383 物知り教授の車内授業
ちょっと高い素麺みたいな白色だ。チヨ子は失礼極まりないとは理解しつつ、思わず脳波コン側の「口」で呟いてしまう。
<真っ白>
<白亜教授ってだけあるな>
一瞬ノイズが混ざった。続けて声がする。
<トレードマーク、と言うやつだ>
<……なっ!?>
「へ?」
上智大の三人組とチヨ子だけが入っている部外秘なチャット室で交わしていた会話に、突然渋い男性の声が音声として流れてくる。
<不用心だな>
<だ、誰だ!>
「もっと鍵を長くした方が良いだろう。これではドアの薄いトイレで喋るようなものだ」
今度はチヨ子の前方、生の声で聞こえてくる。
「……白亜教授?」
「いかにも」
もうすぐ結べそうなほど長いボブヘアの白髪を海風に靡かせる男性は、よく見れば老人だが肌艶が良く若く見える。落ちくぼんだ目にはクマが浮かんでいるが、それを差し引いてもやつれては見えない。白髪と合わせてやっと「おじいさんかな?」といった印象で釣り合うだろう。
教授というからてっきりスーツか白衣かと思っていたチヨ子は、スノーボーダーが着ていそうな防寒ジャケットとライトブルーのジーパンを合わせたラフな身なりに笑みを浮かべる。とっつきやすそうで、頼めば助けてくれそうな気配だ。
「あの、アタシ林本といいます! 迎えに来たんですけど、その前に……」
「ログは見た」
「え?」
「話は聞いていた、と言っている」
白亜教授はジャケットの胸ポケットからミントタブレットのような薄い板を取り出した。ガジェットだろうか。チヨ子は一層、ぬいぐるみのミルキィを胸に強く抱き込む。直せるスキルを持っている前提で来たが、やはり本物のようだ。期待が跳ね上がる。
「良いサンプルになりそうだ。買い取ろう」
「……買い?」
「買い取ろう。いくら欲しい」
胸ポケットから取り出した板から、白亜教授は細い棒のようなものを取り出した。さらに板の一部が磁石繋ぎのような動きで外れ、パーツとなって棒の先をはめ込まれる。教授はそのまま反対側の先を口へ咥えた。
息を吸うと電源サインボタンのライトが強くなり、口を離すと弱くなる。口から白い煙がぶわりと吹き出し、やっとチヨ子はそれが電子タバコなのだと理解した。嫌煙家の一家に育ったチヨ子が遠目でしかみたことのない嗜好品だ。
「五十万でどうだ」
この男が何を言っているのか、チヨ子は全く理解できない。外国語より不思議な言葉に聞こえる。
<なに。マジ宇宙人>
「パスポートは持っていないがな、お嬢さん。ワシは日本人だ」
筒抜けだ。
「白亜教授」
背後から聞こえる声に、チヨ子は心強さを感じて思わず数歩下がった。滋行がすぐ側にいる。国彦も小走りにやってきて、身分証のようなカードを懐から取り出した。
「はじめまして白亜教授。えーっと、私たちは日本電子警備株式会社の……」
「知っている。ログも見た。それに五郎の弟から話は聞いた。車はそれかね?」
「え、あ、まあ」
たじろぐ国彦を押しのけるようにして、白亜教授はずかずかと車へ向かって歩いていく。顔が見えなくなり、背中が遠くなった辺りでやっと国彦と滋行が荷物を持とうと動き始めた。
チヨ子は頭の中でぐるぐると考える。
まず、話の途中にも関わらず勝手に話を切り上げるのは嫌いだ。そして、チヨ子のぬいぐるみAI・ミルキィが危機的状況にあると分かっている様子にも関わらず「買い取る」とはなんなのか。チャット上で家族だと言った発言は見ていないのか。都合よく見えないフリでもしているのか。性根が腐ってる、ヒトのココロが無い。チヨ子は段々腹が立ってきた。
「……ちょっと!」
<ま、まーまー! 待ってね林本さん!>
<クセのある人だとは聞いてたけど、初対面開始五秒で即値段のつけられないモンを売買しようとするとか。しかもプライベートチャットを覗いたくせに罪悪感ゼロときたもんだ……>
