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413 みずきの足取りは重い

 Aの指は冷たかった。だが無機質にしては少し暖かい。動き回ると熱を持つのは、ミトコンドリアも金属も同じだ。

 冷たすぎた氷を口の中から取ってもらい、潤った口内をもごもごと動かし舌に湿度を持たせる。

<みずき……>

「ん……んぐんぐ……んっ、おもい、ついた」

 舌が少し柔らかくなってきた。動かすとどんどん感が取り戻せる気がし、みずきはワザと声を出して筋肉を使うことにした。舌足らずな日本語が佐野みずきの声で出てくる。

「いしゃが来るようじを、つくる」

<用事? それはつまり、医者が集まる理由をこちらが操作して作る、ということかね?>

「ん。いしゃのがっかい、とか」

 安直だっただろうか。技術的にもみずきに出来ることは無い。Aの万能さに甘える形で、Aが可能な範囲のことでなければならない。まだ口元から離れていないアームに口を寄せて、氷から溶けだした水滴を舐めてから続ける。

「れんらくして、よぶとか」

<うーん>

「すこしリークする、とか」

<それなら出来そうだがね>

「りす、く、は? デメリット、があれば……こほっ……やめたほうが、いい」

<デメリットなど。情報漏洩の原因などいくらでも操作できるのでね、安心したまえね>

「ん」

<しかし、キミはそれで了承しているのかね? 彼らが外に出る算段だとしても、キミは……>

 危ない綱渡りだが、ソロの仲間たちを安全無事に現実世界へ戻せるなら努力すべきだと思っている。今ログアウトしているみずきも、またログインさせられることを察していた。

「みんなをおいて、逃げる、気は、ない」

<そうか。いや、それでこそ『船長』だ。こちらは任せたまえ、全て上手くいくとも。オーナーには内緒だがね>

<さて、ボクからも朗報があるのだが。聞くかね?>

 Aの声はスピーカーから聞こえる。ポッドの中からのものとは別に、部屋のどこからか分からなかったが大きな声が鳴っているらしい。みずきは首を回して発生源がいくつもあることに気付いた。

 天井の高い部屋だとは思っていたが、スピーカーはその天井の四隅につけられている。淡いオレンジのライトで分かりにくかった。そろそろこの狭い箱のような場所から出たいと思いつつ、上を見上げてAの話を聞く。

「ろうほう?」

<二極は正式に我々と同じ意図を得たのでね>

 言っていることがいまいちわからず、みずきはインフェルノの活躍を思い返した。眠りから目覚めたソロのプレイヤーたちを、地下から地上へとピストン輸送していたはずだ。

「ソロメンバーを、上に……そうか」

<そう、それは榎本の希望に過ぎない。担当のBJ02・榎本の意思を汲んで『オーナーの指示以上の逸脱行為』を行ない始めたのでね。流石にボクとキミの間柄のことを伝えるわけにはいかないがね、うまく誘導すれば二極も立派な味方になるはずでね>

 身体を起こし、ポッドの縁に手を掛ける。てっきり湯船のように地面から高いところに箱のような形で置かれていると思っていたみずきは、縁の向こうに地面があることに驚いた。

 みずきの身体は地面をくりぬいた穴のようなポッド空間に収められている。腕に力を入れて地面に腰掛けようとするが、軽いはずの身体すら持ちあがらない程みずきは弱っていた。

「ん、んんん……」

 踏ん張ってやっと少し上がってくる。

<みずき、一人で歩けるようになるまでは少々時間がかかるはずだがね>

<一年も寝てたわけじゃない。歩けなくても這うぐらいできる>

 思わず脳波コンで早口にまくしたて、もう一度力を入れる。自分の裸の腹を見て羞恥心が沸くが、Aにいまさら着るものを頼んだところで「どうせすぐ脱がされると思うがね~」などと言われるのが目に見えていた。諦め、膝を立てて縁の上に這い上がる。

「ぐ、ううう、ぬ」

 生まれたての小鹿よりぷるぷるしながら、なんとか上に上がった。どっと疲れ、喉が渇く。

「はあっ、は……こおり」

 呼べばAはすぐ腕を動かし、氷をみずきの口元に当てた。吸うようにして喉を潤すが、もっとごくごくと飲みたい気分だ。

<がぶ飲みしたい。ペットボトル一本くらい>

<胃がビックリするのでね、許可できないのだがね>

<むう>

 ふてくされながら氷を口でねぶり、小さくなった氷を歯で掴んで、Aが操作するマニピュレーターの先から奪い取る。奥歯で砕いてやっと落ち着いてきた。そのままみずきは、ドアの窓の向こうを見た。

