376 若者たち
映像は突然、どこからともなく拡散された。
「この広告なに?」
「右上にあるバツ消してみれば」
「無いよ、バツもスキップボタンも」
「えー? 何それ」
スマホや脳波感受型デバイス機器、様々な機械のネットブラウザに割り込んできた。
「で、何の広告?」
「リンクもないし社名もないよ」
「意味なくない? それ」
ネットに依存する全ての日本人が、少なくとも一度は目にした。
「うわ長、まだ続いてる」
「飛ばせないどころか終わる気配ないじゃん。そんなの初めて見た。ウイルスなの?」
「詳しくないから分かんない」
「ほら、出番だよガリ勉くん。どうなの? 危険なの?」
「ええっ!? あ、と、トラップ踏んだのならもう手遅れですけど……」
「なにそれうぎゃーやだーもー!」
「電源切っちゃえ」
「ちょ、待ってください! あんまり安易に操作するとリンク先に飛ばされるようなケースも……なっ」
「な?」
「なんですか、これ……」
「こっちが聞きたいんですけどー」
動画の形で割り込んでくるが、ダウンロードは出来ない。止めることも出来ない。映像の中で明らかに場面が切り替わると自動的に切られ、普段通りのネットブラウザへ戻る。いつものSNS画面へと戻る。
「コレ! あ、あの! あ、宮野さんっ! ちょうどよかったコッチコッチ!」
「は? なに?」
「この人は見たことないですけど、これアレですよ、アレ!」
「だからなんだっての」
「フロキリ!」
「えっ」
「フロキリのアバターです! 背景真っ白ですけど、これって雪景色じゃないですか? それに武器に見覚えあるんで!」
「金井、それマジ? ちょっと見せてそれ」
マイナーなゲームのプレイ動画だと思う人間もいれば、白い画面で人が動いているだけだと思う人間もいる。ただ間違いなく、初めて見た瞬間気付くのは「事件の存在を知っている人間」だけだ。
「ま、マジじゃん! ちょっと!」
「ねーみやのん、アタシのにも同じの出てきたよ?」
「えっ」
「変なRTA動画だろ? 俺のにもさっき出たけど」
「ええっ」
「SNSでも流れてるっぽいよ、コレ。ツリー先のコメントに金井が言ってたフロなんとかって書いてあるじゃん」
「わっ、ホントだ……」
「何なに、いわくつきなの?」
「そのままほっとけば勝手に消えるぜ。ほら、俺のスマホ治ってるだろ?」
「あーよかった、ずっとこのままなのかと思っちゃった」
「……金井っ!」
「分かってます! あ、次の授業どうします!? 僕のところは自習なのでサボります! 直帰です! あ、一度言ってみたかったんですよ『直帰しまーす』って。ほらドラマとかでよくあるじゃないですか、サラリーマンが使うやつですよ。僕将来営業はあり得ないですけど外で取材とかしちゃったりする仕事に就こうと思ってるので、外回りして直帰とかってあるんじゃないかなーなんてアハハ」
「ウチらなんだっけ~。数学だっけか」
「数B! よしサボる!」
「おおー!」
「ちょ、えっ? どうしたの二人とも」
「あ、ねぇねぇ。さくちんどこいったか知ってる?」
「え~トイレかな~」
「帰ってきたらウチらオーロラモールのいつものフードコートにいるって言っといて!」
「いいけど、ほんと突然どうした?」
「あっ、林本さんはどうします?」
「言わなくても来る。コン持ちが気付かない訳ないじゃん」
噂は光と同じ速度で広がっていく。
「宮野ー! ちょっと顔貸し……あれ? 見た? アレ。気付くの早いね」
「ハヤッシーもほらカバン持って」
「気付いたの僕ですからね!」
「そんなのどうでもいいから。詳しい人は気付いてる? 知らせたほうがいい?」
「慌てなくてもメッセで今やりとりしてるところ」
「詳しい話聞けたりしない?」
「なんかー、横浜港に用事あるんだってさ。こっちに寄ってくれるって。すごいラッキー」
「え、港? なんで港?」
「人を迎えに行くとかどうとか……うん……うん」
「ぼんやりしてるね、林本さん」
「潜ってるな、これ。いいや。引っ張って連れてこ」
「荷物持ちます! うっわ重、意外にも教科書ずっしり。林本さんの方は想像通り軽いけどね。これなんだろ、コンセント? ああコテってやつかな。半田ごては持ってるけど髪の毛のは初めて触るや」
「金井! 早く!」
「は、はいっ!」
「……確認とれた? 分かった、アタシ話付ける」
「ハヤッシーもっと自立してほしいんだけど。どうしたの?」
「分かったって。うーん、正しく言うと、分かってたけど確認とれたって感じで」
「何を?」
「映像に映ってた人の一人、声紋? 調べて、当たったって」
「被害者の?」
「そう、そう……まってちょっと他の支援の人たちにチャット繋ぐから」
「今!? ちょっと、先生に見つかったら授業でなきゃいけなくなるからさぁ。早く行こ!」
「……」
「ちょっと!」
「……」