国彦があからさまな態度をとるが、白亜教授は気にしていない様子で、そのままスタスタ車へと歩いていく。
「あの! この子はアタシの大事な家族で、売ったりとかそういうのは!」
「バックアップはいつとった?」
車のトランクを空けながら、振り返ることなく訊ねられる。話がよく飛ぶのは癖らしいが、その場その場で受け答えするのが精一杯なチヨ子は慌てる。
「え? えっと、縫い目を解いたり綿を裂いたりしなきゃいけなくて、そんな簡単に取れなくって……三か月くらい前に、マイスウィートベッツ入れた時かな」
「ならば三か月分の記録を保証しない。それでいいのであれば、調査後に返還する」
「元に戻してほしいだけなんだけど」
「保証できない。意味消失しないことだけは保証する。だが三か月で集積された情報でソレは変化している。人間に言い換えれば『三ヶ月分だけ殺す』ということになる。ほほう、殺人の許諾を親に取るようなものか」
自分の発言に自分で感心している教授へ、国彦も滋行も苦笑いしながらチヨ子を制した。
<ちょっと我慢してくれ。物言いなアレだけど、一応クマちゃんはなんとかなりそうじゃないか>
チヨ子の眉間にくっきりとシワが刻まれていく。一瞬敵意をむき出しにして猫のように威嚇するが、すぐに顔を戻した。
「……ねぇねに頼むから、いい」
「無理だろうな」
「そんなことない!」
牙が戻る。敬語も忘れて噛み付くが、白亜はチヨ子に何の感情も持っていないような顔のまま続ける。
「時間が経てば経つほど処理は落ちる。熱を持っているだろう、それ」
言い当てられてびくりとするチヨ子に、白亜は視線をちらりと向けた。チヨ子は首にチリチリとした感覚を覚える。
「構成的に完全なスタンドアロン、クローズド環境であり続けられればいいんだが。どうやらポートそのものは持っているらしい。強引に入ろうとするものを制するだけでも処理が必要だ。マルウェアどうのより、熱暴走で落ちる方が早いだろうな。躯体や基盤が故障するかもしれない」
そこまで言うと、白亜は車のトランクに入った荷物を確認し始めた。入れ方が気にくわないのか、滋行と国彦が押し込んだ荷物を少しずらしている。
「まだ懸念があるかね?」
白亜は疑問なく、発熱しているぬいぐるみを診れると確信しているに違いない。悔しすぎるチヨ子は依頼する立場ながらしぶしぶ、心底不満げだと顔に出しながら胸へ抱え続けていたミルキィを傲岸不遜な男へ預けた。
「久仁子さんカナダなんですか」
「ワシも残りたかったのだが、本業もある。一旦つくばに顔を出す。あちらの動きも活発になって来た」
「あちら?」
「無論つくばのことだが。ん? 聞いていないか?」
茶色の子熊型ぬいぐるみを膝に乗せた白髪男性が、眼光鋭く隣に座る男子学生を見ている。現にその意図がなくとも、前方助手席から覗き見るチヨ子には恐ろしく見えた。学校の先生より教授の方が怖い。受かった大学にこんな教授がいたらどうしようかと本気で悩む。
「つくばって、ディンクロ……九郎さんが『上』って呼んでた人たちと違うんじゃないですっけ」
「上? ああ、晃の弟は圧力のことを上と呼んでいたな。つくばとは別だ」
「あ、圧力!? え、そうなの!? ほんとの上司じゃなくて?」
「代表取締役に意見できるのは株主だろう? そういうことだ」
「ひっ」
「大人って……」
滋行も力なく呟く。免許を持っていないチヨ子が助手席に座るのは、取得初年度の滋行を監督できず本当は違反なのだが仕方がない。教授のに座る方が嫌だ。そう駄々をこねて国彦を後部座席へ移したのはチヨ子だった。三人に増えて重くなった車は、ほぼ自動運転で滑らかに高速道路をひた走る。
向かうは茨城、古き良き実験都市つくばだ。
「ペーパーカンパニーを挟んだりしているらしいが、正体は化石級の政治家集団だ。外交を担う輩が多い」
「政治家って、国会にいてテレビに映ってるあの政治家?」
