうまで行く。ドアの向こう、四部屋を抜けた向こうへ。
「もどろう。見つかるとコトだ」
<それがいいがね。少しでも睡眠をとった方が良いのでね、良質な……薬を使わない、『眠いが故に眠る人らしい眠り』をすべきでね>
「ん」
腕だけのAの先端にあるロボットハンドを手に取ることなく、みずきは一歩ずつしっかりとした足取りで歩いた。少し濡れている足裏がひたひたと足音を立てる。
静かな牢獄への帰路を、道すがらみずきは細やかに観察した。床の材質、間取り、方角と位置、榎本のポッドを操作するロック部分。眠る榎本の枕元に置かれている、こめかみに貼られていただろう脳波コン特有のジェル付きヘッドパッド、ドアまでの距離、ドアの鍵の解除方法、Aの足代わりになっているキャタピラーボードが出てきた壁の、どこが凹んで開きそうなのか。
今でこそ脱出は不可能だ。
助けを呼びに行く案も現実的ではない。だがみずきは、いつかそのチャンスがやってくると確信していた。
誓い合いの二極と呼ばれる人間のコンタクターと、すぐ後ろでウロチョロとしている遠隔操作の身体を持つAだけが、みずき達被害者側の「すぐ動く味方」だ。彼らの協力がなければまず避難は出来ない。そして六人を庇って逃げ出すには、少々人数が心もとない。
コンタクターはあと四人いる。榎本の管理ルームを出る瞬間、みずきは背後を一瞬振り返った。反対側のドアにいるであろう、人間かAIかも分からない謎の存在を一人ずつ味方につける必要がある。でなければ、四つ向こうの出口に安全無事にはたどり着けない。
全員を味方につけ、上位オーナーを打倒し、どこにあるか分からない連絡手段を見つけ、信頼できる救援を呼ぶ。
みずきの頭に広がる案は、年齢相応の楽観視と詰めの甘さがあるものの、以前に比べればずっと具体的だ。順番的には、次はBJ03のコンタクターを味方に引き込めばいい。
「……A」
<ん?>
「びーじぇ……」
まだアルファベットを話そうとすると舌がこんがらがる。脳波コンに切り替えて後ろをウロチョロするAの腕に聞いた。
<BJ03は誰だ?>
<名前は梅森といったはずだがね>
<うめもり……うめもり?>
みずきは咄嗟に、空港や秋葉原で見かけた仲間のリアルの顔を思い浮かべる。横一列に並べ、榎本を除外し、残りのマグナ・メロ・夜叉彦・ジャスティンに梅森という苗字を当てはめた。
しかしヒットしない。
「だれ……」
<髪が長い>
四人いる。マグナはプラチナブロンドのロングヘア。メロは日によって髪をよく変えるが、最近は白とライトブルーのハーフアップ・ミディアムだ。夜叉彦は黒くごんぶとな日本人らしい直毛をポニーテールにして疑似髷にしている。ジャスティンに至っては腰より長いもっさもさの赤褐色ドワーフロングで、ヒゲも同じ長さをしている。
困惑したままのみずきに、Aが疑問を投げた。
<一人だと思うのだがね? 成人男性で長髪は少数派なのでね>
リアルでの容姿で長髪と言えば、ロンド・ベルベットには一人しかいない。
<メロか>
BJ03はメロだ。リアルのメロはウェーブパーマの掛かった明るい髪を肩まで伸ばしていた。BJの次に来る数字は「(実験での)有用性順」だと聞いているが、ジャスティンに次いで年齢の高いメロが若い夜叉彦より早い順番に選ばれていることに、みずきは若干の違和感を感じた。
<コンタクターはまだ機能に不備があってね、開発元から届いていないのでね>
つまり動物型アバターも持っていないということだ。メロのペットはラスアルと名付けられたインコで、オウム返しに会話をするロジックが組まれていた。知能は高くなさそうだったが、その理屈が「担当者不在」だと、みずきは今になって分かった。
「そうか」
<そのうち実装予定だがね>
Aが「実装」という単語を使った。選び方から、どうやら人間ではなさそうだ。AIだろうとみずきは渋い顔をする。榎本の「二極」はすんなりと榎本を信用したが、メロのコンタクターは不備や未実装といったマイナスな言葉がぼろぼろ出ていた。
<BJ04は?>
<フム……秋本だね。特徴らしき特徴が無いが、強いて言えば視力に問題がある。視野用補助デバイスをフルダイブジャックコネクターの外部装置として埋め込んでいるのでね、対応するOSバージョンアップをするのに本人の許諾が……>
目が悪いのはマグナだけだ。脳波コンに眼鏡のような機能を持たせようとしているらしいが、技術的に詳しい話をスルーする。
「はぁ……は、う……」
もう少しで自分のポッドだが、息が上がって来た。座り込んで休みたい。一旦立ち止まって息を整えると、案の定Aの腕が背中を支えた。
<みずき>
「あるきたい。ちょ……きゅうけい……」
