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389 また二人

 雪が吹雪き真っ白に染まる空の上は視界が全くきかないが、仮想空間にいる自覚があるガルドは気にもしていない。

「風情がねえよ!」

 前に座って叫ぶ男は、ガルドよりよっぽど寒そうな服装をしていた。大きな編み上げのリュックサックを背負っている。その下は近代的なジャケットを素肌に羽織っているだけだ。前身ごろは大いにはだけ、くっきりと影を浮かべる腹筋のほとんどを露わにしている。

「そっちの方が」

 ガルドが呟くと、男が振り返って叫ぶ。

「なんだってー!?」

「そっちの方が! 風情が! 無い!」

「装備のことかー!?」

「そうだー!」

 叫ばないと聞こえないのは轟音のせいだ。暴風がガルドとその前に座るアゴヒゲの男、榎本の声を簡単にかき消す。だが不思議とチャットを飛ばす気にはなれなかった。ガルドは思いのほか、不便な現状を楽しんでいる。

 ドラゴンが一声鳴いた。

「そろそろか……お疲れさん」

 榎本は座っているものの背中を荒っぽく撫でた。赤い皮は想像と違い鱗はなく、ワニのようにごつごつとしている。触ると温度の再現が熱めに設定されているらしく、携帯カイロのように暖かい。

 インフェルノと榎本が名付けたペットAIは三分間の変身機能を持っていた。普段は肩乗りワイバーンとして羽根つきトカゲのような姿をしているのだが、三分間だけ立派なドラゴンに変身できる。再度変身機能が復活するまでのリキャストタイムは十五分だ。

「ん」

 尻の下でインフェルノが溶ける。液体のようなエフェクトだが色味を見るに溶岩をイメージしているらしい。ドロドロの赤が空に溶けていき、中央に小さなトカゲを残して消えた。タンデムスタイルで背中に乗っていた榎本とガルドは、乗っていた土台を失いそのまま自由落下しはじめた。

 小さくなったインフェルノを回収しながら榎本がリュックサックから伸びる紐をぐいと強く引っ張る。ガルドもほぼ同時に腰へ手を回して紐を探った。強く引っ張るとリュックサックの中で布が広がる大きな音が聞こえ、落下速度が遅くなる。

 リアル程強い衝撃はないが、遅くなった落下速度に合わせて足に体重がかかる。

「A」

<任せたまえ。なかなか上手くなったと思わないかね?>

「分かったから、早く」

 雪と風で視界が染まり、何も見えない。懐にくっついていた黒いボールを視界に収めてから指示すると、アヒルのAがくちばしを開いて返事をした。

「ぐわは」

 声と同時にスキルの起動音がする。バフやデバフが出来るという表向きの設定に合わせ、Aはガルドの身体に軽量化のバフスキルを掛けた。ボディの重さが動作に関わるフロキリをベースにしているため、ガルドたちの身体は重量で動きを変える。

 設定できる中で最軽量の身体に変わったガルドは、風と背中から伸びた手製のパラシュートに吹かれて緩やかに上昇した。

「マップ」

<このまま風に任せると良いだろうね。天候コントロールはボクが掌握済みなのでね><それでも心配だから、マップ>

<フムン、では>

 Aはしぶしぶガルドの視界に大型マップを表示した。システム起因では出せない未開地まで表記されるチート級の地図だ。榎本には口が裂けても言えないが、Aの助けが無ければ今頃雪山で遭難していたことだろう。ドラゴン型のペットAI・インフェルノの飛行は驚くほど適当だった。Aとは機能のクオリティが違うのだと分かる。

「随分西に来た」

 点滅する位置アイコンはディスティラリ・クラムベリを通り過ぎ、さらに北側へ入り込んでいる。全体マップで最も標高の高い山の麓、等高線の輪がどんどん細くなる辺りに近い。

「一番向こうまで行くんだからな」

 ガルドと榎本はたった二人、他のソロプレイヤーを探し求めて「極西(ファーイースト)」を目指していた。

 地下迷宮の卵から現れた新たなペットたちは、ガルドらロンベル六人の口から被害者全員へ知らされた。六体のAIは他のユーザーたちの目の前で、飼い主のためだけに良く働いて見せた。荷物を運び、指示されたことをこなし、戦闘時にはサイドキックとして従順に従った。

 城下町は瞬く間に、ペットを有用で新しい支援AIとして受け入れた。今までグレイマンと呼ばれる棒人間だけがうごめくだけの寂しい街並みだった風景も、飼い主の元を離れて歩き回る多種多様な動物たちの鳴き声で一気に騒がしくなった。

 馬の背に乗って駆けまわる者、猫と散歩する者、亀と日向ぼっこをしてサボる者まで現れる始末だったが、その心理的な暖かみにプレイヤー達は例外なく全員ダンジョンへと走っていった。

 中でも人目を惹いた榎本のドラゴンだったが、どうやらレアな種族を引き当てたらしい。他には一体も現れなかった。一定時間空を高速で飛ぶ能力は重宝され、少し遠い戦闘エリアに移動して素材を集めるジャスティンたち資材班の足にもなった。

