400 上位オーナー
ガルドは無心で飛んだ。
怖いことは一つもない。根拠もある。Aはガルドへ一度も嘘をついたことがないのだ。
馬鹿正直に包み隠さず言い、ガルドに言えないことは「言えないのでね」と隠さず伝えることを、出会ってから短くも濃い日々の中で身をもって分かっていた。プログラムの書き換えが完了したと言う言葉に嘘はありえない。ならば飛んでも問題ない。頭を空っぽにしてガルドは飛んだ。
そして疑いもせず、ただ真っすぐガルドは落下していった。
<トリガーはボタン式なのでね>
<見えてる>
地面から足を離した途端、見たこともないビビットオレンジの丸いボタンがつま先より一歩前へ現れたことに、ガルドは気づいていた。フロキリのものとは違うポップなゴシックフォントで「JUMP!」と書かれてる。
落下するガルドのつま先にぴったり揃って追尾するボタンは、時折ぷるぷるとゼリーのように震えて自己主張している。もちろんフロキリのボタンにゼリーライクな表現効果は無い。明らかに別タイトルゲームからの流用だ。
ガルドは両足首を揃え、ボタンの上に着地するようなイメージをとった。自然とクの字に身体が折れ、重心が前へと落ちる。
<あとはオートで飛ぶのでね>
ガルドの足の裏に、柔らかくつるんとした感触が伝わってくる。そのままゴムのようにガルドを弾き返す間、ガルドの身体は人形のように「みずき」の操作を離れた。視点は自分のもののままだが、幽体離脱のような感触にフロキリ時代のギミックを一つ思い出す。
<カタパルトと似てる>
<言い得てるがね。他タイトルのデザインとシステムを借りつつ、基本は『アイテム:カタパルト』をベースに改良を施した装備依存タイプの新システムなのでね、コレ。利点は小回りとスピード感でね。作ったのはボクではなく別の……こほん。それはさておき、機能としてコレはただ飛ぶだけなのでね。あとはキミにお願いするがね>
<ん。ここから先は任せろ>
ガルドの視界がぐるぐる回る。白色と青色と一瞬現れる島の土色がミキサーのようにかき混ぜられ、目の前を高速で動き回っている。自分の身体がどうなっているのか分からないガルドは、次の手を想像で組み立てるしかなかった。
飛ぶだけと言っていた。「飛行」が自動での移動なのだとすれば、十中八九、敵モンスターへ向けてだ。先ほどパリィを入れた時にターゲットロックオンはされていて、オートマタ・ベビー飛行種と戦闘中だとシステム側は認識しているだろう。どんな動きで飛んだとしても、たどり着く先はターゲットの目前に違いない。その時の姿勢はデフォルトで戦闘時に相対するとして、大剣の基本動作は下段の構えだ。世界共通で「大きな剣には勇者パース」と相場が決まっている。
そこまで予想し、ガルドは両腕の肩の筋肉を意識した。視界が急速にゆっくり流れ、端に空とは違う固そうな金属の色が見えた瞬間に力を籠める。
「ふっ!」
手首と肘を固定しほぼ真上に向かって、思い切り突いた。
「ギャッ!」
パリィには少し早かったらしいが、下からの強烈な突き攻撃が運よくベビー飛行種をひるませた。そのまま、敵のボディをすり抜けてしまう大剣を背中に納刀し、ガルドは両手で羽に掴みかかる。とにかく足場にさえなれば良いかと思っての行動だ。だが予想以上にガルドの両手はぴったりとベビーの羽を掴み、まるで引っ付き補正のような吸引力で離れない。
「……騎乗判定持ちなのか、お前」
大型のボスモンスターに時折設定されている「ロデオ」は、フロキリ時代はイベントクエスト限定の機能だった。牛のようなモンスターが主で、乗っている時間を競うミニゲームのようなクエストだった。
常設されれば戦闘方法がガラリと変わるぞ、と仲間と笑い合っていたものだ。