体が重くぐったりとしてきたみずきを、Aのロボットアームが柔らかく支えた。機械仕掛けの手をめいっぱい広げて背中を支える。
<このまま抱えたいのだがね、構造上厳しいようだがね>
ボード上に親指が左側についている腕を一本だけ装備しているAには、みずきを支えたまま抱きかかえることはできない。もう一本か二本は必要だ。支えたまま半分押すようにして移動し始めたAに、みずきは平手でペチンと叩いて制止を掛けた。
「ん!」
<だめかね?>
「……みず」
<戻ったら100ccだけ許可できるがね、今は手持ちがないのでね>
仕方がないと、みずきは諦めた。足代わりのキャタピラー付き自走ボードとロボットアームの合間に右足を引っかけ、木の幹のように太いアームの上腕二頭筋に太ももを預ける。
みずきの意思を汲み取ったAが角度を調整し、アームを細い椅子のような形に固定した。背もたれ代わりの前腕部分は細い。不安定だ。
<ボクが前から支えてもいいかね?>
みずきが無言のまま頷いて許可を出すと、Aは手首をねじり、みずきの胸をマニピュレータで掴むようにして支えた。人間だったら骨折するほど曲げられた手首を無感情に見つめながら、みずきは自分からもAの手を腕で抱き寄せる。
<痛くはないかね?>
「へいき」
そのまま徒歩のスピードで自走し始めたAに、みずきは続けて質問をした。
「びーじえ、05は?」
<尾関だね。特徴は頭頂部。オートメーションで剃髪するのに最適な頭頂部なのでね>
「それはつまりハゲ……ジャスだ」
ジャスティンのリアルでの姿は、大柄でガタイの良いスキンヘッドのクマヒゲオヤジだ。剃髪はさぞかし楽なことだろう。
<担当についてはノーコメントでいいかね?>
「よくない」
<フム、説明すると長くなるのだがね>
「しろ」
半ば命令口調でみずきが言うと、Aはこれといった不満の色もないまま<了解した>と続けた。
<カノ、という>
「……カノウ? ジャスがつけたなまえだ」
名前を自由に付けられる支援ペットに、ジャスティンは「カノウ」と名付けたはずだ。ハリネズミの、鳴き声一つ上げない無口で小さなペットだった。
<カノープスという名前も与えられているがね、元々BJ05向けに実装予定だったコンタクターの名前でね。彼本人はカノという個体名を持っているのでね。正式に紹介するのであれば、彼はカノ。カノウことカノープスは廃棄処分となったのでね>
「はいき?」
<それについてはキミに報告すべきか悩ましいのだが……キミにとっては船の外、我々の諍い事でね。廃棄処分も我々と上位オーナーで決めたことであって、外部には入れ替わり自体極秘に……>
突然Aがピタリと動きを止めた。続いてエラーとおぼしき異音。
<ザ/ザザ/……>
「A!?」
何かマズいことを聞いてしまったのだろうか。みずきが慌ててAの腕に問いかけるが、さらに別の場所からエラー音より心臓に悪い音が聞こえた。
「銃、声?」
パパパパ、と空気を割く衝撃音が続いている。
<みずき、早く/ザザ/ザ/ポッ/ザザッ/ドに>
「わっ」
足元のキャタピラが勢いよく回り出した。後ろにつんのめるのを、Aの腕が堪えてバランスを保つ。
<何があった、今の音はどこから……A?>
銃声とは別に、天井の上から小さな爆発音がした。遠い。だがひっきりなしだ。爆発音は徐々に近づいている。
「Aっ!!」
ポッドの真上からホコリと小さな石が落ちてきたのを見つけ、みずきは叫んだ。だがAの動きには変わりがない。剛速球のようにポッドへ突っ込んでいく。
「このっ」
こめかみに貼られた薄っぺらの簡易デバイスから、Aの腕へ強引に注射針を打ち込むようなイメージでSTOPという文字を叩きつける。そのまま、辛うじて見えたAの疑似腕操作権をもぎ取った。言語は読めないか繋がりは見えた。紐づけの紐を一旦断ち切り、自分のこめかみにくくって固く結び直した。
ボタンもカーソルもないが、みずきのイメージ通りに腕が操作できる。
「ふんっ!」
同じ仕草になった。Uターンを掛ける瞬間、綱を引くようにAの腕を右横へぶん回す。Aのキャタピラがキュルキュルと甲高い音を立ててターンした。そのまま加速し元来たドア側へ最大速で走り出す。
天井の爆発音がつんざくほどの大音量になり、砕けた天井が降ってくる。
<ザ/ザザ……み、みずきっ!>
Aの声が聞こえない程の騒音でぶ厚い天井が四又に割れて崩落し、白いエナメルの床がひび割れていく。背後にあったはずのポッドをぺちゃんこに潰した天井のコンクリート片が、離れたみずきたちまで勢いよく飛んできた。
おぼつかない身体より早く動かせるAの腕を操る。みずきは背中を向けてロボットアームを盾にし、一糸まとわぬ素肌と頭を庇った。




