405 一癖も二癖もあるがその癖仲間ではない
「あまりワタクシのような目立つ人間と接してますと、そのうち手錠掛けられますのよ?」
「そんなヘマしないわよ。それより私怨が怖いわぁ。真っ先に殴られるの覚悟してたんですけどぉ。阿国ちゃん優しいのね」
「ワタクシ、確かに犯人はぶち殺したいですの。でも貴女は事情がおありだと聞いてますの」
「聞いた? え、誰から?」
<ワシだ>
<わお! ヤダ、久しぶりじゃない教授~! 元気してたぁ?>
<……相変わらずだな>
久仁子は教授と全く同じことを思った。
強引に久仁子のキャタピラ式一人用ビークルへ乗り込んできた大柄のトランスジェンダー日本人は、かつて「死ねばいいのに」とすら思うほど憎らしかった相手だ。だが現状、事情を知ったためそこまで強烈な怒りは沸いてこない。無言のままベルベットのネイルを見る。ベルベットの分厚い手のひらと太い指の先に添えられたネイルは、人の顔に傷をつけられそうな鋭さに磨かれた錦鯉柄だった。
<喋っちゃったのぉ? もうっ、お互い秘密主義なの分かってるでしょう~?>
<秘密とは今更だな。事件に関わる以上、お前の影が至る所に見え隠れしているのは誰もが知っていることだ。ワシはただ、お前が交わした文書をご令嬢に見せたに過ぎん>
「あらやだ」
ぱっと口元に手を当てオーバーに驚いている。一つ一つがわざとらしい。
「……その『演技』、抜けないんですのね」
「うんそうなのよ~。てか話変わりすぎよ、阿国ちゃん。そのマイペースな感じ、貴女は逆に『こっちが阿国に染まってきた』感あるわネ! 向こうでの阿国ちゃんてば誰の言うことも斜め上だったじゃない?」
「え、ええまぁ……最近は向こうでのムーブが出てきちゃいますの。もちろん自覚はありますの。ワタクシの日常は阿国の非日常でも、阿国の日常は理想の日常ですの」
「良い事よぉ! ガルドちゃんに一歩近づいたじゃないの!」
「えっ!? あ、ええ、そうですの! おほほ!」
「うふふ! 応援してるわよぉ~」
「ひゃわ!」
幅の広い肩をドンとぶつけられ、細身でヒールの久仁子はぐらりと再びよろめく。横を並走する姿やが「まっ!」と声を上げるが、久仁子はビークルのハンドルを握って耐えた。
隣で嬉しそうに笑う彼女が悪気の無い悪だと、久仁子は何年も前からフロキリで思い知らされてきた。いちいち怒っていてはキリがない。
<文書によれば、貴様は日本国が追うべき債務の一部を肩代わりしたのだな? 龍田>
白亜教授は単刀直入に、久仁子が「ベルベットへの恨みを帳消しにするほど大きな借り」の詳細を口にした。
<……全部金のためよ>
聞きなれた低い声でベルベットがこぼす。オンラインで使っている声色だ。男にしては高く、女にしては低く、だがアバターの容姿とセットにして聞くとどちらにも振れることのできる真ん中の声色だ。リアルで作っているドラァグクイーン風の声とは大違いで、久仁子はやっと彼女がベルベットだと確信を得た。
「そっちの方がいいですの」
「あらっ、阿国ちゃんに褒められた! アリガトッ!」
「それはムカ……嫌いですの」
「奇遇ね。アタシもこの喋り方は嫌いよォ」
自分の話し口調だろうに、と久仁子は首をかしげる。理屈は出会った当初から今まで全く理解できない。だが久仁子は、支離滅裂だがコミカルな物言いをするベルベットの思考を嫌いにはなりきれなかった。
以前の嫌いは「ガルド様の愛を向けられる相手全部嫌い」の嫌いだったが、その垣根が拉致による別離と請われた助けで緩和された今、久仁子の中のピラミッドでベルベットは比較的好ましい方の層に移動している。むしろガルドの敵にはならないと確信がある以上、異様な安心感すらあった。
<その多額の報酬金、一体どこに使うつもりだ。まだ持っているのか?>
<さぁ? 知らなぁい>
<債務の詳細は黒塗りでな、調べたがトップシークレットでよく分からなかった。教えろ>
<んもう、強引ね>
リアル側なら語尾がくねりと曲がるだろうが、脳波コンでのみ聞こえてくる声色はさらりとした知的な女性に聞こえる。
<味方は要らんのか>
<味方でも敵でもないでしょ? 白亜教授は>
久仁子は「ワタクシは?」とわざと口でだけ声を発する。
「そうねェ~……阿国ちゃんになら話してもいいわ」
「……フーン」
教授に伝わらないようこっそりと、久仁子は口の中で小さな優越感を押し殺した。教授を出し抜くのは気持ちがいい。口角が自然に上がる。
<実験を推し進める共同運営という関係性は外から見て分かるが、その理由として連絡文書中に逐一述べられている『債権と債務』に関する詳細が全く見えてこない。一体どんな取り交わしを? なぜ我が国は債務を突っぱねなかった? 人権侵害を盾にすれば言い逃れは出来たろう>
