375 ドラゴンよりも猫の逆鱗
ガルドの手の中にある剣はすでに、剣に見えるが剣ではない。
「……欲しがればくれるのか?」
走りながら尋ねるが、Aはほとんどない首を器用に横へと振った。ガルドが「この瞬間には片手剣、次のコンボはハンマーがいい」と思ってもそうはいかないらしい。全てAが決める。仲間たちのように指示をしても指示通りには動かない。
「だろうな」
Aは変わっている。ガルドのためと言いつつ行動を制限してくるが、なぁなぁに流してしまえば驚くほど無理難題を叶えてくれる。学習している。一歩一歩、ガルドの望みを掬い取ってくれている。信頼が厚くなっていくのを感じ、ガルドは睨むように目を細めた。
気をつけろ、コイツは敵だった奴だ。腹を見せすぎるな。そう脳裏を理性がかすめていく。
「スキルの候補を表示、ツリー化は任せる。トリガーモーションは……」
「ぐわっ」
「……ああ」
ガルドが指示を声に出すのと同時に、ハンマーのスキルがアイコンになって視界を埋めつくした。今までガルドが見たこともないオリジナルデザインだ。フラットデザインの八角形の中に、スキルを使うスイッチの役割をするトリガーモーションがピクトグラムになって描かれている。丸い頭に棒のような手足をしていて、緑色の避難誘導灯に描かれているアイコンによく似ていた。
他のものより倍近く面積を占める三つに目が留まった。ハンマーを横にスイングするアイコン、上から振り下ろすアイコン、左足で上へ柄の部分を蹴り上げるアイコン。見覚えのあるアクションだ。榎本がよくしているトリガーに合わせてあるらしい。
「……見えない!」
それはともかく戦闘中だ。前が見えないようでは話にならない。
「ぐわぁ~」
「無茶言うな」
「ぐわわ」
「透過とか何かしろ」
ガルドはそう言いながら、見えない視界の中で耳を澄ませた。地面を殴るような軌道で落ちてくる鳥の足が感じられる。効果音は風を切る素早いものだが、小さな地鳴りのような音も混ざっているのが特徴だ。
スキルが来る。
「とにかく行く」
Aに向かって、始めるのだと声に出して促した。頭の中も、榎本がしていた振り回しの動作をなぞるのに精いっぱいなほど集中する。タイミングは熟知しているがプレイする側に立つのは初めてだ。
ぶっつけ本番で初のスキルを起動するなどリスクが高い。もしトリガーモーションの一つでも動作が間違っていれば、ただの剣振り回しとしか入力されず、スキル判定は外れて敵モンスターと競り負けてしまう。待っているのは単なる死だが、だから死んでもいいとはならない。
使いこなしてみせてこそ、ロンベル随一のパリィガードを背負うガルドというものだ。ガルドは笑う。
「ククク」
見ているか、GM。どうせ見ているのだろう。思ってもみない程我々はこの局面を楽しんでいる。悔しいだろう。苦しまない自分たちをフラスコの外から見ていてはつまらないだろう。
「ククク……ハハッ!」
横殴りに剣を振る。スキルのトリガーに引っかかった時特有の、パズルがカチリと音を立ててはまるような感覚が脳へ戻ってくる。冥王星のような紫みの強い青がガルドの大剣を覆うように広がり、ハンマーのような形へ変わってきた。
そのままハンマー投げの要領で身体を回転させ、遠心力をかけ、ハンマー専用スキル・プルートウを完成させていく。
タイミングはガルドの満足いく場所にピタリと収まった。
「よし!」
大剣から今までの常識ではありえない打撃音と、スキルパリィが上手くいった証であるガラスが割れるような音が強く響き渡る。
「んぎゃう」
「見たか?」
「グワァ」
「ん」
ガルドは満足げに頷いた。巨大な鳥は、ガルドが決めたブルートウの余波を受けて後方へひっくり返っていく。足の裏が見えるほど尻から転ぶ鳥はユーモラスだが、大きすぎる身体がスローモーションのように倒れていく様にハラハラとさせられた。ガルドはやっとここで、自分のスキルが思いのほか強烈なクリティカルに入ったのではないかと考えた。