「ね~もぉ~! 金井押して! ウチ引っ張るから!」
「ええええっ!? アッハイ!」
林本チヨ子は伝言役を買って出ている。
フルダイブに必要な脳波コンを持たない人たちへ、届かないだろう細かい捜索の情報を伝えに行くのだ。脳波感受型の恩恵でブルーホールではあっという間に伝わるような、言葉にしにくいニュアンスの揺らぎも丁寧に言葉とジェスチャーに変えて伝える。文字だけでは誤解を生むようなことも、直接リアルタイムで音と表情をやり取りし合うことで、なんとか言葉の少なさをフォローしていた。
脳波コン持ちが忘れてしまった「コミュニケーションに時間をかける」ことを、まだチヨ子は手放していない。
<お嬢さん、教えてくれてありがとうねぇ。貴女もお忙しいでしょう? 探している方がいるなら、オンラインでボランティアを募るとき言って頂戴。手伝うわ>
東戸塚駅併設型のそごう系ショッピングモール。通路のような空間に直線状に並ぶファストフード店を横目に飲食スペースのテーブルへ肘をつきながら、チヨ子は氷水を一気に飲み干した。その間も「声」を出し、笑顔で返事をする。
<うん、その時はお願いするかも。お姉さんも、探し人見つかるといいね>
向こう側の妙齢女性が見ているだろう画面の枠を感知し、その少し内側に腕を掛けるイメージを打ち込む。フルダイブの機械が無いためアバター操作はコントローラー代わりの脳波でいちいち指示しなければならなかった。
向こう側からは窓から身を乗り出して笑う女子高生が見えるはずだ。チヨ子は触れなくても出来る親しみの表現を最大限活用し、写真から自動生成で作ったアバターの、リアルの容姿とほとんど変わらない笑顔を使って人懐っこく猫を被った。
リアルより逆に上手くやれているかもしれない。笑ってるのに冷たく見えると言われたことがあるチヨ子は、アバターの使い方に自動で「目じりを下げて瞳のハイライトを強めにし、眉毛の動作を過剰にすること」と補正をかけていた。お陰でこうして、年上の女性に嫌われなくて済んでいる。
「あっちのコミュニティには話したし、そこから北海道の方にはダイレクトで行くだろうしい。あとは……」
「ハヤッシー」
「声放の答え合わせと『現場検証』してるっていうブルーホールのスレの文字起こし、誰か大きな機械持ってる人じゃないと映像データがパンクしちゃうよね。誰に頼もうかな」
チヨ子の脳裏では、高校のHRでよくみられる「お前挙手しろよ」「いやお前だろ」というやり取りが飛び交った。一秒に満たない高速のやり取りを経て、チヨ子はあっけなく指名を締め切る。
「ねぇね、おねがーい」
ねぇね、大好きだから可愛い妹の言うことをきいて。そう微笑む。フルダイブ機がないため感覚や感情を受け取ることは出来ないが、姉から「しょうがないなぁ」と返事がすぐに飛んできた。きっとフルダイブ機でブルーホールに入っていれば、「甘やかしすぎ?」「でもオネダリされちゃあしょうがない」などという姉の微細なニュアンスが感じ取れたはずだ。
「えへ」
「林本さん」
仕事はまだまだ多い。姉の分まで他のユーザーへ指揮を飛ばす。
<あ、謎のフロキリ動画まとめスレってここですか? 情報感謝で一す……え? あ、記事にする時のクレジットに『ディンクロン』って入れといてくださーい>
「はやしー!」
「へ、あうっ!?」
背中をバシンと叩かれ、チヨ子はリアルの状況を思い出した。
「来たよ、三人」
「そうだった、忘れてた」
宮野が立ち上がっている。金井はワタワタとフードコートの奥から水を三つ持ってくるところで、その奥から見知った顔の三人が小走りにやってきていた。
「やー悪い悪い、寄り道してた」
「やぁ! 詩ちゃん元気ー?」
「ハイ! 陽太郎さんたち、忙しいところすみません~」
「俺ら実は昼飯まだでさ。港行く前にちょうどよかったよ」
「情報色々知りたいし」
「お願いしたいこともあったしな」
三人の若い男たちが宮野とテンポよく話を続ける中、金井と林本は座って紙を広げる。六人座れるようくっつけたフードコートのテーブルいっぱいに広がった紙はつぎはぎで付け足されていて、元はA4の、しかも裏を見ると数式や小論文などがプリントされてあった。宮野たちが手持ちで持っていた不要な勉強プリントをセロハンテープで伸ばしたものだ。
裏紙には書きなぐりに近い汚さで、大量に文字が書き込まれている。
「用事までどのくらい時間あるんですか?」
「実は船ね、ちょっと遅れてるんだわ」
「えっ」
「天候不順ってやつ」
「機材乗っけた方なんて三週間後に来るってよ。人間乗ったのだけ先にってんで……貨物の流れにも関わりあるかもな」
「うんうん」
宮野に陽太郎と呼ばれた青年は、黒に統一されたカジュアルなコーディネートの中に蛍光ピンクのピアスをしている。グレイみのある茶色の短髪をアシンメトリーに分け、襟足から後頭部にかけてがっつり剃るツーブロックヘアだ。カバンから蛍光グリーンや蛍光ブルーのコードなどを取り出し、自分のこめかみに叩きつけるよう勢いよくペタリとくっつけた。
