385 言わなきゃ
バックミラーを覗き込んでも、すでに国彦の姿は見えない。
<いいぞクニちゃん。破損は?>
<大丈夫そう>
<よぉしよし、そのまま有線でな。非殺傷のテーザーガンは対人だから、ドローン相手にすんなら基本体当たりさせろや。そのための二重~装甲~>
<二重なのか……んな頑丈なら石ぶつけたくらいじゃ墜ちなくね?>
<っとっと! じゃ俺ぁ周囲の通信状況見てっから! よろしくう!>
<ギャンさん!? おい、ちょ、ひどくね!?>
脳波コンからガミガミと説教する国彦の元気な言葉が届く。滋行が隣でため息をついた。
「いつもこうなの?」
「国彦? ああ、ムードメーカーってやつだな。責任感が強くて頼りがいはあるけど、基本おちゃらけるのが好きで……」
車は法定速度を超えてどんどん加速しているが、車内はどことなく和やかだ。チヨ子を配慮してなのか、滋行はとうとう白亜教授をどう捕まえるのかすら話さなくなった。
打合せしておくことは山ほどある。白亜教授が逃げた理由として考えられる『思想カブレのつくば一派』なる追手がいること。彼らが白亜教授に一種の恨みを抱いている可能性。会ってみたいと言っていたが、教授が彼らに与するかもしれないという焦り。
チヨ子は顔には出さず、拳を膝の上で握りしめる。
教授がどうなろうと知ったことではない。教授を捕まえたとしても、友人である佐野みずきが助かる要因になるとは思えない。ただチヨ子はとにかく、ミルキィと名付けた宝物を取り返したかった。AI内蔵型のぬいぐるみを持ち去ったのだから、犯人である教授を一発殴らないと気が済まないほど怒っている。
「俺たち全員、これでも昔はいじめられてたんだ」
「えっ!? うそ!」
突然の告白に喉からリアクションが勝手に飛び出た。国彦と陽太郎に関しては信じられない。滋行は少々根暗で気弱だが、チヨ子の知る滋行は冷静かつ知的で言葉の早い男だ。悪口を言われっぱなしにするような気質にも見えない。
「本当。ここ三年くらいで全員明るくなった。全部フロキリの……ガルドさんのお陰だ」
「聞いたことある名前。えーっと、みずの彼氏のチームの人!」
「あー……榎本さんも良い人だと思うけど、ガルドさんにはかなわないな」
チヨ子は小さくムッとし、脳波コンでチャット欄を意識した。画像だけ抽出するよう意識すると、ガルドという名のプレイヤーが「向こう側」で過ごしている様子が動画のサムネイルで現れる。見切れてばかりだ。背中側から一枚、後頭部のズームが一枚。剣を振るうブレた画像が二枚、榎本に絡まれているオフショットが一枚。
「カッコよくはないけど。みずの彼氏の方がまだいいかも……歳的にも」
「……言いたくないけど、ガルドさんと榎本さん、そんなに年離れてないと思うぞ」
「え? それ本当?」
頭が一気に恋愛モードへ切り替わり、チヨ子は運転席側へ身体全体を向き直して訊ねた。それなりに情報を得て佐野みずきの恋人を探ってきたチヨ子や宮野たちだったが、年齢の噂はまちまちだった。三十代か四十代か、で意見が半々に割れている。四十代以上だろうとほぼ確定されていたガルドと年が離れていないとなると、榎本も四十代にぐっと近づいてしまう。
「みず、騙されてるの?」
「ネットでの出会いなんてみんなそうだろ?」
確かにそうだ。チヨ子はくらくらする頭を両手で押さえた。
「榎本さんは年の割に若いって聞いたことあってさ。で、ガルドさんと丁度良く話が合うけど、そのガルドさんは年の割に成熟してるらしい。つまりあの感じで印象より若いってことだ! すごいんだよガルドさんは! ハードボイルドで怖い見た目とは裏腹に初心者思いで、ぶっきらぼうだけど親切でさぁ。俺たち全員助けられたんだ」
「いじめられてネットに逃げて、ゲームの中でも孤立して、そこに声かけられた~ってやつ?」
「そうそう」
「ありがちぃ~」
チヨ子のココロが一気にすさんでいく。ミルキィを抱きしめる要領でカバンを腕に抱くが、喪失感と友の状況が脳裏にぐわんぐわんとよぎってきた。