「衆議院だけではないが、その理解で構わん」
「ディンクロンは元々官僚だったらしいけど、お兄さんが元総理ってこともあるしかなり政治に寄って動けるポジションなんだろ」
滋行が正面から目線を外さずにチヨ子へと答えた。自動運転の精度が高く、歩行者のいない高速道路ではハンドルを手放してもいいことになっているためダラリと腕を降ろしているが、視線は正面のフロントガラスから動いていない。正しくは脳波コンで作業をする間、視野が狭まっているだけだ。そんなことで運転は大丈夫なのかと無免許のチヨ子は心配になる。
白亜教授は何気なしにポロリと、聞いたこともないようなことを言い出した。
「つくばはつまり、アメリカの北部一部地域に蔓延る何らかの意思だ」
「は? なにそれ、意味わかんない」
「北部一部地域とはまた限定的ですね、教授」
「……学生なら、そうだな……学校によって特色も風土も変わるだろう? それは集まった学生の生まれと育ちによってのものが大きい。意図的に選択し選り好みして風土を維持するのが入試の持つ役割の一つだ」
まるで学校の先生が行う授業のように聞こえたが、チヨ子は男の職業が大学の教授だと思い出した。
「アメリカ合衆国は州によって大きく態度が異なるが、米軍にも色がある。それ以外の商業や政治にも、アメリカを代表する団体であったとしても、意図的に差別しておけば色は自在だ。赤も黒、緑にも操作できる。つくばの中にごく一部、そう意図を持たせられた団体とその集団が存在する」
「げっ」
「それが『アメリカ北部の思想に染まった、つくばにある研究機関』……長いからつくばって?」
「そういうことだ」
「分かってるの? それがドコなのか。アタシ、姉がつくばに住んでるから分かるけど……広いんだよ?」
チヨ子は白亜を睨んだ。一つ懸念がある。姉である林本サキ子の職場がそうだと言われても反論材料がない。あまりにもチヨ子たち学生集団は無知で、滋行たちは鵜呑みにして無関係の会社をそうだと思い込む懸念もあった。
「見分け付くんですか、教授」
「いいや」
「えー……」
自信があるのか申し訳ないのかも分からない無表情できっぱり言い切った白亜に、国彦の呆れ声が続く。チヨ子はしかし何となく実感として「そうだろうな」と頷くだけだ。
「……そのアメリカの思想ってやつにどっぷりならともかく、普通ヒヨるよね。そう思えって言われても『日本』はそうじゃないんだから。確かに外国人多いけどさ、それでも半分は日本人だし、外に出たらアウェイってみんな知ってるでしょ? ヒヨるに決まってるって。断定なんて出来ないよ。言うことコロっと変えるんだよね、そういうやつってさ」
学校でもそうだとチヨ子はため息を混ぜた。チヨ子のグループがどう思おうと、制服を着ている以上学校のルールから逸脱しようとは思えないものだ。
<林本、お前教授のこと嫌いなんじゃないの?>
<嫌いだけど言ってることは分かるっていうか>
「む、ヒヨるとは日和見主義のことだな。日和見でどちらにも転ぶ上に、その予兆は微々たるものだ。ネットのアクセスログで検索先がどの色か調べれば何とかなるだろうが、AIに調べさせるとなるとアメリカ北部のページだけでフィルタするのでは少々足りない。既に彼らは何年もの間、様々なコミュニティに影響を与え、時に工作活動を行い、日本のオンライン上に蔓延っている」
「ま、まるでテロみたいな言い方ですねぇ教授」
「これが長期のサイバーテロ以外になんだと言うのだ」
チヨ子に実感はなかったが、隣の滋行がギリギリとハンドルを強く握る。
「グリーンランドのアレ、夢だと思ってたのに。思えてたのに」
「地獄だった……アイツら、もう、日本で? 日本の中にいるってのか?」
「ほう。あそこにいたのか」
車内の空気が一気に重くなった気がし、チヨ子は思わず息をひそめた。