 だが、何通りも出来る活用法の中で一番に最優先されたのは、どこかで一人助けを待っているであろうソロプレイヤーの捜索だった。

「あと何回これ繰り返せばいいんだ……」

「景色を楽しめ」

「いや、いやいや、白いし。ひたすら白と黒だけだ」

「新幹線も似たようなものだ」

「高いだろ。クッソ、あとは落ちる一方だ」

「感覚なだけで本物じゃない」

「その感覚が怖いんだって……」

 榎本はリュックを強く握りしめて嘆いている。上空何メートルなのかガルドには分からないが、見える景色は飛行機より低くヘリコプターの動画より高い。FPSのゲームを好んでいた経歴のあるガルドには見慣れた景色だ。

「あそこに向かう」

「お、おう。いってこい」

「榎本」

「掴むなって~おいガルドぉ~」

 オブジェクト同士が通過し合うのを利用し、ガルドは榎本のパラシュートと自身のパラシュートがぶつかるほど近くまで寄せる。Aが重みを軽減させた効果で、榎本の方が落下スピードが早い。

<A、榎本にも軽量化>

<承知した>

 榎本も理解しているようで、半分諦めの表情を浮かべたまま文句を言った。

「またか~くっそ~」

「少しでも飛距離を伸ばす」

「捨ておけって。俺なんか捨てて先に行けよ……」

「捨てない。大丈夫だ、ついてる」

「くうー泣かせんじゃねーよ相棒……ぐぉっ!」

 Aが無言のまま榎本にも軽量化のバフを掛けた。がくんとスピードが遅くなる。続けて、いっぱいいっぱいで余裕のない榎本の分までパラシュートの広がり具合を調整した。リュックを腰と結ぶバンドの一部が紐状になっており、フックで掛かっている。掴んだままの足をひっぱって腰を引き寄せ、紐をフックから外す。パラシュートの一部がさらに広がり、風を受けてぐんと一度高度を上げた。

「さっさと降りたい」

「分かる」

 ガルドも自分の傘調節用紐を引いて再上昇する。ついでにAへ目配せすると、気候コントロールで追い風に設定させた。

「ひ」

 雪の粒が背中から身体を地面へ向かって叩きつけるように吹いてくるため重くなり下がっていく。風を受けて上がるのとを繰り返し、徐々に下降の速度が増している気がする。

 しばらくそのまま蛇行落下し続け、やっと山の岩肌が見えた。

「榎本、着地だ」

「……おう」

「リラックス。いい調子だ」

「だいぶ慣れては、きた、けどな」

<毎度のことだが、BJ02の極度の緊張を感知。最初に比べればだいぶ良くなったようだがね>

<そもそも無茶だ。筋金入りのジェットコースター恐怖症を脳波感受の疑似体験だけで直そうなんて、虫がいいにも程がある>

<そうかね? 現実で実践するより安全性は高いと思うのだがね>

 緊張でがちがちになっているのだろう。Aがリアル側のバイタルモニタを視界の一部へ転写してくれた。ヒト型の輪郭図の中が青と黄緑に染まっている。体温を視覚化したサーモグラフィだ。随分冷え切っていて、ガルドは心底可哀想に思う。

<繰り返すが、これは訓練なのでね。結果としては良好と担当者も言っているのでね>

<可哀想とかないのか>

<それを言い始めたらキミたちはここにはいないのでね。その上で優先順位の話になる。彼の有用性を上げなければならないのはキミも分かっているだろうからね、みずき。ま、強くは言わないがね>

 ガルドはそれ以上何も言えなかった。


「予定より遅れてるの、俺のせいだよな……」

「いや、見積もりが急かしすぎだ。そもそもインフェルノがいなかったら陸路だった」

 気にするな、とガルドは首を横に振った。

 マグナが計算した予定表を見ると確かに二日分きっかり遅れていて、Aが耳打ちしてくる「外部」の予定表通りであれば三日分遅れているいらしい。これ以上の加速は榎本のメンタルを壊すと灸をすえてから、シークレットモードのAからくるメッセージをミュートにする。

「ぎゃうぎゃう」

「確かに、お前をドラゴンに出来るのは俺だけだよな」

「三分で解けるのもしょうがない、仕様だ」

「それな。それだけがネック……おいおい、怒るなって」

 赤いトカゲと蝙蝠の合成獣じみた容姿をしたワイバーンのインフェルノは、榎本の首回りをグルグルと回って鳴き声を上げた。怒っている感情表現のモーションで、全く同じ動作を道中何度もしている。Aとは違い、あまり高性能ではないゲーム用NPCに過ぎないのだと分かる。

