379 噂の後ろ姿
A4サイズの授業用資料をひっくり返しただけの紙だが、今まで調べてきた事が細かく書かれている。脳波コンを持たない一般人の宮野や金井にとって、他の一般人へ「何が起きているのか」を伝える貴重な資料の一つだ。
チヨ子は脳波コンを持っている。家に帰れば姉からのお下がり品であるフルダイブ機がベッドの脇に置かれていて、有線ヘッドセットを繋いで横たわれば深い感受が出来るようになる。チヨ子はもう脳波コンを持っていない立場が想像でしか分からない。宮野たちへ理解してもらうにはとにかく話すしかない。チヨ子は幾度となく確認を繰り返す。
「分かった?」
「なんとか~」
宮野が紙を必死に眺めている。映像に映っているアバター姿の名前と、現実で行方不明になっている被害者の名前をイコールで結んでいく。探しているチヨ子の学友である佐野みずきらしき人物はまだ見つかっていないため、紙の中央に書かれた佐野のイコールの先は空欄のままだ。
「これ、もう一般のSNSとかに流していい情報なんですか?」
「いいよ」
「むしろこっちから頼みたいくらいだよ、詩ちゃん」
「りょーかいでーす! あ、みんなのデバイスにもどんどん流れてきてるみたいだけど、動画の方は集めたりとかしなくて本当にいいの?」
チヨ子に振り返る宮野へ、レモネードを飲みながら首を振る。
「いーのいーの。動画降ろすのはこの人たちのインターン先の仕事」
「およそパターンも読めてきたんだ。複数のカメラで撮影した同時刻の映像がコッチでも同時刻一斉に流れ始めるってのと、誰が撮ってるのかってのは」
陽太郎がさらりと言った情報に、金井と宮野ががぜん食いついた。
「えええっ!?」
「これ誰が撮ってるの!? 犯人!? 犯人分かってるの!?」
「興奮しすぎ」
「あはは。カメラのサイズ感で分かるんだ。これは感覚だから証拠ってわけじゃないんだけど」
「サイズ感? どういうこと?」
宮野が懐からスマホを取り出し、動画サイトを立ち上げトップ画面をスクロールした。ニュース番組だけでなく、オンライン上のトップニュースから眉唾な解説サイトまでこのスパム動画一色だ。まだ五時間少々しか経っていないが拡散のスピードが速い。どれもちょっとずつ違うものの、背景が雪の白で染まっている点は共通している。
「ああ、それとかいいかも。クリックして見てみろよ」
「え? うん」
宮野がスマホの両端に掛かっているロックを片手で外した。ロール状に格納されている液晶フィルムを伸ばせるよう、外枠を幾分か広げて再度ロックをする。手帳ほどの大きさまで広がった拡張画面へUIが引き延ばされ、サムネイルをタッチすると全画面表示で動画が再生された。
全員で覗き込む。流れている映像は、画面のほとんどを雪山を降りていく女の背中が埋めている。
「お、この人ソロの!」
「ガルドさんとたまに組んでた野良の人だ。分かりやすすぎるな」
「えーっと、名前」
<一覧一覧……あった。けみけっこ。一緒にいるのはジョーだと思われる、か>
<思われるぅ? 適当すぎない?>とチヨ子。
<ジョーはきっと『カメラを持ってる奴』を持ってるんだ。ちゃんとは映ってないってよ>
「けみけっこ、すぐ分かるな。ニワトリヘッドにセクシー系装備」
「後ろ姿で一発ってのもすげぇ……」
「名前知らなかったけど」
「マッチングしないし遠巻きだし、ログイン率低いし」
「ロンベルのヴァーツとは仲良かったな」
チヨ子には全く分からない単語が飛び交うが、動画の中に映る女性の名前は分かった。
「けみけっこさんってこの人?」
「ああ。フィールドからして極東にいるのは分かるけど」
「そういや極東って変だよな。他の人たちと位置違いすぎ」
「それは救急九課が精査中だってよ。各個人の背景をマーカーにしてマップに立ててるとかなんとか」