「アレはその、例のアメリカ北部の思想ってやつなんですか? それがドローンで俺らを襲った奴らの正体なんですか?」
<襲われたの!?>
チヨ子はチャット欄で驚きの声を上げる。
<そうだよ、命狙われたんだよ!>
ドローンが銃を撃つ光景など想像もしたくない。邪悪、とチヨ子は目を塞ぐ。彼らが恐ろしい状況に立っていることをようやく認識し、チヨ子自身はただ一つ、自分の所有物であるミルキィが奴らの手で熱を出している現状だけを身近に感じていた。
「語弊があったか。アメリカ北部一部地域に端を発するが、すでに思想は歩き出している。どこが中心点になっているか不明だ。今この時、アメリカ人が手綱を握っているとは限らない。今後も同一人物かどうかなど確証はない。国単位で責めるのはお門違いというものだ……君らやワシを日本人でくくると全員『日和見主義で債務を履行している罪人』と言う括りになる」
「罪人!? なにもしてないよアタシ!」
「叫ぶな、聞こえている。例えだ」
「債務……罪人?」
「アメリカ北部とワシが言っているのは、事の発端、全ての始まりだからだ。思惑を持つ者たちが債権者となった末に、債務を負うのは日本人となった。日本人は連帯債務と向き合う必要があった。債権者は今もアメリカ北部に存在するのだが、思想そのものは場所を問わない」
話が難しくてよく理解できずにいるチヨ子だが、ヤジは飛ばせない。責務がなんなのか分からないが、なにかを負わされたということか。日本人だというだけで。唖然として、白亜個人に何の感情もわかない。
「全員が自覚的に債務を負う必要はない。そう判断したのは晃だ。お前たちの言う晃の兄、元総理の晃五郎だ。ワシはヤツを良く知っているが、完全な合理の末に国民感情を数字で見比べ、個人の情を捨てた男だ。ワシも晃は正しかったと思っている」
「……情を捨てたって、それ」
<倫理を捨てたってことか!>
国彦がチャットの方で叫ぶ。
「晃の弟は正しくないと思った。債務を負う必要すらなく、奴らの債権は無効、被害者ではなく加害者だと断じた。晃は今も昔も、そう言える立場にない。だから弟の行動を黙認している。それこそ、お前たちの目撃した戦場だ。債務は義務だ。義務を放棄したのであれば、行きつく先は……」
車のエンジン音が一段静かになる。
「戦争だ」
「もうとっくに、俺らにとっては戦争ですよ」
国彦が低く唸った。白亜は無表情のまま、真っすぐ前を見ている。インターチェンジへ滑り込む車がどんどん速度を下げ、一般道へ下っていった。
信号で止まってから一拍の後、白亜が静かに口を開く。
「ワシが知りたいのは真実だ。老人に主観を求めるな、戦争屋の若者」
「ハァ……佐野さんが俺らを迎えに寄越すの嫌がった理由、分かって来たぞ」
滋行が赤信号を見つめたままハンドルにもたれかかる。ため息が深い。
「教授。貴方は一言も『つくばを倒しに行く』とは言っていませんね」
「うん」
「何しに行くんで?」
「カナダでの件で、向こうからコンタクトを取ってくるはずだ。ワシはただ会ってみたい」
「会う。会って、喋ると?」
「うん」
「……カナダで、何があったんですか」
「集積していたデータを一次的にまとめていたサーバーがダークウェブ接続だったから……」
「から?」
「後でどこからでも見れるよう、オープンに接続し直した」
白亜教授がおもむろにシートベルトを外す。走行中にはあまり聞かないカチリという音が車内に響き、国彦も滋行もうろたえ始めた。
「え、ちょ……なんでベルト……」
「犯人が極秘にしてたデータを閲覧可能にしたってことか!? オープンってどこまで。誰まで!」
「アレくらい、お前たち一般ユーザーでも探せば見つかる」
「ほあっ!? 不用心な!」
「じゃあ犯人っつーか、思想カブレ? そいつら怒ってるんじゃないのか!?」