「……打ち勝って殺したか?」
どすんと重みのある音を立てながら倒れた鳥は、しかしまだ消えてはいない。
「おいおい」
声がする。
「ギリギリじゃねぇか。俺の話聞いてたか? それとも、俺のこと待ちくたびれたのか?」
倒れこんだ巨鳥の向こう側から、男がゆっくり歩いて来るのが見えた。ガルドは苦笑いで流そうとするが、男の肩に目が行き動作が止まる。
「おう、待たせたな」
呟くしかないガルドへ返事をしながら、ダウン状態で伏せる鳥をすれ違いざま榎本がハンマーで上から叩き伏せた。通常攻撃だがクリティカルだ。トドメを食らった鳥は甲高い悲鳴を上げて氷の塊へ変わり、一拍の後、きらきらとグリッターのような輝きを放ちながら粉砕されていく。
ハンマーが当たった足のつま先から順に、遠くて見えない程向こうにある頭上まで砕けるころには、榎本がガルドの元まで歩き進んでいた。
「……ペットなのか? それ」
「選択肢になかったか?」
四回頭を縦に振って、ガルドはあり得ない肩乗りの生き物を指さす。
「ガルド~、お見事ー! 流石じゃん!」
「最後ちょっとハラハラしたぞ」
「榎本も空気読んでトドメ任せるとかしたらどうなんだよー……って、あれ? えっ?」
夜叉彦が襟巻のように首へ巻き付けたオコジョを撫でながら、ガルド同様、榎本の肩を指さした。後方から続く他の仲間たちもゾロゾロ続いては驚き、榎本から一歩下がる。
「なっ、そんな変じゃないだろ? 選べるならむしろ選ぶだろ」
「いや、でもさ。でもさぁ……」
「確かに選ぶだろうがな、ソイツは想定外だぞ!」
「無かった。一覧にはそんな、あからさまに『ドラゴン』のような顔をしたトカゲ」「のようなじゃなくて、マジドラゴンだって」
「トカゲ」
「こいつはワイバーンに近いフォルムだな」
「じゃあトカゲだ」
「ドラゴン! 俺のペット、ドラゴン!」
榎本がハキハキと反論し、ガルド以外の仲間たちはゲラゲラ笑いだす。
「すごいぞ榎本、一人だけ奇抜なの選んだな!」
「ドラゴンって単語だけ聞くと全然ペットじゃないのに、マジな顔で言うんだもん」「どんな隠しコード使ったのさ」
ガルドはまだ信じられず、榎本の肩に乗ったドラゴンのような姿のペットを観察した。赤い鱗はワニ革のようで、ところどころ斑のように白色が混ざっている。さらに喉の下だけ鱗の形が違うのが正面からも分かるほど大きな二等辺三角形をしていて、ここが逆鱗だと見せびらかしてきた。
目はまさに爬虫類だ。ぎょろりと丸い中にすうっと猫のような細い瞳孔が一筋見える。ガルドが少し左右にブレると、追うように視線をこちらへ向けているように見えた。だが凹凸を上手く使った目の錯覚だとガルドは知っている。爬虫類を疑似的にCGで再現する場合使われることが多い「モナ・リザ効果」だ。
頭では理解していても目を逸らしたくなる。獲物を狙うワニやカエルを思い出してしまい、ガルドのロから思わず声が漏れた。
「グロ……」
「ちょ、なっ!? おい相棒! コレにか!?」
「あー、爬虫類っぽいのNGだったり?」
「目が、ちょっと」
「うむ。確かにモノホンぽい瞳だな」
「ドラゴンだぞ。いやむしろお前近距離迫ってって叩き斬るポジションだろうが」
「斬れるのとペットは違う」
「まじかよ、人気無いなドラゴン。あ、コイツ火に吹けるんだぜ? すごくね? ほら」
榎本は自慢げに肩を上げ、ドラゴンの全容を披露した。以前の赤マント装備であれば世界観に合うだろう。ガルドは、榎本がクイと上げた肩からちらりと見えた上腕二頭筋と大胸筋に慌てて目を逸らす。装備変更で今着ている榎本の装備は、どちらかと言えばミリタリーカジュアルに近い現代風のジャケットだ。中は素肌で、肩は大いに露出し、たまにびっくりするほど半裸になるまで脱げていることもある。
