41 これが騒動の始まり
「みずきさん。あなた、今週末の予定は?」
「部屋にいる」
「そう。予定がないなら少し出かけましょうか」
「え?」
母からの思わぬ誘いに、みずきは出鼻を挫かれた。まさか、と母の顔を覗く。いつもと変わらない様子に、感づかれた訳ではないと冷静さを取り繕った。
「……いいけど」
「そう。どこに行きたい? あなたに合わせます」
「特には」
本心から希望は何もなかった。記憶を辿ってみても、みずきは母親と二人でどこかへ出かけた場所が思い出せない。
「そう。じゃあ、みなとみらいとかでいいかしら」
馬車道に職場がある母親の、勝手知ったる庭のようなものだろう。みずきはたまにしか行かない上に、友達に連れられてであって、自分好みの店に出向くことはない。ふわりと期待が湧き上がる。
「うん」
「決まりね……もう一つ聞きたいのだけど」
「何?」
「職場で話題になったのだけど、あなた、部屋で何してるの?」
また斜め上の話題にみずきは混乱する。話題になったという導入を聞き、先日の綺麗な歯並びを思い出した。職場で話を回しておいてくれているはずの、後輩の兄経由だろうか。みずきは怪訝な表情を崩さずに対峙する。
「何って、ネットとか」
「あなたの部屋、掃除も管理もあなたに任せて入ったことがないのだけど」
顔が引きつる。
「パソコン、が、あるくらい。服と机、あと……ゲーム、とか」
「ゲーム?」
ゲーム、という単語は苦し紛れにみずきの口からこぼれ落ちた。言いたくないが、つい出てきてしまった。嘘は下手だ。これからどうやり過ごすかも思い浮かばない。
母親の眉間に、突然ギュッとしわが寄る。
「買ったの」
「ただのゲームだけど」
「……あなたには、小学生の頃からお小遣いをあげていたわね。通帳も作って、自己管理するよう教えました」
「それが?」
「何を買おうと、使おうと使わまいと、あなたの自由です。聞かないで放置していた私も悪いのだけど」
「だから、何?」
「小学生の頃はひと月二万、中学で三万、高校で五万。そこに義父様たちのお年玉。昔、私がお母様から頂いていた金額をそっくりそのまま渡していたのだけど。ちょっと多かったかもしれないわね——平均っていくらくらいなのかしら?」
嫌な予感がした。部屋での行動、部屋にあるもののこと、そしてゲームの話から突然湧いて出たお小遣いのこと。母親の顔は険しい。
第一、金額が膨大だと父が注意していたではないか、それを聞かなかったのは母ではないか。みずきは苛立ちが腹の下から這い出てくるのが分かり、思わずこめかみを弄る。
それに目ざとく母は気付いた。
目線が指先を追うのを感じ、みずきはバッと腕を下ろす。
「貯金してる」
「そうでしょうね。私は洋服も自分で買いに行っていたけれど、あなたはそういうことに無頓着だから。あの人と一緒に買いに行って、買ってもらっているのでしょう?」
「なに」
「そうしたら預金残高、膨れ上がるわよね。使わないのですから。ざっと……四百くらいかしら。多少減ったとしても、三百を下回ることはないでしょう。大学に進学しても、アルバイトなどしなくて済む程度にはあげていたつもりです」
みずきが生まれた時に作った通帳には、もう二百万円ほどしか残っていない。背筋がひやりとする。
「減っているのね?」
口をつぐむ。弁明の台詞が、みずきにはもう何も思い浮かばない。
「ゲームをしていて、お金がある程度自分の手元にあり、部屋に何があるのか把握されてない。疑いたくはないけど、状況証拠が揃っているのよ」
まるで刑事のようなその物言いに、母親ながらみずきはぞっとした。職業柄、そうした犯罪などに関わる経験があるのかもしれない。だが、実の娘への物言いとしてどうだろうか。疑問と不信感が心を占めてゆく。
「そんなの、別に普通」
「じゃあ聞くけど」
母親がこちらに一歩寄ってくる。みずきは一歩下がった。
「あなた、手術してるんじゃないの?……そこに」
人差し指でこめかみに触れようとする。まるで間合いに敵プレイヤーが迫ったかのような、キルされる際の緊張感と焦り。
息を飲みながら、右手で思い切り母の手を払いのけた。
乾いた音と行動が、雄弁に詰問を肯定してしまう。
全く予期していなかった。気付かれた。みずきの顔は蒼白になった。
補足として。
主人公の祖父母は以前近所のマンションに住んでおり、祖父が早くに亡くなってからは祖母と同居をしていた三世帯の一家でした。