「でもそいつもあいつも全部嘘つきじゃん。みんなしてみずのこと騙して、空港まで引っ張ってってさ」
「騙すなんてつもりはなかったと思うぞ……脳波コン入れたのだって、君もその子も自分でサインしたんだろう?」
チヨ子は脳波コンの手術を受けた日を思い出すが、何かにサインした覚えはない。だが口には出さず話を流す。
「でもさ、下心ゼロなわけないよね」
「ガルドさんはそういうのないと思うけど、榎本さんはどうだろうな。チャラいし、ナンパには慣れてるっぽいし。ログインしてない夜は六本木とか麻布に行ってるって聞いたけど。ま、いい大人だから未成年に変なことするとは思わないよ」
「……黒じゃん」
チヨ子は顔を上げ、抱えていたカバンを捨てるようにして後部座席に放り込んだ。続けて脳波コンでスマホを操作する。集中しなければ誤字を連発してしまうチヨ子は、頭をがっくりと下げて無言になった。ブルーホールのようなフィーリングのメッセージシステムではなく、一文字一文字しっかり文字をタイピングして文章にしていく。
<宮野、みず、騙されてる。榎本ってやつやっぱヤバイ>
返信にはタイムラグがある。送信相手の宮野はスマホを液晶で見るため、通知に気付かなければそこそこ待たされるだろう。つい数か月前までチヨ子にとっても常識だったことだが、今や脳波コンのスピード感を享受しているため遅いと感じてしまう。
数秒耐え、チヨ子は顔を上げた。
「っ、中から映像来るなら、こっちから映像送ったりできないの!?」
「突然どうした……そりゃ、送ってきてるんだから元を辿るくらいは。でもな、そういうのはもう日電以外にもいろんな技術者がやってる。警察だって動いてる。時間の問題だよ」
「送信元探るんじゃなくて、こっちから送り込むの! みず向こうにいる友達に『榎本なんてクズ男絶対やめた方が良い』って早く伝えないと!」
「え、そっち?」
チヨ子も滋行が驚く気持ちは分かる。犯人を探し出し、ドイツの事件のように無事全員を保護するのが一番優先されるべきだと分かっている。だが自分にはそんな技術も手段もないことを理解している。ならば、優先すべきは佐野みずきの幸福だ。佐野みずきのことを思って行動する人間が、あの狭いゲームの中にどれほどいるのだろう。チヨ子は身勝手な犯人へ、可哀想な友人のために腹を立てていた。
「友達が変な男に騙されてるかもなんて聞いて、黙ってろって?」
「うーん、榎本さんが相手だって聞くと否定できないな。ガルドさんを勧めるぞ、俺は。誠実な人だ」
「分かった。そっちはそっちで分かったから、なんとかみずにコンタクト取らないと。やっぱり教授?」
「もうすぐ追いつくぞ」
「え、もう?」
ケロリとなんてことはない態度で滋行が言う。チヨ子は顔を上げて窓の外を見た。住宅地から勢いよく飛び出た車が大きく太い幹線道路に合流する。紅葉には少々早いため、緑が強い銀杏並木がずらりと並んでいる。滋行がちらりと見た先は公園になっていた。
「……まさかあそこ?」
「そのまさかだ。流石に車は無理だから、停めて徒歩か」
「えー!? アタシ今日ヒールだって言ったじゃん!」
「制服ならスニーカーかローファーなんじゃ……」
Pのマークを見つけ左折しようとしている滋行にも見えるよう高く右足を上げ、チヨ子は履物の底が厚いことをアピールした。
「ほら、厚底でヒール高めのパンプスでしょ!」
一見するとローファーのように見えるが、ヒールはかなり高くトゥ部分も小さめだ。
「わ、お、おい! 足上げるなって!」
「でも教授くらいじゃないと、ミルキィちゃん直すのもみずにムービー送るのも無理だよねぇ。しょーがない、頑張って走る!」
「いやいいから。俺が走るから」
「車で待ってるのもヤダ」
「くっ、こんな時ガルドさんならどう叱るんだ……」
「イケメンは怒らないもん。で?」
<ヨウタロさん、どっち? 地図ある?>
チャット欄を意識し直すと、国彦とギャンの会話と合わせて陽太郎から返事が来た。
<なんだこの量は! やっぱりつくばで『生産』されてるってか!>