「敵全部乗れれば面白い」
<騎乗? それは予想外だがね。ハイバネーションラインは何を考えているのかさっぱりだがね>
「マジかよ、なんでそんな面白いことなってんだよ。ズルいぞ」
「榎本、このままジョーのいる島まで戻って迎え撃つ。引っ張れ」
「え?」
「コレを引いてけ」
暴れるベビーの背中へ馬乗りになり、人形らしいギシギシの固そうな髪が生えた後頭部を右の拳で何度も殴りながら、ガルドは翼を無理やり根元から折り曲げた。ほとんど骨のような薄さの翼の先を、榎本の手が届きそうな位置にまで強引に引き上げる。
「オーライオーライ。あ、もーちょい上」
「これ以上は無理」
怯み狙いで後頭部を殴るたびベビーが下に下がり、乗っているガルドの全身もガクンと下がる。上下にブレるベビー飛行種の羽を掴もうと榎本が手を伸ばすが、今一つ届いていない。
「くそ、インフェルノ! もう少し下がれないか!?」
「……」
「無視かよ!」
インフェルノの動きは鈍く、ホバリングというよりも停滞に近い。ソロ全員に声が届いた途端やることはなくなったと言わんばかりに動作を止めている。
<何か向こうでしてるのか……>
AにもこのAFK」のような虚無の時間がたまにある。向こう側で活動している間はこちら側がおろそかになるのだろう。ガルドは一定の理解を示しながら、Aをベビーの背に押し付け、座り込んだ姿勢から膝を曲げて立ち上がった。不安定だが立てなくはない。少しぐらつきながら少しずつ直立まで姿勢を伸ばす。
翼の付け根から先まで、掴む手を手すりのようにずらしていく。安定してきた。ガルドは膝を曲げてジャンプする動作をゆっくりと形にする。生で動くより遅いが、一拍遅れでボタンがつま先の一歩先へ表示される。
<ラグい。もっと早く>
<要検討だがね、今は無茶だがね>
<ん、後で>
下から大きく振りかぶって、空いている手を真上へと振り上げる。同時にやんわりとジャンプボタンを片足で踏み、少し高い位置目掛けて手を伸ばした。
「榎本!」
「え!? あ、おいっ!」
インフェルノの首にしがみつく榎本へ手を伸ばす。一番伸び切ったところでやっと榎本がガルドの手に気付いた。間に合わない。
「っ」
咄嗟にガルドは、バスケのダンクを決めるように手のひらを下へと返す。宙を掻くようにしてあがきながら下がり始めた手首を、強く乱暴に掬われた。痛いほど強く掴まれる。
「だああっ! おまっ、無茶するな!」
榎本はガルドの手を下から掴んだ。ガルドも握る。手首と手首を握り合う。
「ん、ナイス」
「どうすんだよこれ! お前がロープになってどうすんだ、インフェルノも動かねぇし!」
「A! インフェルノに軽量化!」
「ぐわっ」
<任せたまえね>
「榎本! 尻側殴って吹き飛ばせ!」
「まじか。乱暴だな、っと!」
Aがグワグワと鳴く声がベビー飛行種の背中から聞こえる。ついでに巻き込んでやろうと、ガルドは掴んでいるベビーの翼をぐいと引っ張った。自分を掴む榎本の方へ投げるようにして打ち上げ、榎本が構えるハンマーとインフェルノの合間に、Aごとベビーを挟む。
「どおりゃっ!」
「ぐわわーっ!?」
Aがアヒルのような悲鳴をあげながら、榎本が掴まっているインフェルノの顔まで羽ばたいていった。鼻先にとまり、上からガルドへ向かってグワグワと鳴いて怒る。
<危うくプレスだがね!? ヒドイとは思わないかね!?>
<避けれただろ>
<今こちらでHライン被験体の身体保護システム処理を操作しているのでね、忙しいんだがね! ぐわっ!>
<分かった分かった>
なだめつつ、ガルドは思わず微笑む。
「ふふっ」
<遊んでいる場合ではないのだがね!>
