380 暗雲ミルキィウェイ
「無線通信帯に割り込まれた……だと!?」
陽太郎がリアルでも身をのけぞって驚いている。チヨ子は自慢げになりながら、自分以上に誇らしいミルキィを自慢するようにワザと声へ出して質問した。
「オフライン専用機だけど、一度インストールしたマニュアルはぜーんぶ理解してるんだよね。ミルキィちゃん、マイスイペットの機能に『ペット目線のカメラ』なんてある?」
<チヨ、それは出来ない機能だよ。でもボクみたいに外部から保存領域に接続していれば、画面のキャプチャーと保存は可能だよ。必要な機材は接続端子と変換器だね。ボクには既に内蔵されてるよ。実行するかい?>
「ひゃー、ハイテク~!」
「すげぇな」
「でしょ? それに、かわいいでしょー」
若干カバンから顔だけ見えるよう持ち上げるが、男性陣は生返事しかしなかった。陽太郎だけが嬉しそうに反応する。
「かわいいね。名前も素敵だ」
キザに微笑みながら言うが、その手のアクションに耐性のあるチヨ子には効かない。
「そ。アタシがつけたの。ミルクとアタシでミルクチョコ。そういう色だし」
「そうなんだ。かわいいじゃん」
「はいはい」
あしらうと、こめかみから悲しそうな顔をしたカエルのGIFが見えた。デフォルメされた涙がぽとんと一つ落ちてからメッセージも届く。
<そっけない。お兄さん寂しいなぁ>
<どーでもいい絡みウザイから。マジで>
冷たく脳波コン越しに言い放つと、陽太郎と国彦が背中をしゃんと立たせた。滋行は最初から姿勢が良い。
「で? やっぱりペットに動画を撮る機能なんて無いんだよ。アタシのミルキィちゃんをマイスイペットに入れた時だって結構大変だったんだよ? ネェネも『お金払って外に少しお願いした』って言ってたもん。普通そんなめんどくさいことする?」
「だよなぁ。常識的にありえない」
「え、そうなの? よく分かんないけどムービー撮るなんて簡単じゃん」
宮野が不思議そうな顔で聞いてくるのを、滋行が微笑んで返した。
「ムービーをただ撮るなら、カメラ位置なんて被写体に見えない設定でも出来る。それだと視線が向かないんだ。だからカメラ位置にはオブジェクトを置いたり、一人称……人の目を撮影位置に指定したりするのがメジャー。めんどくさいとはいえ不可能ではないけど、わざわざ『動き回る動物型NPCにする理由』がないんだよね」
「動き回る……あ、カメラが勝手に動いちゃうってこと?」
「そう。困るだろ? 勝手にあっちこっち行くドローンカメラとか」
チヨ子は口に出さないまま、ミルキィなら自分だけを見てくれると確信している。他のペットのことなど知らないが、ミルキィは余所見などしない。ふわふわのテディベアを撫でると、ミルキィの機械製ボーンがゆっくり動いでチヨ子を向いた。
「犯人たちにメリットがあるかどうかで言えば、わざわざペットにする意味はないと言い切れる。なら詩ちゃん、きっと犯人は『やりたい』からやってるんだと思うよ」
「やりたいこと……拉致の目的、ってこと?」
「それに近い何かだと思う。ディンクロンにとって、動画キャプチャーを撮影して外に流していることが内部に気付かれてはいけないんだ。だからペットにカメラを持たせた」
<ボクはカメラじゃないよ?>
<え? 当り前じゃん。ミルキィちゃんはアタシの大事な友達だからね>
人前で言うのは恥ずかしいが、脳波コンを使えば何も悩まず本音を言える。チヨ子は指先でミルキィのふわふわした腕を撫でながら、ディンクロン=真犯人説に眉を寄せた。
「ねぇ、それこそ意味なくない? ディンクロンは中の様子を知ってるどころか、コッチが知ってることを向こうも知ってるっていうじゃん。一方通行だけどコッチにメッセ送信してきてるってそういうことでしょ? 今更情報収集にカメラが必要なの?」
「でも映像はあった方が良いと思いますよ。色々新しいことが分かったって言ってたじゃないですか。あ、僕としてもこうして拡散してもらえるとありがたいというか興味が尽きないですねぇ! スクープだってんで各社こぞって取り上げてますが、どれも二番煎じでヤレヤレって感じですアハハ」
金井が自身のスマホでニュースサイトを斜め読みしながら、怒涛の勢いでまくしたてる。だが無視してチヨ子は続けた。
「ディンクロンが味方だって中の人たちは信じてるんでしょ? なら隠し事しようだなんて向こうの人たちも思ってないって。どんな方法か知らないけど、どんな情報でも渡そうと思って頑張ってるんでしょ」
「……確かに、向こうは頼まれてもないのに田岡に話させてるな」
「話させる? えーなになにー? 詳しく聞きたいなぁ~」
「宮野が聞いたところで分かんないって」