「キューカってアイアメインだろ? アイツじゃなくてアイツのシンパが調べてるんだろうが」
「ハハッ! 当たり前だろ? アイアメイン、適当ぬかしやがって。膨れ上がった新規ユーザー引き連れて何しようってんだ」
「全くだな」
三人組がぶうぶうと文句を垂れる。チヨ子もアイアメインの人となりは知っている。ブルーホールで圧倒的存在感を示す三流ネットアイドル、とでも呼ぶべきか。国彦ら三人が嫌っている理由も知っている。
嫌いだと言いにくい空気があるのだ。田舎らしさを隠さない口調におどおどした態度。アイアメインはまさに不遇な聖女だった。弱者を批判するのはいただけないとチヨ子も思うのだが、三人の言い分も理解できる。「アレを腹黒だと思わない方が変」
「なになに、女の話?」
「宮野は食いつかなくていいの。絶対嫌いだろうから」
「それは逆に気になる!」
「金井はうっかりハマっちゃいそうだけど」
「イエ。二次元でも中身があるものは全部NGなので、大丈夫です」
きっぱりと拒否を示した金井に合わせ、宮野とチヨ子も画面の中の女に注視した。
宮野の拡大スマホで流している動画には、先ほど三人組に「けみけっこ」と呼ばれた女アバターの背中ばかりが映っている。
「カメラに詳しい奴の話だと、このアングルはほとんど『胸』か『肩』、たまに『頭』から撮影されてるんだとさ」
陽太郎が指で液晶の真ん中をつっつく。フィルム状の液晶が押されて波打つが、すぐに形状記憶でピンと形を整えた。
「この動画にはラベルで『胸』って貼ってあるから、ジョーは胸にカメラを抱えてるんだ」
「正しくはカメラを持った何かを抱えてる、だな」
補足する滋行に全員の視線が集まる。
「何かって?」
「知るか……と言いたいところだが、他の動画にはヒントが映ってたぜ」
にやりと笑って滋行は両手を丸の形にした。バスケットボール程度の大きさだ。最後に指をかぎ爪のように曲げ、わきわきとジェスチャーする。「動物だ」
チヨ子は話の流れに頭がついていかない。
「え」
「なんで動物なんですかぁ?」
「理由は知らない。ただな、フルで見るとたまーに映るんだ。毛が」
「毛のついたカメラじゃないの?」
「えーっと、カメラっていうのは便宜上言葉にするのに便利ってだけなもんだから。正しくは、スクリーンショットかキャプチャー機能を持ったアバターの視点、だよ。目そのものってこと」
国彦が割って入り補足をする。
「見れる俺らが小さくなる感覚の戻りとか、鼻が伸びたり足が縮んだりする感じとか……動物としか言いようがないんだよ」
ブルーホールでフルダイブの感覚を経験しているチヨ子にはなんとか想像できたが、宮野と金井はよく分かっていない様子だった。いい例えが無いかと考えるが、語彙力はともかく例えるのが難しい。チヨ子は結局、似た分野の映像を思い出しながら解説を入れる。
「ほら、ARとかの眼鏡かけてる人が撮った、本人視点のムービーってあるじゃん。ARイベントの違法アップ動画とか」
「あー……」
「でも眼鏡に毛が掛かってるから動物って、なんか安直じゃないですか?」
<詩ちゃん、案外毒舌……>
<え、普通普通。アタシのクラスみんなこのくらい言い合うから>
何をフォローしているのだろうか、とチヨ子は内心ため息をついた。「いや、それがな!? 鳴き声とか、話しかけたりとか、撫でられてカメラワークが揺れたり動物の手が映ったり! とにかくココで感じる撮影者の体感がそうなの!」
陽太郎がこめかみをトトトンと叩いてアピールする。
「何言ってるか全くわかんないんだけど」
「こればっかりは脳波コン持ってる人じゃないと分からないですね。動物の気持ちになれるってことでいいですか?」
「うーん、若干違うというか……」