陽太郎の左隣に座った青年は、同じく黒で統一されたコーディネートだが一人Yシャツを着ていた。上のボタンも手首のボタンも締め切っていて、三人の中で一番細身だ。黒髪を少し長く伸ばしたマッシュルームヘアで、静かな動作で緑色のリュックサックからタータンチェック柄の少し太いコードを取り出す。そして髪と顔の隙間から静かにそっと入れ、磁力装着型の脳波コンケーブルをあてがった。
陽太郎を挟んで反対側には、姿勢の正しい青年が座った。髪色は蜂蜜を薄めたようなブリーチの金で、短髪の上の一部分をワックスで撫でつけている以外はチクチクとした短髪だ。一番筋肉質で、指にはめた髑髏モチーフのシルバーリング以外に装飾品はない。全て黒というストイックさが他の二人と比べて表情にまで現れていた。
こめかみからは既にマットブラックのコードが垂れている。
「船の方の話は久仁子さんにもしておく。やっぱり日電、なんか俺たちに隠してるだろ」
真面目な青年がそう言って目を細めた。歩きながらずっとどこかと繋がっていたようで、胸ポケットに刺した円錐状の機械をテーブルに置く。こめかみのコードと既に繋がっていて、液晶は見当たらない。脳波コン使用者専用の電話機能を廃した携帯PCの一種だ。
それなりに高い製品で、大学生が気軽に持ち運んで使用するのは常識的ではない。チヨ子は姉のお下がりでなんとか有線コードも性能の良いスマホも手に入れられたが、羨ましいほど彼ら三人は良いマシンを持っている。彼らの親がお金持ちなのだろうか。それとも今所属しているという「ニチデン」のインターンシップがお金を奮発しているのだろうか。そう思うと狙い目なのかもしれない、とチヨ子は内心不敵に笑った。
「クニさんカッコいいです~」
宮野も同じことを思ったようだった。だがチヨ子は既に三人を異性ではなくボランティア仲間として見始めていた。宮野の甘い声を聴くたび、恋のライバルにすらなれないドライな自分に申し訳なさを勝手に抱く。
「詩ちゃんのお陰で、俺たちが知らないところにも困ってる人がいるって分かったからな」
リーダーシップをとる青年を宮野が褒め、お返しに褒められ返されている。大学生三人組は宮野を下の名前で親し気に呼び、宮野も彼らを下の名前で気軽に呼んだ。チヨ子はまだそこまで親しくなれる気がしない。
<で、拡散の方は?>
<まずまずって感じ>
<うーん、起爆剤が欲しいところだな>
<ノーマルネットに流しても握りつぶされるのがオチだし>
<そっちは?>
三人の青年が電子上で話すことコンマ数秒。流れるようにチヨ子へ話をふってくる。
<おねぇさん達にクチヅテで頼んだけどぉ、みんな日本各地バラバラだからねー>
<そっかー>
<でもリアルの口なら工作されないし、林本さんたちの方法が一番いいんじゃないかな>
慎重な青年がフォローに入るが、派手めな青年・陽太郎がため息をつく。
<スピード感はない。リアルタイムの口伝でったってオンラインだぞー、滋。フェイクフェイスとかでいくらでも『今の間違い!』とかで訂正効くし>
<それ、アタシは大丈夫。アタシ毎日やり取りしてるけど、絶対アタシだよって感じの癖付けてたから>
チヨ子がすかさず反論し、脳波コンの便利な機能である一人称視点動画をチャット上にクリップで留めた。鑑賞者はチヨ子が録画していた動画をチヨ子の視点そのままに見ることが出来る。わざと毎回身を乗り出していたことだけでも分かってもらえばチヨ子は満足だった。
<見といてよ。こんな感じでやってるから>
そう一言付け加えて顔を上げると、宮野がまだ話している途中だった。
「でも一体何が起きたんですか? 突然動画が流れるようになっちゃって、それがフロキリとかいう友達がやってたゲームのプレイ動画だとかなんとか」
チヨ子はブルーホールのことを思い出す。あの海のような空間は時間の流れが外とは違い、あっという間にそんな疑問への答えが飛んでくるのだ。姉が口での説明より早く説明できると喜んでいたが、最近になってようやくチヨ子も意味が分かった。速度感が全然違う。頭の良くないチヨ子でも瞬きの合間に事を知り、身支度の合間に打ち合わせが終わる。
脳波コンってこんなに便利なのに。素朴に思うが、だからこそ差が大きくなってきているのかもしれないと納得もした。チヨ子は今、友人である宮野と金井が「いなければ」と思ってしまっている。
「えーっとね、なんて言えばいいかな」
「動画の出どころは分からないけど、ずばり日本のネットワーク上で差し込まれてる! つまり悪い奴がこの国のどこかか近くの海の上にいるってわけ」
「ええっ!?」
驚く宮野のスピード感にチヨ子は辟易とした。