<クニ、そっちに行った助っ人の車乗れなぁ。民間人は民間人ドーシでキョーリョクだ>
<後ろから来てるバンなら分かるけど、なんか嫌な大学名書いてあるー!>
<あっひゃひゃ! 怖がるなって。ダイジョブだーOBなんでねー>
<やだギャンさん筑波大卒なの? 頭良いー>
<院卒じゃあバーカ>
<おみそれしましたー。あああ来た来た! そこのオニーサン! 掃除機掃除機!>
欲しい陽太郎からのメッセージがかき消えるほど、国彦とギャンの言葉が波のように押し寄せてくる。
<おいおい国彦、大丈夫か?>
<続々と助っ人来てっから大丈夫大丈夫。で? ハヤシモちゃんとシゲちゃんは公園? 任せなァ! そっちにも人員派遣済みだ!>
チヨ子はメイク道具と替えの下着と靴下しか入っていない学生カバンを車内に置きっぱなしにし、スマホと有線コードだけ取って駐車場に降り立った。先に降りた滋行はトランクを開き、乗せっぱなしだった教授の荷物を探っている。
「早く追いかけないの?」
「や、教授のことだから何か持ってないかと思って……なんかほんとにただの海外旅行し終えただけの荷物だ。PCとかフラッシュメモリとかなんかないかな」
「壊れ物は手荷物品でしょ? じゃあコッチじゃないの?」
座席側面のレバーを握り、後部座席の背もたれを前へ倒して広くし荷物をひっくり返す。滋行がキャスター付きのスーツケースを奥へ押しやり、すかさずチヨ子は手荷物品らしき肩掛けカバンを下から引っ張り出した。
「おかしいな、そんな軽い荷物、下に置かなかったぞ。確か一番上に……あ、教授が直してたのコレか!」
滋行がジッパーを勢いよく広げる。
「げ」
そのままジィッと勢いよく音を立ててカバンを閉じた。
「なに、なになに? なんか入ってた?」
<……ギャンさん、俺らのレンタカーどっか信頼できる研究機関にそのまま運んでくれ>
<研究機関~? そこなら白亜研究室が一番……>
<だ、だめ! 今追いかけてる人が誰だか知ってるだろー!?>
<にゃっは、冗談だよ。つくば界隈は全部大学までまとめてダメだァ。学会がダメだから。一民間研究施設じゃ防御が怪しい。と、な、る、と……北上して仙台だな! おっけー指示しとく>
<頼みます。俺らは追いかけるぞ。陽太郎? GPS、今どのへんだ?>
返事はない。
<ヨウタロ?>
滋行にトランクの中身が何なのか訊ねても綺麗に無視され、チヨ子は少々口をへの字へ歪ませながら急かした。
「宮野からも返事ないし待ってらんないし! もういい、アタシが受け取る! どうやって見るの!?」
「教える方が手間だから俺がナビするよ……ハァ。白亜教授見つけたら障害物とか細かく教えてくれ。ナビ見ながら走るので精いっぱいだから、足元とか見てられないんだ」
チヨ子は頷いた。続けて、いざとなればすぐ脱いで走るとこっそり決意する。靴下がいくら汚れようとミルキィが手元に帰ってくることが大切で、替えの靴下ならレンタカーに置いてある。そう思えばちっとも気にならない。
「つかさぁ、なんで公園? どうみね?」
「洞峰だな。理由はほら、これだ」
公園入口を小走りに抜ける。横目で見た看板の洞峰公園という文字の側に、細かい文字の立て看板が見えた。
「……まいくろ波、実験許可、指定区画、のため? ロボットの侵入を禁じますー?」
「ドローンってあるだろ。マイクロ波ってのは電子レンジをイメージするのだな」
「実験場じゃん。公園じゃないじゃん」
「そりゃ子どもが遊ぶところは除くだろ……だだっ広い芝生と、マイクロ波実験のための公共電源設備があるんじゃないか? 教授はそれを狙ったか、本当に対ドローン対策でマイクロ波を使う準備があるのかも」
「ミルキィちゃんは!? 電子レンジに入れたら流石のミルキィちゃんも危ないんだけど!」
「いやむしろ外部から操作を受けなくて済む分……まぁいいや。行こう! とにかく白亜教授を捕まえる!」
「おー!」
チヨ子は小走りのスピードを少し早める。滋行と横並びになり、公園の奥地を目指した。