「むしろ変身体験とでも表現すべきか?」
「なおさらややこしいですってばー!」
宮野がさじを投げた。滋行が真面目な顔で「とにかく」と仕切り直す。「多分、こうやって外に動画が流れてることを向こうは気付いてない」「え?」
宮野達だけでなく、動画をまだフルダイブ機で直接見たことがないチヨ子も予想外の言葉だ。三人組から「中の様子が分かる方法が一つだけあって、向こうもそれに気づいてメッセージを送信してる」とは聞いていた。方法は詳しく教えてもらえないのだが、チヨ子だけでなく、ブルーホール上で動き回る脳波コン使用者のボランティアたちは当たり前のように知っていることだ。向こうでは料理教室が流行っていて、アヒルさんボートレースで賭け事が行われ、中年の被害者数名が突然バンドを組んでギターを募集していることまで知っている。
どれもこれも、拉致被害者たちが「謎技術で外へ連絡が取れていると知っている」からこそだ。
「その人たちつまり隠し撮りされてるってことですか!」
「え? 隠し撮り?」
「違うんですか?」
チヨ子はてっきり、撮られていることは承知なのだろうと思っていた。今見ている被害者女性のけみけっこも、たまに目が合う。カメラを見ているのだ。
「隠し撮り、だな。ムービー形式で記録されてることには気づいてないらしい」
「ええっ!?」
「んで、それが日本全国のウェブサイトに無断でポップアップ表示されることも知らない」
「えええっ!?」
「それはなんとなく分かるけど、カメラ、目が合うじゃん」
「だから『動物』って言っただろ? 見られたら見返してしまうようなモノなんてそう多くない。話しかけてくる被害者もいる。そん時赤ちゃん言葉を使う被害者プレイヤーも数名確認済み」
赤ちゃん言葉を使って話しかけるなど、赤ん坊相手かペット相手かのどちらかだ。チヨ子はやっと想像出来た。フルダイブのゲームは念のために姉から貰ったフロキリを持っているが、他にもう一本、自腹で買ったものがある。
「マイスイペットみたいな機能、とか?」
「マイ・スウィート・ペッツだろ? そうそう、そんな感じじゃないか?」
「なるほど、なんか分かるかも」
チヨ子は姉に頼み込み、ミルキィちゃんをアバターにしてもらい遊んでいる。バリ島のラグジュアリーなヴィラに似た仮想空間でペットとホリデイを楽しむ海外ゲームだ。ミルキィちゃんは二足歩行モードのクマをぬいぐるみ風にデフォルメしたボディで、会話出来ないルールをいじくりまわし、強引にぬいぐるみ側の会話方法をねじ込んで喋るようにカスタムしている。
姉の言葉を借りて、チヨ子は知った風なことを言った。
「プロテクト、ザルじゃん? あのゲーム」
「え、そうなのか?」
「アタシもいじってペットじゃなくしてるもん。喋るテディベア~」
「ハヤッシーってば好きだよねー」
「脳波コン入れてマジ良かったよホント。おっきいミルキィちゃんのお腹の上でお昼寝したりして、もう最高」
「お腹に乗れるくらい大きいの?」
「だってクマのアバター剥ぎ取って上書きしただけだもん」
元はグリズリーという種類らしい。チヨ子は笑いながら、背もたれに引っ掛けていた学校指定のカバンを机の上に出す。ノート類が入っていない割には重いが、入れていたとすれば軽すぎる。メイクポーチとペンが一本、ソーイングセットは外国のレトロなマッチ箱に入れている。内ポケットに紙幣と硬貨で千五百円入れているが、財布は持っていない。全て電子化している。そして余りに余った空間には茶色いテディベアだけが入っている。
全身を出すのは恥ずかしいため、片腕だけカバンの口から伸ばして見せた。
「ご挨拶は?」
<やあ! 僕ミルキィ。よろしくね>
ミルキィは脳波コン持ち全員のこめかみへ向け、無線通信の音声データを強制的に送り付けた。