 ふと見れば榎本の肩と背中に雪が積もっている。雪山で素肌にジャケット一枚羽織っただけの常軌を逸した装備は目に毒で、ガルドは眉間にしわを寄せて文句を言った。

「もっと寄らないと雪被るぞ」

「平気だって。そっちだって狭いだろ」

「広いところまで行くか? 10km先に小屋」

「ヤダよ眠ぃし。この辺り全部エンカウントエリアだからな。寝れるのなんざリスポーンポイントぐらいだぜ」

「なら諦めろ」

「ハイハイ」

 観念した榎本がどっかりと座り込んだのは、きつい傾斜の中で踊り場のように突然現れた小さな足場だった。山側に深々と突き刺さった杖が暖かな夕焼け色の光を発し、四畳程度の空間分だけ吹き込む雪を溶かしている。山の斜面登り側へ背を向けて座っていたガルドは尻を引きずりながら横を向き、榎本に空間の七割を渡せるよう小さく膝をたたむ。

「……お前こそちゃんと横になれよ!」

「仮眠だから軽くでいい」

「お前が遠慮するくらいなら俺が……」

「ん」

 ガルドがさせまいとばかりに素早く足を延ばした。だがどうしても狭い。何度もアバターを動かし、結局身体を丸めるようにして横になる。榎本は隣で、膝を曲げて腕を後頭部に回して省スペースに仰向け姿勢を維持している。

 しばらくもぞもぞと体を落ち着けるが、隣で小さな声がした。

「ガルド、寝たか?」

「寝てない」

「……やることは山ほどあんのに、先に進んでる感じがないんだよな」

 氷結晶城から出発して何晩か超えてきたが、榎本は毎晩何らかの話をガルドにふった。内容は毎回大雑把で、具体的な解決を欲していないのだと長年過ごしてきたガルドは察する。

 要するに愚痴だ。あまり弱みを周囲に出さない男がガルドへ愚痴を漏らす旅になっている。

「目標達成は出来ても、ゴールがない。脱出という天井が見えない課金みたいなものだと思う」

「そうなんだよ! 俺らがどんなに頑張ったってさ、閉じ込められたアリの瓶詰ん中で巣作るようなもんだよな」

「言い方」

「動物園のオリん中でテリトリーと寝床作ってるチンパンジーみたいじゃね?」

「言い方」

「ははは」

 寝転がったまま榎本が笑う。空を見上げているが、テリトリーの外で吹雪く白と黒しか見えない。轟音はガラスの向こうにあるような音量へ下げられている。ガルドはちらりと上を見てから、すぐに飽きて横向きに直った。

「……あと四回くらいで着くと思う。明日はもう少し、なだらかに」

「気い遣うなって。お前が気遣いとか寒いぞ」

「別に、急いでないからいい」

 ガルドは慣れた嘘で誤魔化す。Aがこっそりと教えてくれた監視の目の存在を、密かに知ったガルドは拭うことが出来ない。

 実験の一環でガルドらは「問題を解決する能力」を見られているらしい。そこまでは想像していたが、外から監視している犯人たちは中の様子をNPCとして入り込んだAIの報告データでしか見ていないらしい。

<急がねばならないのではないかね?>

 今回の監視者はAとインフェルノだ。そしてA曰く、報告を上げる段階で改ざんできるAと違い、単純かつ弱いAIである榎本所有ペットNPC・インフェルノは、何もかもを数字で判別しそのまま表にして提出するらしい。

<急ぐにしても、榎本は疲れている。少し配慮しつつできうる限り急ぐ>

<インフェルノに疲労困憊という概念はないのでね。あまり遅いとBJ02自身のためにならないがね>

<分かってる。有用性を判断するのはお前たちのボスだろう。最下位が消されるようなものじゃない>

<他の面々はそうかもしれんがね、BJ02をはじめとしたキミ達六人は特別なのでね。維持には他のグループと違いかなり出資が入っている。株価のようなものでね、下がるとボクでも歯止めが効かないのでね>

 Aはペラペラと裏事情を話した。社会科目は得意だったガルドの脳裏に市場(しじょう)操作と見えざる手という単語が浮かぶ。維持への出資と収益、決算。決算報告のためにAIが報告書を書く。何か不祥事があれば株価は暴落する。投資家の将来を期待できない空気感が大きな影響を与える。バブルの崩壊。インフレ・デフレ。

 そこまで想像し、動物園という例えはあながち間違っていないのだとため息をついた。

「ハァ……ゲロられても困るから、ゆっくりでいい」

「言ったなこの野郎! 忘れろっつっただろー!?」

「ふはは」

「わ、笑うなって!」

 榎本ががばりと上体を起こした気配がするが、ガルドは目を瞑ったまま続けた。

「今忘れた。寝て起きればまた元気になる」

「くそ、飯も控えめにしてるんだからな。むしろ食ってないし」

「ああ」

 布の音とともに、寝転がる榎本の気配がする。

「ソロがいたら食わせてやろうぜ、金井印のサンカクおにぎり。泣けるぜぇ~?」

「泣かせようとしてるのか」

「おう!」

「ん、早く見つけよう」

 ガルドは背中側の男に見えないよう、ツンとする鼻をこっそり摘まんだ。



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