Aの言う通り、ガルドは段々と楽しくなってきていた。榎本が片手で振るったハンマーはインフェルノの尻をしたたかに打ち、軽量化バフで軽くなっている大型ドラゴンをピンボールのように弾き飛ばす。掴まっているAと榎本も同じく飛び、その榎本の腕に固まっているガルドも引かれて飛んだ。風を受けながら目を細める。
「イレギュラーだと思う」
「ソイツか? 同感。俺の一撃受けてひるむはひるむがビクともしてないぞ」
「腕が鳴る」
「つっても、三人なら余裕だろ。ジョーの戦闘スタイルなんだったか覚えてるか?」
ガルドはぼんやりと覚えているジョーの背中を思い出す。細い肩の向こうに釣り合わない程大きな盾が見えた気がした。右手にはいつも何かを握っていた気がする。そこまで思い出せば、フロキリで有名な戦闘職がすぐにピンと思い浮かんだ。
「多分タンクボマー」
「うわー……地雷か?」
「けみけっこは地雷とはつるまない。そんなでもない、はず」
「お、じゃあ安心だな。っし、初見撃破パート2だ!」
「ああ」
しばし無言で近付いてくる島を見ながら、榎本はガルドの、ガルドは榎本の手をタイミングよくパッと離した。
狙っていた一番奥の小島には、すでに起き上がって小さな棒を握っているジョーがこちらに気付いて手を振っていた。
「え、何それー。ドラゴン? 何イベントですかー?」
叫び気味に言うジョーの声は低く、落ち着き払っている。Aが言っていた「拉致直後の混乱によるストレス」も、一度目覚めて周囲を分かっているジョーには当てはまらないらしい。ガルドは安堵し、普段通りを心掛けた。
「ジョー! エンゲージだ!」
「はいはい、戦闘ね。というか挨拶も抜き? まぁいいけど。え、アイツなんか他と違う、羽生えてる。他のヤツよりドロップいい感じ?」
ジョーは淡々とリアクションを口にしながら、手の棒をしゃかしゃかと何度か振っている。ガルドは呑み込みの速さに信頼できる男だと頷いた。
「ああ」
「え、マジ? じゃ乗る乗るぅ。あのGEペアに寄生プレイとか最高だね。楽できるなぁ」
「寄生たぁ聞き捨てならないなぁ、っと!」
上空からベビー飛行種をハンマーで地面へ叩きつけながら、榎本が豪快に落下してくる。
「ハ、タダ乗りなんかさせっかよ。気合入れろ。けみけっことコイツの雑魚タイプ狩りまくってたんだろ? 普通にダメージ稼ぎ要因にカウントするからな」
「けみさんに会えたー? よかったぁ」
「聞けよ人の話」
「それドラゴンだよね? 行っちゃうけどいいのー?」
ジョーの大声に榎本が背後を振り返った。
「え? あっ」
榎本が離れてからも、インフェルノは尻を打たれた慣性でそのまま奥へ飛んでいっている。羽も動かさずに流されるまま視界から消えていく。飼い主の榎本が呼べば戻るだろうが、今はリアル側でA同様忙しくしているのだろう。
「インフェルノ、処理落ちでもしてんのか? ロストしたりしないだろうな……」
「Aも載せてきた。大丈夫」
「そうか? まぁ確かに、Aじゃないと軽量化からの殴り移動できな……」
「ほらほら、エンゲージだよ」
ジョーがフランクに一発ぽいと爆発アイテムを榎本の後方へと投げた。途端に落雷が地面から空へ伸び、人形がガタガタと無機物の悲鳴を上げる。スタンだけさせる状態異常専用のグレネードだ。HPは一切削れないが、長い時間行動不能にできる。
「そういやお前ってダウナー系のヒキニートだったな。思い出してきた」
「ニートじゃないよ、年金生活者ってだけさ」
「えっ……高齢者ァ!?」
「その言い方には悪意を感じる。確かにマジだけど」
「へぇー。オキナより上だったり?」
「上だね。いや彼普通にまだ再雇用で社員続けてるでしょ? オレ、それも出来ない歳だよ」
「っかー! おいおい爺さん元気だなぁ!」