ガルドは、何故か分からないが溜め息がでた。
「ハァ」
「なんだよその味気ない反応。でかくなったコイツで空飛べたりしたら最高じゃねぇか」
「あ、それウチも思ったー。モンスターであんだけデカイんだからさ」
「インコにどうやって乗るんだ」
「夢がないなぁ、マグナ。変身してフェニックスになるとか!」
「サステナフェニックスは赤だろう」
「フロキリの時はそうだったけど、今は緑かも」
「まだ榎本のドラゴン巨大化説の方があり得るな」
「だろ? 役に立つぜ、きっと」
「火を吹くだけなのか? 俺のカノウの方がスキル使えて便利だぞ?」
「え、スキル?」
「ほれ、貫通付与! む、まだすねとるのか?」
ジャスティンがハリネズミを両手で持ち上げる。が辛うじてピクリと動くものの、それ以外はスンと無反応のままだ。
「ジャスのハリネズミ、随分無口なんだな」
「榎本のドラゴン、名前は?」
「へっ、インフェルノだ!」
ガルドは素直にカッコいい名前だと思ったが、周囲の仲間たちが吹き出すようにして一斉にゲラゲラ笑いだすのを見て「ダサいのか」と価値観をアップデートさせた。
「少年かよ! ドラゴンにインフェルノ!? っはー!」
「笑いすぎだぞ夜叉彦。いや、ネーミングセンスがないわけじゃないんだ、榎本。夜叉彦の言うように……」
「小学生男児みたいってか? あーそーだよ、厨二通り越してガキのままってな」
「グルル」
「インフェルノはこの名前で満足だよなぁ?」
「ガウ」
ドラゴンは確かに、マグナが言っていた通りワイバーンに近い姿をしている。
トカゲと呼ばれたのも納得の胴の細さだ。腕は翼と同化し蝙蝠のようで、尾は胴体と頭を合わせた長さより長くトカゲのように細い。後ろ足だけが急にふっくらとし筋肉質だ。今はがっしりと榎本の肩に掴まっている。
ドラゴンをペットに出来たのは榎本だけだ。こうして目の当たりにしても、ガルドには分からないことだらけだった。それぞれのペットNPCを抱きしめながら帰路に就く中年男性の群れを背後から眺め、自身も黒い球体のアヒル姿をしたAを太い腕でぶ厚い鎧に覆われた胸元に抱きながら、あれこれと考えた。すぐ隣を歩く榎本は気にも留めていない様子だ。自分だけがドラゴンを選べたことになんの疑問も持っていないらしい。
まずそもそも、ドラゴンというのが異質すぎる。
インフェルノだけがなぜ架空の動物で、他のカノウやラスアルたちがリアルな動物をモデルにしているのか。疑問に思うが答えは出ない。ガルドのAだけアメリカのカートゥーンから飛び出たようなデザインだが、その原因は由来にしているゲームタイトルの違いだと分かっている。マイ・スウィート・ペッツ!からの引用だと本人が言っていた。
赤いドラゴン・インフェルノだけが確実に「ペットじゃない」と断言できるのだ。
ファンタジーRPGのペット機能は出来が悪く、榎本の問いかけに返事をできるクオリティはまずあり得ない。そばで触れようとすれば触れられ、芸をし、背後からついてくる程度だ。ガルドにはやはり、インフェルノがペットと触れ合う専門のゲームタイトルから抜粋されたとしか思えなかった。
もしかすると。本当はこの違いこそコンタクターかどうかが分かる手がかりじゃないのか。そう思うと疑心暗鬼が止まらない。仲間がペットを可愛がっている時間、ガルドは視線に耐え、ぼろを出さないよう気を遣わなければならなかった。
メッセージ画面を開いてメモを呼び出す。暗号のような言葉が乱雑に並んでいて、おそらくAにも理解できないだろう。ガルドだけが読めるコンタクターについての覚書だ。接触してくるという謎のコンタクターについて、ガルドはAの助けを借りず解き明かすつもりだった。