白亜教授に国彦が詰め寄った瞬間、突然滋行がハンドルを有人操作に切り替えグンと切った。直線を走っていた縁石に乗り上げかかるほど蛇行し、自動運転システムがびーびー音を立てて遺憾の意を示す。
「きゃ」
チヨ子は上部の手すりを握りしめる。身体が横に振られ、膝を縮こめて吹っ飛びそうになるのを耐えた。
「シゲ!?」
「前!」
急ブレーキで胸を強く押される。シートベルトが喉の下から腹にかけてピンと張っていて、チヨ子はベルトをしていたことにかつてないほど安堵した。そしてつい先ほど命の恩人に値するシートベルトをわざわざ外していた男のことを思い出す。
「教授! ミルキィちゃん!」
隣で滋行がアクセルを強くベタ踏みしつつハンドルを左にきっている。座席が動く映画のような荒っぽい揺れに耐えながら後部座席を見ると、一人しかいない。
「え、えう、え、待って!? 止まって!」
車のドアが開いている。開け放ったまま教授は走り出したらしい。慌てて座り直して前方座席の窓から探すが、よく見えない。
「教授降りたぞ! 急ブレーキの反動で飛んでいった!」
「大丈夫なのそれ!」
「ほらあそこ!」
国彦が開いていたドアを閉めようと一生懸命手を伸ばしつつ、窓の先を見ている。チヨ子は慌てながらシートをつかんで姿勢を高くすると、先ほどまで見ていたライトブルーのジーパンが見えた。教授だ。
角を曲がりすぐ見えなくなる。
「追いかけよう!」
「その前に前! 前前前前!」
滋行が歩道に片側の車輪を乗せながら走る。少し進めばコンビニの広い駐車場があり、滋行は歩道からフラッと車を入り込ませた。瞬間チヨ子の耳に甲高いモーター音が響く。窓の外からだが音が大きすぎる。近い。
「ドローン!」
プロペラの静音性を捨てているドローンだ。チヨ子の世代では当たり前のエチケットとして静音性は重視されているはずだが、これほどうるさいのは運搬専門か街中での運用を考えていない工場用のものくらいだ。
「二台いる! あと一台はさっき体当たりしてタイヤで潰してやったぜ」
「さっきの急発進!?」
「白亜教授追いかけつつコイツ無効化して回収、前みたいにハッキングだ! 林本は運転!」
「え」
「教授、あのぬいぐるみ持ってったぞ! どうすんだ!」
「え、ええ、えええ!? ちょ、待って……」
訳がわからない。ドローンがぶんぶんうるさい。後部座席の国彦がドアをバタンと勢いよく閉めてから、大声で「銃口一つ! ゴム弾、ガスかな! 当たると死ぬ!」と叫んでいるのもうるさい。エンジンがふかされ、駐車場内で勢いよくUターンし道路へ飛び出した。一時停止しなかったことを車がバイブレーションで叱ってくるが、滋行は無視している。
「シゲ、あっち! そこの細道! マップにポイントつけるぞ……あ、教授のこと追ってってくれるか? ヨウタロー」
<おうよ! ミルキィちゃんのGPS掴んでるぜ。頑丈そうだ。捨てられないかぎり追い続けられそうだな>
大事な名前と、非道な「捨てる」というキーワードを聞いたチヨ子は突然何もかもどうでもよくなった。こめかみのあたりがスッキリとしている。モヤモヤしていた焦りが一気になくなり、視界が開けて清々しさすら覚えている。目の前の一心「助けなくちゃ」とだけ思っている。
<直接アタシに頂戴>
落ち着き払った手つきでボタンを押し、窓を開ける。パワーウインドウが小さく音を立てているが、外のドローン音とエンジン音でチヨ子たちの耳には入らない。しばらくし、寒くなった車内に国彦が気づいた。
「……うっわ! おいおい、危ないぞ!?」
チヨ子はその隙に、今時珍しいシガーソケット——白亜教授が愛煙家だと知っていた車の手配者が気を利かせたのだろう——を抜き、カバン
の中から整髪スプレーを取り出す。
「げ」
<ドローン引きつけて ギリギリまでね!>
赤と黒の警告色で巨大化させた文字情報を叩きつけ、チヨ子はシートベルトをカチリと外した。