「ダウナー系って言ったのそっちじゃん」
榎本とジョーが互いに軽くコミュニケーションを取っている。ゲームのセンスも経験値も大事だが、野良では互いの観察と会話で勝率が変わるものだ。榎本も分かった上で、ジョーの人となりを知ろうとしている。
だが脱線しすぎだ。ガルドはちくりと釘を刺す。
「作戦、オートマタ・ベビーに慣れてるジョーに合わせる。いいか?」
「ガルドさん頼りになるー! 空飛べる分トリッキーかもだよ? オレ中距離からスタンメインでデバフと回復やるからさぁ」
「分かった。位置取りは臨機応変にトライアングル。榎本、ヘイト拮抗で」
「俺釣ってもいいぞ?」
「いい。初見だから」
「そうか? んじゃ相棒、いつも通りに半分こな」
「ん」
スタン効果がそろそろ切れる。
「ふー、緊張するー」
「状況だけ見りゃあ、お前は悠長すぎるけどな。周りの島もちらほら起き出したころだろ? もっと心配することあるだろ」
「そんなことよりGEコンビの初見攻略手伝う方が大事」
「っはは! つくづく社会不適合者の集まりだな、脳波コン対応のフルダイブゲー」
「同じ穴の狢」
「言うな相棒、俺はともかくお前はまだ戻れる」
「手遅れ」
ガルドは位置取りを開始しながら、耳に響いた通知音にポップアップ画面を呼び出す。
黒い枠の、誰にも見られず知られないシークレットモードだ。Aから送られてきている。文章チャットは長く硬い文章だが、ガルドは古いものからざっと目を通し始めた。
<Hラインの身体管理DBをハッキング、データを取得完了。本体の位置は不明>
報告書の類らしい。今までにない形だ。
<A?>
返事はない。仕方がなく、そのまま読み続ける。
<精神安定剤の投与は確認できず。二極から早急な本体の掌握と投薬治療を提案されるが、Aにより否決。薬剤ボトル等の物理的なすり替え妨害を防げないため。オーナーの採決、否決。コミュニティ内:忌避感の蔓延を確認>
リアルタイムで今Aが何をしているのか、これほどストレートな物言いで伝えてくるのは初めてだった。ガルドは夢中で読む。忌避感とはなんとも感情的なキーワードで、やはりオーナーは間違いなく人間なのだろうとガルドは睨んだ。コミュニティとはオーナーのコミュニティだろうか。複数名。犯人。グループ。テロ組織。ガルドは解像度の高くなっていく犯人像をイメージする。
敵は群像だ。
<上位オーナーによる代替案を提示>
流れで読んだ次の文章にガルドは目を見張った。群像の上に一人、人影がぐっと濃くなって浮き出てくる。
オーナーたちの上に、上位のオーナーが一人いる。もしかしたら、とガルドはAの言葉を思い出した。
——オーナーの希望なのでね。Aはオーナーたちとは言わなかった。だとすれば一歩上に一人で立つ上位オーナーこそ、Aが行動を共にするオーナーなのではないだろうか。世間話をするような、ある種ビジネスライクに聞こえるAの「オーナー」の正体を想像する。
上位だったらと願いながら、彼の提案を読む。
<本体の遠隔掌握を断念し、実地への侵攻による安全な本体確保を推奨。可決。オーナーの採決、可決。コミュニティ内:エンターテインメント・ヒーローへの期待感蔓延を確認>
<エン、タメっ……!?>
エンターテインメント、の一文にガルドの脳が一気に沸く。
<何がエンタメだ、何がヒーローだ! ソロのみんなをリアル側で助けに行くのが、そんなにヒロイックか!>
「ギャラリーも居るし、言うことなしだねえ。頑張ろっと」
<遊びじゃないんだぞ?!>
「腕がなるぜ」
<コミュニティ……何がだ、オーナーか? 上位と何が違う……何が……>
ガルドは武者振るいと強烈な怒りに笑みを浮かべた。




