38 仕込みのガイドブック
作戦の発動に先立ち、ガルドのプレイヤーである女子高生みずきは、早速ターゲットの前で行動を開始していた。
当初の計画では、「メールで海外旅行の話をしていたらうっかりクラスメイトにみられてしまう」というスタートを考えていた。しかし友人達はみずきのスマホを覗き込まなくなった。相手が彼氏だと広く知られた結果、スマホの内容に興味が無くなったらしい。直接聞けば済むのだからリスクを犯す必要がない。
しかしそれでは作戦にならない。みずきの彼氏への愛が海よりも深く、彼氏がいかに紳士的で常識人で尚且つ大人な男であるかを母にアピールしなければならなかった。みずきにはとても無理なことばかりで、どうしても友人の力が必要だ。
困った末に、唯一事情を知る榎本へ相談が行くのは道理だった。
「大根役者でもなんでもいいから、直接悩みを相談してみろよ。友達なんだろ?」
「なるほど」
相棒の助言をそのまま採用し、みずきは一芝居うつことにした。
横浜市、海沿いよりしばらく山側へ進んだ小高いエリアに建つ高等学校。
学校の一階に位置する場所にある食堂は、昼休みともなると全学年の生徒たちが集まり騒がしい。男子生徒が走って騒ぐさまや女子生徒の楽しげな語らいは、授業から解放された彼らの青春の一コマだ。
その一角で、みずきはクラスの友人たちと食後にまったりしていた。目の前には食べ終わった日替わりランチと、次のコマに使用する化学の授業セットが鎮座している。
みずきのランチはブリの西京漬けだった。だが、周囲を見渡してみるとパスタやカレー、ラーメンなどの定番メニューが多い。日替わりランチが魚の日は、生徒たちの人気が激減する。それでもみずきはマイペースに西京漬けを堪能した。
「みず、それどうしたの?」
みずきのニックネームを、向かいに座る茶髪の少女が呼ぶ。ゲーマーであることをひた隠しにする原因、校内で行動を共にしている数少ない友人の一人だ。
今風のきらびやかな女子、といった容姿をしている。くるくると巻いた髪をいじり、ビューラーでカールさせたまつげをパチリと瞬きした。名前は宮野というが、みずきは彼女の下の名前を覚えていない。
宮野が気付き質問したのは、みずきが教科書に挟んで持ってきたガイドブックだった。今はわざと隠しきれていないかのように教科書に挟んで持参したそれは、薄っぺらいが鮮やかな見出しとともに、ハワイに関する観光情報がぎっしり詰め込まれている。
「出張先がハワイみたいで、行きたいと思ってる」
だれが、とは言わなかった。
相変わらずみずきは、嘘をまるで正しいことのように喋るのが苦手だ。それでも問題なく通じるのは、事細かに作られた前提条件の嘘が上手く機能しているからだった。
「ああ~! 彼氏!? やだー最高じゃん!」
「恋人とハワイなんて夢みたいじゃない。いいなぁ」
宮野の隣に陣取るもう一人の友人は、静かでゆったりとした口調をしている。儚げな表情とロングの黒髪、赤の発色が強いカラーリップクリームに萌袖ニットがトレードマークの、名前を佐久間という。
「お金あるなら会いに行きなよ! 何年会ってないんだっけ?」
「えっと、多分二年くらい」
「うわ、そんなに? 遠距離恋愛きついわー」
「毎日会ってるけど、実物はそれくらいってだけ」
「あ、そっか。ネットでは会ってるんだもんね。でもリアルで会えないのはやっぱやだなー。忍耐強いよね、みず。えらい!」
二人がワイワイと盛り上がる中、みずきは内心ほくそ笑んでいた。面白いほどパターン通りの行動。この後、みずきが困った様子をすることで二人は加速度的に騒ぎ出すことだろう。そうさせるために、みずきは渾身のため息をついた。
「……はぁ」
少しわざとらしくなってしまったが、焦らずゆっくり脱力した演技で、ガイドブックをぺらりぺらりとめくってゆく。
あからさまに悩んでいるみずきを、噂好きで友人思いの二人はすかさず察知した。
「ちょっと! ハワイ旅行の予定組んでるところなのに、なんでそんなに暗いのよ! そこはテンション上がるところでしょ!」
「何かあったの?」
二人なりに励ましてくれているのだが、それでもみずきの表情は晴れない。
「みず? 私達、長い付き合いじゃない。言ってみなさいよ」
「……諦めようかと思ってる」
「ええっ!?」
「ガイドブック買うくらい本気だったんでしょ?」
ちなみにガイドブックはアキバのオフ会で購入したものだ。仲間で示し合わせて違う冊子を購入し合ったが、どれも似た情報しか載っていなかった。書店でジャスティンが大笑いし、揃ってそそくさと書店を後にした時の楽しさを思い出す。
思わず思い出し笑いしそうな口を、みずきはキュッと締めた。口を閉じたままほっぺたを吸い、口角を無理やり下げて悲しみを表現する。
「そんな辛そうな顔して……ここで言いにくいなら、放課後でもいいよ? 言ってみ?」
「そうね。私たちでよければ力になるから」
真剣な表情で相談に乗ってくれている二人に、自分で立てた計画ながら罪悪感に襲われる。そこをグッとこらえ、みずきは口を開いた。
「……ありがとう二人とも。聞いてほしい」
昼休みの食堂で、作戦で考えていた通りの内容を二人に話した。周りで昼食をとっていた生徒たちが、騒がしさから一転静かに聞き耳を立てているのがわかる。
予想以上の反応に、みずきは内心冷や汗が止まらなかった。