 向こう側の部屋には、みずきのいる部屋と同じ色をした壁が続いている。

「……おなじか」

<窓を見ているのかね? うん、隣はBJ02、その隣はBJ03と続いているのでね>

「みんなが……そうか。でぐちは?」

<BJ06のドアの先にある>

「インフェルノ……にきょく、は? となりのへやに?」

<いいや、今はbot操作に切り替えて睡眠休憩中でね。四時間だけだがね、人間にはどうしても必要でね>

 二極がブラジル人だと聞いたときは驚いたが、労働条件は厳しいようだ。同情の視線をドアに向ける。

<みずき、このまま部屋を出たいと言うなら止めはしないのだがね>

「はだ……<裸のまま一人で出て行っても逃げるのには限界がある。それに、助けが来るとは限らない。人の居ないような場所だったら最悪死ぬ>」

 声に出すと恥ずかしい単語を口走りそうになり、みずきは脳波コンでの音声データ出力に切り替えた。

<もしそうなったときは、少なくともボクの手でキミだけは助けようかね。それに、この場所の現在地が分かれば救助を呼ぶことも出来る。おかしい立案ではないと思うのだがね>

<いいや、A。それはない。自分だけ逃げて榎本たちが無事で済む訳がない。それだけでも条件最悪>

<フム。そういや映画で見たんだがね?>

 突然Aが雑談のような話を始めた。みずきはぐったりとした疲労感を持つ身体のまま、素足で立ち上がろうとする。

<ゾンビが襲ってくるショッピングモールで、他に先んじて一人で逃げようとして襲われる人間は『自分だけでも助かろうと思ったのが悪だった』と言いながら死ぬだろう? そういうセオリーなのだとか。あれが怖いのかね?>

<……そういう危険もあるが、自分は違う。そのゾンビ映画は保身のために仲間をオトリにして逃げるケースだ>

<ふむ>

<自分はただ、自分より榎本たちが助かる方法を探したいだけだ。そのために今自分が助けを呼びに行ったところで、オーナーの息のかかった奴が『後処理』するだろう? A>

 一番最初にAと出会った時の脅し文句を、みずきはしっかり覚えていた。あの頃は理屈が分からず恐怖だったが、今なら分かる。

 榎本を担当する「二極」と呼ばれる人物の心境が変化して味方が増えたように、一人一人、一体一体持っているポリシーが違うのだ。そしてオーナーは首謀者であり複数人いて、これもまたポリシーに違いがある。

 Aが「上位オーナー」と呼ぶ人物は比較的話が分かるらしいが、問題はそれ以外のオーナー、つまり佐野みずきの敵、犯人たちのことだ。

<後処理は、どういう基準で行われるんだ?>

<……計画失敗時の処理は、複数いるオーナーらの多数決で決まるのだがね>

 みずきは緊張しながら生身の目で周囲を観察する。何か、Aの口だけでなく物的なヒントが欲しい。オーナーたちとは何者で、どんな意図があり、そしてここがどこなのか。一瞬でも出会えた阿国や声がダイレクトに伝わる田岡に頼めば、Aの言う通り助けを呼べる。

「しっぱいした時のまにゅある、ないのか?」

<基本は『継続』でね。そのため、十年計画での関係者全員の雲隠れが推奨されているがね。そのためには証拠を残さないよう消してしまうべきで、そうなるとキミのような日本人が目標であることも秘匿の対象になるのでね。ま、処分が妥当だろうがね>

 処分の方針は最初に聞いた通りだ。深呼吸してカッとならないよう気持ちを落ち着ける。歩き回りたい気分だが、垂直に立ち上がるだけで精いっぱいだった。膝ががくがくする。先ほどより呂律の回る口で聞き直す。

「この建物、は? しょぶん……つまり、こわすのか」

<もちろん>

 潔い返事に思わず微笑む。その場合Aはどうなるのだろうか。聞いても悲しい答えが返ってくる気がし、みずきは口をつぐんだ。そのまま震える足で、ドアに向かって一歩近づく。

「ん?」

 ビンっ、と背中を何かが引いた。

<みずき、あまり歩くと危ないのでね。管が抜けてしまうのでね>

「は?」

<モニターしている生体データも水分も栄養も全てその……>

 ぎこちなく振り返る。凝り固まった首が痛いが、腰の辺りに感じる突っ張った感覚の方が怖かった。

 Aは管と言った。以前仲間内で交わした冗談を思い出す。スパゲティシンドローム。管だらけになる患者の姿が目分たち当てはまるだろうと、当時は無理やりにでも笑ったものだ。しかし今の自分は想像よりスッキリとした裸一貫で、今までどう扱われていたのかなどすっかり忘れていた。

<チューブを抜いたら流石に血が出るのでね>

「逃がす気、ないだろ……」

 振り返ると一本の線が見えた。想像より極太のチューブが腰から生えている。みずきは震えながら一歩、穴のように落ちくぼんだポットエリアに戻ってしゃがみ込んだ。

<……ハァ。歩き回りたい。何とかしろ>

<可否はともかくとして、その理由を聞いてもいいかね?>

<……見て回りたい>

<では却下なのでね。隣は『誓い合う二極』のエリアで、確かにオーナーにすぐ情報が流れることはないのだがね。その隣は可能性が残っているのでね>

<隣に行くだけだ>

<BJ02かね?>

 榎本のことかと聞かれている。ガルドはこくりと頷いた。榎本の顔だけでも見てから戻りたい。無事を確認したい、が正しい。自分は確かに無事だが、腰の管を思えば半分無事じゃなかった。