<その辺りは本当、なんでなのかしらね。困ったものだわぁ>
<とぼけるな>
<真面目よぉ~>
<国際刑事裁判所、ICCへの協力義務を口実にしてワシは動いている。だがICC検察官は別にいる。貴様が早々に主犯格から外されたのはICC側からの調査報告によるものだ。そっちと繋がっているのだろう?>
<「でも日本の警察からは追われてますのよ?」>
<「そうらしいわねぇ。一応気を付けてるわ。ICCって各国に意思とか能力が無いときに裁く機関であって、日本が単独で自国民を裁くのは別の話だものねぇ~。あらやだ、指名手配犯じゃないの!」>
久仁子は通信を切って呆れ声で釘を刺した。
「……なにお気楽に言っちゃってますの。マジなことですの」
「まぁぶっちゃけるとォ~、警視庁の方は全く問題ないのよね! あっはは!」
ベルベットは肩を揺らして豪快に笑っている。久仁子は遠い目をし、ハンドルとバンパーとの間にねじ込んだビニール袋を見た。
新型の「黒ネンド袋」は重要な証拠品だ。指紋がついていなかったのはビニール製の特殊外装のお陰だと分かっただけでも収穫だが、ビニールごと回収したところでベルベットの証言をセットにしなければ証拠にはならない。恐らく黒ネンドは外部からの信号でビニール外装を自ら破くことが出来るのだろう。そして袋の中でアメーバのように動き、袋ごと水陸両用でぐるぐる移動出来、軽さを生かして空から降ってきても破損せず……と久仁子は汎用性の高さをギリギリと睨んでいる。
「むむむ……きっちりしてますのね」
「うふ! でもま、心配してくれてアリガトッ! 阿国ちゃん、しばらく見ない間に丸くなったわねぇ~」
ベルベットがしみじみと言う。まるで親戚の叔母のような口ぶりにこそばゆくなり、無言で顔をそむけた。
<そもそも何しに来た、龍田。こちらに顔を見せていいのか? 奴らが黙っていないだろう>
<アイツら? 見ちゃいないわよ。目は全てコチラで掌握できるの。彼らは中継先のゲームをCM抜きのノーカットで見てるつもりでも、実際、ゲームフィールドの隅まで全てカメラで映してるわけじゃないのよ>
<その工作がバレないかと言っている>
<上手くやるわ。それに、用事済ませたらすぐ帰るもの>
<どこに?>
<えー? 流石にそれ言ったらアウトでしょ! 後をつけても無駄よぉ~? 肉体の話じゃないもの>
久仁子はこっそりと「脳波コン未手術者に追跡させよう」と部下への指示書を作成していたのだが、指示そのものを諦めた。
ベルベットは一種のスパイをしていて、意図は不明だが事件解決に動くICCなる国際組織にお目こぼしを貰っている、らしい。もし下手に追跡などしてスパイ活動がバレれば、藪蛇を突いた久仁子に責任が向けられる可能性がある。
ガルドは回線を守れと言った。ならば優先すべきは犯人よりも、と久仁子はあっさり手を引くことにした。
<そうですの。で、カナダへは回線の中継基地に用があるってことで合ってますの?>
<そこまで知られちゃってるの!? あらま!>
<だから用とはなんなのだ? メンテナンスならば無人のままがいいだろうに>
<のっぴきならない事情が出来たのよ。丁度いいわぁ、教授にも手伝ってもらおうかしら>
<忙しい>
<んまっ! ちょっとくらいいいじゃない!>
<話をそんなに逸らされては真実に辿り着けん。つまらん>
<教授らしい言い草だこと! お金払うわよ!>
<要らん。大声を出すな、耳障りだ>
<ああん、久しぶりの『教え子』にその態度はないじゃないのよォ~>
<それこそ心底要らん。真実を引っ掻き回すだけのトラブルメーカーが>
<コッチが居なかったらどうなってたと思ってんのよぉ! もっと大変なトラブルになってたはずよー? 感謝して欲しいわ>
<どうせお前も目的ありきだろう。詐欺師だな>
<ひっどぉい! ま、当たってるけど>
久仁子は緊張感のない二人の通信をボリュームダウンしながら、ふと気付いた湖岸の静けさに眉をしかめて警戒した。ヒト払いをしているのだろう。
「何かありましたのね? 民間人が一人も居ないなんておかしいですの」
隣を睨む。ベルベットはリップを塗った口を尖らせながら、久仁子にのみ聞こえる声量で言い訳のようなことを呟いた。
「……だぁって、目は少ない方がいいじゃなぁい? えーっとね、簡単に言うとぉ、野良ソロプレイヤーがねぇ、コッチの知らないところで知らない奴らに持っていかれてたの~……」
「え?」
久仁子が聞き直す声を全く無視し、ベルベットは脳波コン側で教授をたきつける。
<お手伝いしてくれないなら、こっから先は見せられないわ! コチラとしては阿国ちゃんが居れば十分助かるもの>