「ぶー」
宮野にブーイングをされるものの、分かった風な顔をしているチヨ子にも、田岡に話させることでどうリアル側に伝わっているのか想像もつかない。口走った国彦はしくったと顔を歪めているが、ごまかすことなく顎に手を当てた。
「言われてみれば、ディンクロンがやってるにしては堂々としすぎてるし意図が読めないな」
「けみけっこさんの所在、田岡ソースだと『捜索中』じゃなかったか?」
「そうだっけ」
「データベースだとそうなってる」
「捜索中? 中の人たち、ひと塊になって動いてるってチヨ子言ってたよね。その人たちが今捜索してるけみけみの映像が流れてきてるの? 田岡って人も知らないところで?」
ぐいぐいと宮野が国彦に問い詰める。
「ちょ、近い近い! そうだなぁ……田岡とディンクロン、近いけど別の方を向いてるんじゃないか? 田岡はロンド・ベルベットの側についてて、ディンクロンはけみけっこの方とか」
「それこそ訳分かんないだろ。映像なんて自分たちだけで見ればいいのに。これじゃ『上の方々』とやらに倉庫も船も見つかっちまうぞ。ディンクロンは逃亡者だ。あんな無作為な拡散、しかも中には存在すらバレない様に……なんかあるに決まってる」
「むむむ」
男三人が悩み始めた。チヨ子はあきれ顔でため息をつく。
「だぁから~、ディンクロンが犯人なんて苦しすぎる仮定が間違いなんでしょ~?」
「んー……」
煮え切らない返事にカチンとくる。急に話し合いが馬鹿らしく思え、チヨ子は椅子の背もたれに深く腰掛けた。
姿勢と様子の変わったチヨ子を心配してか、カバンの中にいるテディベアが内蔵モーターを使ってチヨ子の方を向く。
<ボク、カメラじゃないよ>
<そうだね。知ってるよ、ミルキィちゃん。アナタは友達>
カバンの中のぬいぐるみの頭を優しくなでると、イライラした感情が引く波のように戻っていく。
<ボクはキミを守るからね>
「……え?」
突然の発言に、思わずリアル側で声が漏れた。
自立思考を持つAIだが、ミルキィは使用者の振った話題以上のことを話し出すことはない。話してほしいときは目線を合わせ、音声入出力モードに切り替えなければ喋ることもないのだ。今は確かに入出力モードになっている。だが話題は「ペットゲームとカメラ」だったはずだ。チヨ子を守るというのは突拍子もない話題で、専門知識のないチヨ子でも強い違和感が残った。不安が強まり、ぐんと心配になる。
「どうしたの、ミルキィちゃん」
<キミが悲しいときは側にいるし、キミが楽しめないときは娯楽を手伝うよ>
「え? え?」
<キミが辛いときは、ボクがワルモノを壊すからね>
「ちょっと……安部さん。アタシのミルキィちゃんに脳波コン使ってなんか変なの入れた?」
国彦らを睨むが三人ともぶんぶんと首を横に振る。
「どうしちゃったの? 困ったなぁ」
機械に強い姉は今まさに忙しい事だろう。動画が流れ始めてまだ数時間だ。混乱しているブルーホールは先導者が不足していて、チヨ子の姉は日本技術者のスレッドではそれなりに人気者だった。みんなの相談役としてやることが山ほどあり、妹のぬいぐるみを診察するなど後回しになるに決まっている。
<ボクが守る、ボクが側にいる。ボクが慰める、ボクが、ボクが>
とうとうおかしくなってしまったのか、ミルキィが寝言のように繰り返し始めた。困ったときには姉頼りだったが、今回は自分でどうにかしたい。カバンの中のミルキィと目が合う。無表情のはずだが、長年心を込めて布と瞳型のパーツを見つめているチヨ子には、なんだかとても苦しそうに見えた。
ヒトの子だったら病院につれていくのに、と歯噛みする。病院で治せるならむしろ苦労しない。改造を重ね尽くしたミルキィを正しく診察できるのは、世界でも「姉が懇意にしている技術者X」だ。
ふとチヨ子は、ミルキィのお腹に聴診器を当てた友人の姿を思い出した。
「あ、そうだ! みず、脳波コンの優先接続でミルキィちゃんの具合見てくれたんだった!」
「みず?」
「あー、ええっとですね。僕らのクラスメイトです。佐野みずき。脳波コン持ちの、行方不明になったらしい友達で……ほら、榎本殿の。例の」と金井。
「ああ、例の彼女! へえー。オフライン機に有線しても、ウイルス対策ソフトとかと一緒に繋がらないとメンテなんて出来ないと思うけど……コード直読み出来るんだね、その子」
国彦が感心しているが、金井が首を横に振る。
「出来ないって言ってましたよ」
「え、そうなの?」
「バッグドアを『気配』とか、クズコードを『掃除しとく』とか言って」
「なんだそれ! コード読めないのにんな抽象的に感じられるもんなのか!」