 腰には怖くて直接触れないが、少し引いただけではびくともしない様子から見ても、どうやら腰の皮膚に固定されているらしい。加えてもう一点突っ張る感覚があった。

 太ももから下腹部の裏に手を這わせて、秘部の異物を探る。

<彼の顔を見るくらいなら問題ないかもしれないがね……あ、カテーテルはそのままで構わないのでね。排泄感覚のためにストッパーが付いていてね? これさえ止めておけば、勝手に尿は出ないのでね>

「うわぁ」

 思わず声が出る。

<肛門は弛緩しなければ機能するのだが、尿道カテーテルは操作しなければ勝手に排泄してしまうのでね。トイレの感覚再現にはそれなりの費用と労力を割いたのでね。素晴らしい出来だと思わないかね?>

 後ろの穴に手を伸ばせば、Aは<肛門はきちんと自分で我慢したまえ。筋肉への信号をわざと中継せずダイレクトに流しているのでね、脳波コン関係なく締められる数少ない部位で……>などと話し始めた。

「うわぁ……」

<移動するなら切ってしまおう。バイタルデータが途切れるのはよくあることなのでね。メンテナンスでしょっちゅうわざと切っている。ちょっと待ちたまえね>

 Aが操るロボットアームがポッドの中へ、二の腕の付け根まで突っ込んで動いている。そのたびにみずきの腰に繋がるチューブが揺れ、思わず付け根をぎゅっと握りしめて動きを封じた。

 ゲル状の液体の感触がする。

「ひっ」

<よし、これで……どうかね?>

「っ」

 揚力の切れた感触に、みずきは勢いよく立ち上がって全速力で歩いた。先ほど突っ張って進めなかった場所より一歩踏み出し、やっと安堵して立ち止まり後ろへ振り返る。

 穴のように地面から下へくぼんでいるポッドの縁から、途切れたチューブが途中までみずきの後に続いている。途切れた口の部分から謎の液体が漏れ出し水たまりになっている。

<あー、あとでボクが拭いておくのでね……うん>

「……ん」

 恥ずかしい。Aの歯切れの悪さに察する。恥ずかしい液体に違いない。

<さて、EMSで動かしていたとはいえ、固くなっているのではないかね? 車いすを用意し……>

「いらない」

<そうかね? ではボクが直接……>

 部屋のつるんとした白い壁に突然影が浮かんだ。よく見て見ると壁の一部が扉のように開き、オレンジの明かりに照らされて強い影を作っていた。開いた内側は同じオレンジ色のナトリウムランプに照らされていて同化している。

 中から出てきたのは、這うように自走する極厚の板だった。

「な……」

 唖然とするみずきを尻目にスゥーッとポッドの場所まで走っていく。間に垂れた液体を避け、床から生える形のロボットアームのすぐ脇で止まった。

 そしてロボットアーム自体が自身を腕立て伏せの要領で持ち上げ、あっけなく外れた腕の付け根の切り口を板の上に乗せた。

<準備完了。まずは行先を視認できるところまで進もうかね、みずき>

「足か」

<これかね? うん>

 重そうなアームを乗せてもびくともしない。頑丈なぶ厚さもさることながら、よくその速度で振り落とされないなと驚くほど、とてもスムーズに走っている。

<どういう仕組みなんだ>

<ん? 普通に蛇腹式なのでね>

 言っていることがよく分からない。首をかしげていると、素早く腕が近付いてきてみずきの背中を支えた。

<乗るかね? 徒歩より早く行けるのでね>

「いい」

 この細い足で歩きたい。みずきはゆっくりと一歩踏み出す。

 板に乗った機械腕は、支えるようにして背中をうろちょろとついてきた。アームの先がつんとみずきの肌に触れる。

「冷たい、じゃま」

<キミが倒れた時素早く対応できるよう、万全の位置取りをしているのでね>

「しんぱいしすぎ」

<自分の身体の具合を忘れかけているキミのことだ、ちょっとした段差でも足を上げきれず踏み外すかもしれない。最悪頭を打って具合を悪くしてしまったら、実験中止になるのでね>

「過保護」

<ム……それはBJ02を評価した言葉ではないのかね? ボクは必要な行動を必要な時に行うのでね、保護行為が過多だとは思っていないのだがね>

「必要ない」

<恥ずかしがらずに頼って欲しいのだがね>

 そう言われ、みずきはちらりと自分の姿を見た。裸のままでこんな広い空間を歩き回るなど、公衆浴場以外に経験が無い。それも佐野みずきの人生で一度だけ、マグナの恋人であるパジャマ子を待つ時間つぶしで入った、みなとみらいの温浴施設での経験しかなかった。

 人前で裸でいる状況そのものが恥ずかしい。その上、自分以外の動くものに身体を触れられるのはもっと恥ずかしい。

「くっ」

 本当はすたすた歩きたいのだ。ガルドのように屈強な足取りで、雪など蹴飛ばす勢いで。

 思い通りに動かない細足に、みずきは少しイライラした。

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