一気に無ロになってしまったAに不安を覚える。本当にAと他のコンタクターたちは敵対しているのかもしれない。どうなのか本当のことを聞くのは、二人きりになれるソロ闘技場でだけだ。天蓋ベッドではうっすらでも聞こえるかもしれない。
犯人たちの立場に立って考えてみれば、インフェルノは大成功だろう。仲間はあれこれと笑いの種にしているが、榎本だけは一人インフェルノをカッコいいと思っているのだから味方になる。ドラゴンという特別なものを貰った榎本とその他という構図にもなり、仲間割れとはいかなくともギクシャクさせる要素の一つを生み出し、そのインフェルノへ感情を吐露する榎本のメンタルをコントロールすることまで出来る。
ガルドにとってのA、田岡にとってのサルガスのように。
「……コントロール、か」
自覚があるから大丈夫だと、ガルドは自分で自分を落ち着けた。うまく操作されているかもしれないとは思っているが、日に日にAを憎めない自分も自覚していた。
見た目も大事だ。インフェルノはまだ日本語を話していないが、榎本が「変身」と言っていたのを思い出す。ドラゴンがヒト型に変身するなどラノベではよくある話だ。それがもし、もしも美少女にでもなれば。ガルドはぞくりとする。
ギルドで独り身の男は榎本だけだ。犯人はそこまで考えているのだろうか。ハニトラの四文字がガルドの目をぐるぐるさせる。
Aに釘を刺されていたハリネズミのカノウか。
それとも英語と日本語を組み合わせた高度な会話が可能なピートか。
もしくは一種類だけ何故か実装されたドラゴンのインフェルノか。
今のところ、とにかくこの三体だけ気を付けていれば良いように思えた。ガルドは生唾を飲む。バレてはいけない。バレずに探る、そんなスパイのようなことができるのだろうか。
A曰く。実験の条件が崩れれば不都合のある対象は速やかに公然と「処理」される。崩れたかどうかの判断は、外界との接点そのものとして送り込まれたコンタクターが行う。
「ん?」
そういえば「足りない」のではないだろうか。脳波コンの手術を無理やりさせられ、よく分からないままで込められた二名を思い出しながらガルドは首を傾げた。彼らを見極めたのはサルガスだろうか。いや、ほとんど引きこもっていた彼らと接点はなかった。
そもそも、実験の最終目標とはなんなのだろう。閉じ込めるだけならば田岡の代で終わっていたはずだ。ガルドらフロキリのプレイヤー、そもそも脳波コンを持たなかった二人、ゲームをしない脳波デバイスユーザーだったぷっとんの部下たちが巻き込まれたのは何故だ。それさえ分かれば解決するのだ。
ガルドは榎本をちらりと見た。実験が終われば出られる。ゴールはある。残っても大丈夫な自分や榎本はさておき、せめて夜叉彦やマグナは戻してやりたい。視線を動かす。楽しそうにペット自慢をしている仲間達の背中は、どこか辛い傷を舐め合う痛々しさも滲んでいた。家族がいる仲間は戻したい、戻すべきだとガルドは下唇を噛む。
メロとジャスティンには子供もいる。ずっとこのままなど間違っている。
どんな反応をすれば正解なのだろう。犯人が「もうこれ以上やっても同じか/意味がないか」と思える結果を出してやるのが理想だが、いかんせんガルドは失敗が怖かった。命の危機に直面している実感が日々薄れつつあり、仲間たちもヴァーツも鈴音も全員のびのび過ごしている。それが正解なのか、ガルドには分からない。Aの反応もどっちつかずで分かりにくい。
だが、ピートならばどうだろう。あれだけ強くマグナにNOを突き付けたピートならば、欲しい反応以外にNOと言い切ってくれるのではないだろうか。
そのNOの言葉を読み解き、何を弱めて何を強めれば「実験完了」なのか探るのだ。
「よし」
三体の中で、特にピートを注視しようと決めた。この差に気付けるのは自分だけだ。自分がやらねばならない。ガルドはかつてないほど強く、脱出への意欲を燃やしていた。