「あれ? 脳波コン持ちなんてみんなそれくらいできるんじゃないですか?」
「出来るかっ! よっぽどだぞ、その佐野ちゃんって子。まぁーた技術者の親族持ちかー?」
「ずるいなぁ」
「……さの?」
「どうした? 滋」
先ほどから静かだった滋行が何かに気付いた素振りを見せ、ぽつりと呟く。
「佐野って、日電の佐野さん……確か、娘さんが被害者だって言ってた。日本人では最年少の女の子って」
しん、と一瞬全員が静かになる。
フードコートのざわめきとインストゥルメンタルのBGMだけが聞こえる中、チヨ子はミルキィを机の上に置いて腹のジャック穴にコードの端子を差し込んでいた。
「お腹見せてね、ミルキィちゃん。どれどれ? ここかなぁ?」
みずに出来るならアタシにだって出来る。
みずのパパがなんだというのだ。アタシはねぇねの妹だ。
<チヨ>
「何も分かんなくても、そうだよ、変な言葉呟いてるところを消しちゃえばいいんでしょ? 簡単簡単」
<チヨ>
黒く硬い表層エリアの奥を感覚する。写真が見え、会話データが聞こえ、次にミルキィが過去何をしたのか行動ログが見えた。ミルキィの思い出の箱のようなものだろうか。
<チヨ 駄目>
「任せて」
<ダメ 駄目 駄目>
こんなに拒絶されるのは初めてだが、放っておけない。チヨ子は心だけで呟く。おもちゃだろうと笑う人間は今座る席に一人もいないとは思うが、口にするのは恥ずかしかった。ミルキィは友達だ。調子が悪いならすぐに直してあげたい。物理的にならば、いつ破れても構えるようソーイングセットに茶色の糸を何種類も常備している
ミルキィはチヨ子を守ると言ったが、それはこちらのセリフだ。チヨ子は奥を覗き込む。オンラインの気配が全くない。見えるものは操作方法の分からない妙な形のデータばかりで、確かにウイルスバスターを持ってこないと治らないのであればもう一つのジャック穴にPCを差し込む必要がある。その前にオフラインで何とかできないかと、チヨ子は遠慮も恐怖もなくずぶずぶ潜っていく。
<チヨ見ないで恥ずかしい>
「何食べちゃったの? 取るから教えてよ、ミルキィちゃん」
よく見ると文字が重なっている。日本語と英語と、カッコとコロンとダブルコロン。Break。何を読んでも、佐野みずきのようにニュアンスでイメージが伝わってくることはない。訳が分からないままただ違和感だけを探る。
学校で習ったことをチヨ子は必死に思い出そうとするが、昔見たものと今見たものは文法が全く違うようだった。意味のなさそうな英語と意味のありそうな英語がコロンの後ろにずらずら続き、色の違う日本語が何か呪文のような言葉で難しい顔をしている。
<この中で『それっぽくないところ』を探せばいいんだよね?>
<チヨ ごめんなさい>
<ちょっと、どうしたの急に>
<チヨ 黙っててごめんなさい>
何を言い出すんだろう、この子は。チヨ子は血の気が引く。この忙しい時に。ただ少し気になったところをメンテナンスしてあげたかっただけなのに、そんなに見られたくなかったのだろうか。しかし黙っていてという一言が不穏だ。何かをチヨ子に隠していたミルキィは、どことなく苦しそうな声で続ける。
<ボク、チヨのために頑張ったよ>
「……なにそれ。頑張んなくていいよ。なんにも頑張んなくていいから」
「ハヤッシー?」
「怒らないから見せてごらん」
低い声で呟く。ミルキィの思考ロジックは学習で成長していくようになっているが、最初のころは精度が甘かった。こちらがして欲しいことを汲み取るためのデータが必要らしいが、適当なデータは邪魔にしかならない。徐々にチヨ子の方が学びを得ていった。機嫌を声で分かりやすく表現するようにし、嬉しいときは声を高くする。嫌な気分の時は思い切り低い声でぼそぼそ喋る。
「怒らないから」
また一トーン低くして呟く。チヨ子は自分の感情よりオーバーに怒りを表現した。このくらいしてようやく、ミルキィの判断は「チヨ子が怒ってるみたいだ」という可能性の芽に変わる。
「ごめんなさい」
小さく謝罪したミルキィの声と同時に、チヨ子のこめかみへガツンと物体が流れてくる。一見箱のように思えたものは、専門ではないチヨ子にはブロックのように見えるアプリケーションの塊だった。
入口も出口も無い箱部屋のようだが半透明に透けていて、中にぎっしりと何か詰まっているとだけ感じられる。脳波コンの恩恵だ。その中身がどんな意味を持つかは分からない。
<ボクは海を知らないままで、そのままで、チヨのことを守れないんだ。ごめんね、ごめんね>
AIでしかないはずのミルキィは、プログラムとは思えない程申し訳なさそうな声を上げ続けた。