<阿国? 誰だ>
<そっから!? あはぁ、お話にならないわぁ>
<何!? ワシが無知なのか!? ま、待て。情報収集ならワシより上の人間などそう多くないだろう! なんだ、何者だ! その阿国とやらは!>
<教授ってば珍しく焦っちゃって。うふふ、情報? 要らないわ。必要なのは情報じゃなくって『物質』だもの。バイタルチェックはリモートで出来てるし、コッチはソッチみたいに犯人追跡とかしてるわけじゃないしぃ、通信線の詳細はそもそもこちらサイドのシークレットだもの>
<くそっ、何を手伝えと? ワシは今日本だぞ>
<遠隔でも出来ることはあるわ。施設にはドローンが多数配備されてるの。コッチだけじゃさばききれない。超小型はレールガンも当たらないから、いっそのことカメラをいじろうかと思って>
「え、ドローン?」
久仁子はレモンイエローの防護服が届くまで下手な動きはしないようにと、すぐ隣を並走する婆やたちに口頭で指示した。グリーンランドの突入を思い出す。当時は友軍の助けもあって無傷で帰還出来たが、このカナダでの味方は大柄で派手な知り合いと、戦闘とは程遠いインテリ派な部下と数人の民間SPだけだ。
「困りましたの。レールガン、教授と一緒に日本へ船で送ったんではなくて? 分解してキャリーに入れましたのよ? カナダはそこんところ厳しいって聞いて……」
「お嬢様、危険と判断し次第すぐ戻りますよ? 前とは状況が違いすぎます故」
「わ、分かってますの。今から傭兵を雇いますの。ドイツとスイスから……えっと、何時間かかるかしら?」
「あ~ら、心配しなくても大丈夫よぉ~」
ドローンがいると聞き不安になってきた久仁子の肩をバシバシ叩きながら、ベルベットがカラカラ笑う。
<「傭兵なら揃えてきてるもの!」>
「え?」
<ああ、そういえば侍らせていたな>
<あん、皆快く側にいてくれるだけのオトモダチよぉ。部下でも主従でもないわ>
「まさか」
久仁子はぞくりとした。ビークルのキャタピラが石の上を走る振動で全身が揺れる中でも分かる程、背筋が下から上へ震える。
「あ、ほらほら」
ベルベットが首をひねり、少し後方の湖上を見た。遠くから大きなエンジン音が轟いているが、よく聞かないと船だとは分からない。海でなら聞いたことのある類の、高速の小型艇が全速力でかっ飛ばす音だ。ゆったりとした湖で聞くものではない。
「なによ、手ぶらだと思った? ちゃーんと金属探知機も積んでるし、ダイバー君の保険費用も出したわよ」
隣で婆やが双眼鏡を覗き込んでいる。
「……なにやら、屈強な殿方がたくさん……」
久仁子は一気に鳥肌が立ち、頭に血が上った。
「かーっ! 噂はマジですのね! ガルド様のこともそういう意味で狙ってるなら、今ここでぶち殺しますのー!」
「やだもうっ、筋肉はさておき皆フレッシュなボーイたちじゃないのっ! ガルドちゃんも美筋肉なのは分かるわ、すごく好きよ。でも、同年代のオジボディよりピチピチっとした子の方がいいわぁ!」
「え、信じられませんの……やっぱり嫌いですの! ガルド様はあの落ち着いたお年の厚みが良いんですの! 身体が目的なんて下品ですのー!」
「え、阿国ちゃんどっち!? どう言えば正解だったのかしら!」
「ガルド様より若い男どもが魅力的だというのも心外ですの! あと、ボディビルダーをダース単位で侍らせるのはちょっとどうかと思いますの!」
「ネットストーカーの方が際どいわよ。ガルドちゃんの動画、疑似網膜投影って言ってもずーっと流してるのは身体に悪いんじゃないの? 虚構と現実の境目見失うわよ~」
「勝手に覗くなー!」
蹴りを入れる。
「ひゃあははは! 軽い、軽すぎるわぁ! 流石お嬢様、華奢ねぇ!」
「ぐうううっ!」
キャタピラ式の一人乗りビークルからベルベットを蹴落とそうとするが、久仁子の細い足ではびくともしない。ヒールを立てて蹴るが毛皮のコートが硬く何も通らない。ベルベットは非力な久仁子をからかうように笑っている。
赤か緑か分からない色をした魔訶不思議な口紅が弧を描くようにしてテカテカ光り、それもまた久仁子の鳥肌を増幅させた。
「やっぱりベルベットなんか嫌いですのー!」
「ひゃっひゃっひゃ!」
「降りろー! このビークルはワタクシのもので、アンタは別に友達でも仲間でもなんでもないですのー! 乗せてやる義理なんかこれっぽっちもないっ!」
「釣れないこと言わないで~?」
「馴れ馴れしいですの! 頭が高い!」
「あん、そんな台詞シラフで言う子初めて見た~」
糠に釘だ。久仁子は静かに自らビークルを降り、婆やが乗っているもう一台のビークルに乗り換えた。




